あっさり過ぎゆく日々の中で
ラーメンを食べ終えて、こんどは出札業務。自動改札機が4台ならぶ改札口の端にある有人改札口での業務。乗り越し精算やICカードの処理、お客さま案内などを行う場所だ。ちなみにICカードは不正使用するとすぐわかるようになっている。きょうも「大船行きは大船に行きますか?」と訊ねてきた老婆への対応など、特に普段と変わらぬ接客が続いた。ちなみに大船に行くから大船行きだ。何事もなければ大船行きは大船に行く。
その後、本日2度目のホーム巡回、夜のホーム監視、休憩で2杯目のラーメンをいただくといった特に大きなトラブルのない一日が過ぎ、駅業務最後の朝を迎えた。
きょうも電車は混雑し、無表情の人々が行き交ってキャリーバッグや歩きスマホが障害物となる何変わらぬ朝。
そして3時間しか眠っていない僕は、冬の乾いた風に吹かれても眠気が取れない。
電車が到着。僕はいつも通り案内放送を入れる。
「ドアが閉まります。本日もお気を付けて行ってらっしゃいませ」
どこの駅でも同じ自動放送、流れるのは汎用型の発車メロディー。駅の案内放送なんてほとんどの人間が聞き流すだろうが、聞いている誰かが少しでも心地良くなるように、または普段聞いていない人の注意を引くように言葉を添える。
こうして列車の見送りを繰り返していると、とうとう最後に見送る列車が到着した。8時50分発の八王子行きだ。配属されたばかりのころは古い車両で運転されていて、プシューといういかにも古い電車らしい空気式ドア、非常コックを扱うとギロチンのようにバンッ! と閉まるタイプだったが、今では新型車両になり、プシューなんて音も出さなければ、ギロチンのように閉まることもない。毎日まいにち同じような日々を繰り返してきたようだが、時代は当時から変わっている。列車はその土地の時代を表すアイテムの一つだ。
「ドアが閉まります。お気を付けて行ってらっしゃいませ」
最後の列車も、特に何事もなく発車した。これまで数多のトラブルや事故を見てきたが、無事がいちばんだ。
幽霊のおじさんは相変わらず線路上をふらふらしながら酒を飲んだり僕に手を振ったりしている。僕も通勤ラッシュの人混みの中で、さりげなく振り返した。
事務室に戻った僕は、松田さん、成城(旧姓)さん、百合丘さんといっしょに、最後のラーメンをいただく。
「えりちゃんの家に遊びに行けば、このラーメンまた食べられるかな」
百合丘さんが言った。
「つくれないこともないよ。食べたかったら前もって言ってくれればつくっておくよ」
と松田さん。どうやらこの味は引き続き食べられそうだ。
「しかし、呆気ないですね、社会人って。卒業ムードみたいなのがないっていうか、このラーメンのスープみたいにあっさりしてるっていうか」
僕はつくづく思う。日毎色々あって、こうして日々が激流のごとく過ぎ気がつけば臨終。
「そんなものよ。年々節目があっさり過ぎて行って、いつの間にか途方もない後悔にまみれている。どれだけ頑張って日々を送ってもそれは消えないわ」




