命の洗濯エブリデイ
「だいぶお疲れのようね」
駅から支社に転勤となり2週間。僕は人生に絶望しかけつつ、横浜の街を駅に向かって歩いていた。支社周辺は所謂ヨコハマのお洒落な雰囲気ではなく、雑居ビルや高速道路、地味で小さな川が流れるごく普通の大都市。
「ああ、どうも、おつかれさまです。生活サービス創造部の成城さん」
肩に力の入っていない僕の背後から声をかけてきたのは成城さん改め松田さん。姓は変わったが、僕は相変わらす成城さんと呼んでいる。
「運車部はイヤ?」
成城さんは、僕の隣に並んで言った。
運輸車両部、通称『運車部』。駅や乗務関係者などが配置される運輸部門と、車両のメンテナンスや管理を行う者などが配置される車両部門を統括する部署。僕はかつて車両メンテナンス工場勤務であった故に、後者の車両メンテナンス関係を担当する検修課の配属となったのだが、機械系は不得意かつ正直あまり興味がない。今でも希望している部署は、駅や車両、その他商業施設など多様なサービスを創造する部署、生活サービス創造部だ。
「あれは物好きがやる仕事ですよ。機械系とか経理が好きな人にはいいかもしれませんね」
なぜ経理が絡むかというと、車両部門には月、年度ごとに予算が振り分けられている。車両メンテナンス部門での主な予算の使い道は、わかりやすいものだと車輪やドア、窓ガラスなど車両部品の購入費用だ。その他にも数百数千の部品で車両は構成されている。メンテナンスにかかる費用は車両部品や工具、車輪の削正などメンテナンスを行うためのマシン、マシンのメンテナンス費用などなど一つの工場で年間億単位。その金額を算出したり管理するのも、運輸車両部検修課の仕事の一つ。ちなみに『検修』は『検査修繕』の略。
「うちの会社、上層部はキャリアチェンジを歓迎していても、人事権を握っている中堅層は閉塞的で、それを良しとしない傾向があるものね」
「ええ、はっきり言って凝り固まった人の集団ですね」
「そうよ。車両部門に配属されたからといって、本人が必ずしも車両の仕事に向いているかといえば、そうでもない。逆にサービス部門に不向きで車両に向いている人もいる。そういう個の適性を見極めて適材適所に配置する能力が、うちの会社は絶対的にも相対的にも低い。言ってしまえば、時代遅れで質の悪い日本企業の典型ね」
「オブラートに包まずズバッと言いましたね」
「本牧に話すのにオブラートに包んでどうするの?」
「確かに」
「それで、やっぱり本牧も、考えてるの?」
「考えてるって?」
「独立よ。会社の意のままに動いていたら、自己実現ができる可能性は低くなるでしょ」
「そうですね、現状では」
「安定性とか、そもそも独立して何をするかとか、問題はあるけれど、道筋を立ててみるのはいいんじゃないかしら」
「背中を押してくれてるんですか?」
「押すというよりは、背後から一般的なサイズの団扇で扇いでいる感じかしら」
「ありがとうございます」
「仕事ばかりに囚われていないで、少し気分転換でもしたら? 江ノ島辺りを歩いてみてもいいし、どこか遠くへ行ってもいいし」
「江ノ島も歩きますし、東北とか伊豆にも行ってるんですけどね」
「なら、もっと行けばいいわ。とにかく生き甲斐にもならないつらいことからは、逃げられるだけ逃げるの」
会話しながら歩いているうちに、横浜駅前の郵便局に辿り着いた。ここから狭い通路を辿ると駅のコンコースだ。
「逃げるだけ、逃げる、か。成城さん、どこかいいところ、知ってますか?」
「私は福島の郡山出身だから、磐梯熱海とか会津とか、あと福島市内の飯坂温泉辺りなら知っているけど」
「ああ、いいところですね。あの辺りといえば、会津磐梯山に五色沼、猪苗代湖。夜は磐梯熱海や飯坂の温泉にでも入ってゆっくりしたい」
「いいんじゃない、温泉旅行。からだだって毎日洗うんだから、命だって毎日洗ってもいいのよ」
「そうか、なんだか、たまには命の洗濯みたいな感覚があったけど、毎日してもいいんだよなあ」




