駅を卒業するとき
「そうだよ、僕なんてもう定年間近なんだから、人生はほんとうにあっという間。好きなことして、できる限り気楽に生きるのがイチバンさ」
「松田さんが仰ると重みが違いますね」
「照れるなぁ、この前近所のおばちゃんに50代なんてまだまだ若いって言われたばかりなのに」
「そのおばちゃんっていうのは、どのくらいの方で?」
「たぶん70は過ぎてると思うなあ。若いときに旦那さんを亡くして、女手一つで子育てをして、大変だったらしいよ。それに比べれば子育てもせず、まあまあユルく自適に生きてこられた僕は幸せ者だね」
「そうね、気を張り詰めている私のほうが先に死んでしまいそうだわ」
「美人薄命と言いますからね」
そして成城さんより僕のほうが先に死にそう。
「言葉の意味が違う気がするけど」
「そうなったら僕も寂しくて死んじゃうよ。男って言うのは弱い生きものだからね」
そう、男とは弱い生きもの。女がどうかは知らないが、男は弱い。僕も慣れた駅を旅立ち、新たな職場で成功できるか、32歳までにやりたいことを成し遂げられるか、あわよくばその先も生きられるのか、そんな不安の渦に巻かれている。
食事を終えた僕らは更衣所を中心に私物がないかを確認し、いよいよ駅から旅立つときを迎えた。
使い慣れた更衣所や休憩室、とりわけ成城さんと百合丘さんは描画で重宝していた事務スペース、窓口のバックヤードともこれでお別れだ。
「それじゃ、またね」
卒業する僕ら三人とともに松田さんが改札口まで見送りに降りてきてくれた。昼のぽかぽかした陽射しが駅舎の小窓から差し込んでいる。
「お世話になりました。これまでほんとうにありがとうございます」
「私にとっては松田さんのラーメンが親父の味です!」
「私は、特に言い残すことはないわね」
「まあ、えりちゃんとはお家帰ったら会うからね」
僕は大船駅まで成城さん、百合丘さんと同行し、こちらも別れが近いアパートに帰った。いつも通りシャワーを浴びてから居間で数時間仮眠を取り、15時ころ起き上がる。不規則勤務もきょうで終わりだから、この生活習慣もこれで最後だ。転勤先の支社はシフト勤務ではなく日勤制。徹夜勤務の妙な覚醒感と後に襲ってくる頭の重みはかなりしんどいものがあるから、これは良い点かもしれない。かもしれないというのは、徹夜勤務は1日で2日分まとめて働くため、徹夜明けは実質休日のようなもの。日本総合鉄道の年間休日数は114日だが、更に徹夜勤務の分だけ加算されたような感覚が個人的にはある。そう考えると、駅から出たのは勿体ない感じもする。
さて、シャワーを浴びようと思ったが、きょうは湯舟に入って、自分を労おう。狭いステンレスの湯舟に、森の香りの入浴剤を入れて。




