告白
「片づけをしてもいいって言われても、女の子の荷物を勝手に解くのはなんだかなぁ」
花梨ちゃんがショッピングモールに出かけてすぐ、本牧さんが言った。
「うんうん、下着類なんかもあるだろうし。困りましたね」
段ボールにはマジックで中身の名称が書かれているものの、そういったものが入った箱をうっかり開けてしまっても、花梨ちゃんは気にしないのかな。
花梨ちゃんにとっての本牧さんは『謎めいたアンチャン』だから、セクシャルな認識はないのかも。
「そうだな、でも、このままじゃいつまで経っても終わらないし、まず衣笠さんが箱を開けて、食器とか、収納場所が決まっているものだけでも片づけてしまいましょうか」
「お、そうですね、ナイスアイディア!」
クラフトテープを剥がし、段ボールの中身を確認する。まずコミック本が入ったプラスチックの箱が出てきた。ボックス・イン・ボックス。百均でよく売っているこれ、収納に便利なんだよね。読み終えた本を売りたくない、捨てたくない私も重宝している。
「本牧さん、とりあえずこれを、本棚の前に置いといてくれますか」
「わかりました」
既に部屋の北東すみっこには高さ1,5メートル、幅1メートルほどの木製の本棚がある。本棚の中間仕切りは高さが異なり、下段の高く取られた部分には雑誌やイラスト関連の本を収納すると思われる。
次に手をつけた段ボールには『ふく』と書いてあったのでスルー。下着が入っているかも。
続いて食器。これなら大丈夫。本棚と同等程度の寸法の白いボディーにガラス扉がついたシンプルな食器棚に、私が収納してゆく。お皿が下段。地震が発生して棚が倒れてもダメージを受けにくいプラスチック製コップは上段。
こんな感じで衣類を除きテキパキと片づけていったら、案外早く作業を終えられた。
「ふう、終わった」
「百合丘さん抜きで作業すると、なんだか僕らがここに住むみたいな錯覚がありますね」
「そうですね、自分の家みたいに黙々とやってました」
そう! 正にそれ! 私もそう思ってた! 本牧さんはそういうことを平気で言えちゃう人だけど、私はとても言えなかった。
「僕も、そろそろ家を片づけないとな」
「え?」
どういうこと? 引っ越すの? それとももう……。
「いま住んでいるアパート、おそらく近いうちに取り壊しになると思うんです。なのでそろそろ新居を探さないとなって」
「あ、そういうことですか!」
「なんだと思いました?」
いたずらっぽく微笑む本牧さんは「誰かと結婚するとでも思った? それとも、気づいてる?」と、二つの思念を込めている気がした。
そういうことですか! と明らかに誤解が解けた体で言った手前、「いえ、なんでも」と誤魔化すと、本牧さんの心にしこりを残すと思う。
「もしかしたら、遠くに引っ越しちゃうのかなって」
とりあえず、無難な返しをしておいた。
「遠くに引っ越すくらいなら、僕は会社を辞めますよ」
「そうなんですか?」
「ええ、最近、会社の方針と僕の価値観にズレを感じているところだったので、遠方への転勤辞令が出たら辞めようかなって、考えていたんです」
「駅、解散しちゃうんですよね」
「駅業務専門のグループ会社に外注化するので、いまのメンバーはほとんど転勤予定です。僕は横浜支社の企画部門に行く見込みなので、そこで何をするかによって将来を選択しようかと思っています」
「そうなんですか。寂しいですけど、とりあえず地元から離れなくて良かったですね」
「ええ、ほんとうに。なんだかんだで僕はこの湘南が好きですからね」
「いいところですよね。街は栄えているけどのんびりしていて、田舎によくある過剰な人付き合いはない。私もいつしかずっとここに住みたいなって、思うようになりました」
「ちょっと、出かけてみますか?」
「え、いいんですか? 戸締りとか」
「合鍵を預かっているので」
なるほど抜かりない。
徐々に陽が傾いてきた15時半。青と白の空を見ながら交通量の多い通りを西へ進み、湘南工科大学の前を左折。歩道が広く取られていて歩きやすい。
「この道に入った途端、少し静かになりましたね」
「この辺りは個人の飲食店を中心に連なっている通りで、中心部はさっきまでの道で終わりなので落ち着いているんです」
ゆったり、適度に人通りのある道を進み国道134号線を跨ぐ歩道橋を渡ると、静かな砂浜に出た。すぐそばの江ノ島や片瀬の海岸はいつも人で賑わっているのに、この辻堂西海岸は人がまばらで、それぞれが適度な距離を保って散歩できる。
私たちも周囲の人とは距離を取り、ざぶん、ざぶんと少し大きな波が打ち寄せる砂浜を、夕陽に向かって歩く。
「わあ、きらきらしてる」
「冬のこの時間帯が、夕陽を見るには最高なんです」
波が引くとき、微かな海水に太陽光のオレンジが乱反射して、砂浜が太陽に向かい一直線にきらめく。首都近郊とは思えない、どこかの世界遺産で見るような、幻想的な世界。油断していると気を取られてしまいそうで、魂を向こうの世界へ持って行かれそう。と思ったそのとき。
「わあ!?」
少し大きめの波が打ち寄せて、私たちの足首までを洗っていった。
「すみません、夕陽に見惚れて油断してました」
「私もです。濡れちゃったけど、でも、そのくらい綺麗ですよね」
「ええ。この景色は、僕にとっての宝です」
「本当ですね。私も、ずっと見ていたい」
言いながら、私たちは波打ち際から離れてゆく。人気のあるほうへ近づいてゆく。
「できれば、本牧さんといっしょに」
海風と波に背中をぽんと押され、胸につかえていた想いがぽんと飛び出した。
「え?」
と言う本牧さんだけど、私の言葉は届いていると思う。
「二度も、言わせないでください」
言うと、本牧さんはぽかんと目を見開いて、ほんのりしていた。押せ、もう一押し、頑張れ、衣笠未来。
「あの、その、私と、付き合って、くれませんか?」
彼の目を、真っ直ぐ見詰める。真摯な気持ちを、胸に突き刺す。すると彼は何かに思考を巡らせ始めたようで、口を閉じ、真顔のまま数秒黙り込んだ。私の視線の先に彼は、未来を見据えている。これから歩む未来を。
「うん、付き合って、みましょうか」
歯切れの悪い言葉。でも、承諾。
ああ、オッケーなんだ、オッケーなんだ!
「はっ、はい! よよよ、よろしくお願いします! 不束者ですが!」
ああ、やっと花が咲いた! ずっとモヤモヤしていた真冬の蜃気楼の先に、やっと行き着いた!
「いえいえ、僕のほうこそ」
気持ちは少し、浮かれている。でも、これから歩む未来には、しっかり軸足をつけてゆきたい。それが遅咲きの青春、大人の恋愛。でもきょうだけは、百パーセントの幸せに浸っていたい。だって、やっと想いが実を結んだのだから。




