僕は存在していなかった
森の香りが漂う、いつもの狭くて温かい風呂。終わりを告げる、いつもの日常。
僕の余命は残り5年かもしれないが、それ以上生きたら、僕より先に旅立つものと別れる機会が、長生きする分多く訪れる。
目的の見当たらない人生ならば、むしろ長生きしたほうがつらいのではないか。
だが、生き長らえるということは、僕に生きる意味があるということだ。別れに伴う痛みも含め、学ぶべきことがあるのだ。逆に、この世での用が済めば明日にでも天に召されるか地獄に堕ちるだろう。
これだけはいつも肝に銘じている。
鉄道車両だってそうだ。首都圏など時代が目
まぐるしく変化する地域の車両は製造後10年も経たず廃車となるものもあるが、時の流れが緩やかな地域では半世紀以上活躍している車両もある。
そしてこの建物は、明日で役目を終える。
「寂しいなあ……」
思わず、心の声が漏れた。
ああ、そうか。
心の声を漏らしたとき、それと引き換えに胸の中へ入ってきたものがあった。
人情だ。
思えば僕は、たった今まで空虚な存在だった。否、存在していなかった。
人々の笑顔があふれる駅を創りたい情熱、愛する人の存在。実現したいものや大切な人はあっても、僕自身は存在していなかった。
僕は26年も生きていまようやく、この世に降りて来たんだ。




