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未来がずっと、ありますように  作者: おじぃ
迫るタイムリミット
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ありがとう、さようなら、ありがとう

 日付けが変わり、僕らは一つしかない布団をシェアして眠りに就いた。夜の営みはなく静かな、住み慣れたアパート最後の夜。


 寝返りを打った未来の小さな背に抱きついたら眠れるだろうかと甘えてみたら、すんなり眠れた。次に目覚めたのは5時。概ね4時間半眠った。未来はまだ、僕に背を向けている。


 外はまだ暗く、二度寝をすると、今度は7時。陽が登り、空は白く、光を浴びたアパートは、半世紀続いた稼働日の最後を迎えた。未来は僕のほうを向き眠っている。きっと互いに抱き枕にして、くっついたり離れたりを繰り返したのだろう。


 引っ越し作業は正午から。布団は持ち出すが、未来が眠っているのでまだ畳まない。


 一先ず朝風呂をして、着替えよう。


 ということで、これでほんとうに最後の追い焚きと入浴だ。


 きょうまでほんとうにありがとう。


 僕はそう念を込めてレバーを捻り、ガスを止めた。


「ああ……」


 湯気に混じりて声が上がってゆく。見知らぬ人を含め、半世紀活躍した風呂。


 湯が水になりかけるまで入浴して、僕は名残惜しみおもむろに立ち上がり、湯から足の指先を抜いた。


 すると同時に涙腺が緩んで、涙が溢れてきた。


 ああ、きょう、このアパートは、最後まで残った入居者である僕が退去すれば、その命を終えるんだ。


 生物や植物でなくても、世界のあらゆるものに魂は宿っている。僕はそう思う。


 その魂に、この世からの別れを言い渡すのが、きょうこれからの僕なんだ。


 ありがとう、さようなら、ありがとう。


 アパートの解体が告知されてから、僕は毎日、内心でそれを念じている。



 ◇◇◇



 暗いうちに何度か目覚め、悠くんに抱きつかれたりわたしが抱きついたりして、朝が来た。悠くんにとっては、侘しい別れの朝。日が暮れるころにはここにある布団やテレビ、持ち出せる家財道具すべてが私の部屋かリサイクルショップに持ち出され、大船おおふなの暮らしを半世紀見守ってきたアパートは、役目を終える。


 布団から起き上がり台所に出ると、風呂場の灯りが点いていた。悠くんは最後のお風呂を満喫しているのだろう。


 ちょっと失礼して冷蔵庫を開けると、酒類やジュースなどはなく、殻の茶色い卵が3個収まっていた。ほかにはエネルギーインゼリー、栄養ドリンク。卵はいま使ったほうが良さそう。


 しかし卵かけご飯を食べたいのか、玉子焼きや目玉焼きを食べたいのか、何も考えていないのか、わからない。


 一見クールな悠くんは、実は情に厚く、いまごろお風呂やアパートとの別れを惜しんで泣いているかもしれないから、何を食べるかなど訊きに行かないほうがいい。


 いまは気が済むまで、涙していてほしい。

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