兼業イラストレーター花梨の新居
花梨ちゃんのアパート最寄りのバス停が近付き車内放送が流れると、他の乗客が降車ボタンを押した。
なかなか流れない窓の外を見ているフリをしながら、私はそのガラス越しに袖と袖が触れ合う彼の横顔をまじまじと見ていた。
何か建設的なことを真剣に考えているというよりは、彼がこれまで辿った道を顧みるような、そんなおぼろげな眼差しと頬だった。
本牧さんは何か爆弾を抱えている。
彼といっしょに仕事をしている花梨ちゃんは、私によくこう言う。
成城さんや松田さんも、花梨ちゃんのその勘に納得しているという。
私もなんとなく、そう思う。
大病を抱えていて、余命幾許もないとか。
それは現在、彼と接してきて感じた私の中での想像に過ぎないけれど、もし事実だとして、自らの死を予告されたとしたら……。人間いつ死ぬかなんてわからないし数分後に自分が生きている保証もないけれど、私は彼の宿命を受け入れる覚悟が完全にはできていない。
いちばんつらいのは、ほかでもない本牧さん自身なのに。
バスが停留所に近づいて速度を落とすと、何人かの乗客がそそくさと立ち上がった。バスが停車するまでそのままでお待ちくださいという自動アナウンスと運転士さんの呼びかけを無視して。
本牧さんは停車して扉が開いてから立ち上がり、運転士さんに「ありがとうございます」と告げてバスを降りた。私も同じく続いた。
バスを降りたところの景色は、なんてことない住宅地。ガソリンスタンドやコンビニがある、便利な街といった印象。
「そういえばここって、箱根駅伝のコースですか?」
「そうです。この道を通って国道134号線に抜けます」
「やっぱり。なんか見覚えあると思って」
毎年1月2日と3日に行われる箱根駅伝。じいちゃんが好きで毎年見ていたから、なんとなく景色は覚えている。テレビで見た遠い街の景色の中に自分がいまいると思うと、なんだか感慨深い。
バス停から徒歩3分、住宅地にある外壁グレーな真新しいアパートの202号室。本牧さんがカメラ付きインターホンを押すと、部屋の中から微かに足音が聞こえ、止まった(ドアの覗き穴から私たちを確認したのだろう)と思うと数秒で扉が手前に空いた。
「どうもどうも、きょうは来てくれてありがとうございます。未来ちゃんもありがとう!」
私たちはそのまま中へ通された。もちろん「おじゃまします」の挨拶は忘れない。
「おお、新居の香り!」
「すごい匂いだよね。なんだかハイになりそう」
と花梨ちゃん。確かに、なかなか危険な香りかも。でも、香りも含めて新居という感じがして、私は嫌いじゃない。
木材と、接着剤のようなにおいがする。1LDK、白壁、スタンダードな茶色いフローリング。玄関からすぐのキッチンには背の低い冷蔵庫、居間に入って右奥にベッド、左奥にはテレビ台に載った32インチのテレビ。部屋の辺という辺には段ボールが数段積みでぎっしり置いてある。段ボールにはそれぞれ中身の名称が赤いマジックで書いてあるので、仕分けはしやすそう。お、液晶タブレットの入った箱も。花梨ちゃん、車掌さんになってもお絵描きする気満々!
私も、自分らしく前に進みたい!




