思い出と未来と
「きょうは、きょうは、どうも、本当に!! ありがとうございます!! 僕は!! この日を!! 一生忘れません!!」
103系電車が停車したままの貨物駅荷役ホームを借りた2次会会場で、新郎の越後屋慎太さん。ゲストからの歓声が沸き、衣笠さんは何度も両手を握られぶんぶん振られている。そろそろ手がもげそうだ。続いて新婦の雪さんも彼女の手を握り、追い打ちをかける。三浦さんや僕ら鉄道員にも謝意は伝えられているが、やはり衣笠さんがメインになって、彼女と新郎新婦の間で打ち合わせを繰り返すなどしたため、気持ちがより一層強いのだろう。
貨物ホームの構造は一般的な旅客ホーム(人を乗せる列車が発着するホーム)に似ているが、発車案内や黄色い点字ブロックなどがなく、コンクリートの床面に白い鉄柱と屋根、薄暗く照らす蛍光灯が照らす、質素なデザイン。専ら貨物を積み下ろすための駅だから、これだけで十分だ。
会場がわいわい盛り上がる中、僕は蚊帳の外からぼんやりと様子を眺めていた。
「本牧くん、きょうはありがとうね。いい思いをさせてもらったよ」
不意に松田さんに声をかけられた。僕は彼の接近に気付かなかった。
「こちらこそ、ありがとうございます。松田さんが方々《ほうぼう》に根回ししてくださったから、きょうのパーティーに漕ぎ付けました」
「そりゃ、また103系を見られるって思ったらうれしくてね、意気揚々と根回しさせてもらったよ。でもまさか、自分がハンドルを握れるとは思ってなかった。新郎さんにとってもだけど、僕にとっても生涯忘れ得ぬ思い出だよ」
「それは良かったです。やっぱり、209《ニイマルキュウ》とか233《ニイサンサン》とは違いますか?」
209系は103系の後継車、233系は209系の後継車で、現在活躍中の車両。ホームに転落した衣笠さんを轢きかけたのも233系。つまり103系は、現行の2代前の車両。
「そうだなぁ、運転しにくいし、構造は複雑だし個体差が強いし電気は無駄遣いするしで、いまの時代にはポンコツかもしれないけど、やっぱり四半世紀も乗り続けていれば、愛着が沸くってもんなんだよな」
「ロマンですね。なんていうか、情に訴えてきますよね、103系」
「だね。なんというか、相棒! っていう感じがするんだよな、コイツは。だからお別れになったときは寂しくてね、ここだけの話、引退した日は夜中に枕を濡らしたよ。会社から見れば車両なんて単なる輪転資材に過ぎないけど、コイツらだって生きている。ちゃんと命がある。もちろん209にも233にも。だからね、やっぱり、どうしたって、別れは寂しいものだよ。本牧くんならわかるだろう?」
「えぇ、お上が車両を『輪転資材』って表現する度、心が痛みます」
「おやおや、盛り上がってますねぇお二人さん」
久里浜さんが缶コーラ片手に男の談義に入ってきた。ショーツ丸出しで眠っていたときに股間の突起は見受けられず、他方、胸部の隆起は見受けられたが、この輪の中に平然と入ってくるあたり、もしかしたら心は男かもしれないと、一瞬そんなことを思った。
「久里浜ちゃんの思い出の車両は113系かい?」
松田さんが話を振った。113系は彼女が以前勤めていた地域に走っていた車両。
「うーん、そうだなぁ、113も485も、平成になってから造られた211も運転したけど、混在してたから、思い出はそれぞれ同じくらいあるかな。あ、でも、はじめてヤったのは211だったから、ある意味211は思い出が強いような」
485系は昭和を代表する特急型電車。211系は日本総合鉄道の民営化直前に登場したステンレス製の電車で、現在は東海地区と中央線の立川から長野県方面、群馬県周辺の路線で活躍している。
「ははは、なるほど。僕はハジメテも最後も103だったからなぁ、それは」
ヤった、というのは、電車を運転中に人を轢いてしまったの意。
「でも、103系にも一生の思い出ができちゃったなぁ。これで現場にケリをつけられたって感じかな」
言って久里浜さんはコーラを僅かに口に含み、切なく愛おしい遠き過去を顧みる、そんな表情を浮かべた。
「僕も、103系のハンドルを握ったきょうを、ともに働いているメンバーと関連付けて思い出にするよ」
ともに働いているメンバーとは、ここにいる僕らや成城さん、百合丘さんなどを含む駅社員のこと。
最近、日本総合鉄道では人事異動が活発に行われている。特に駅や運転区、工場など現業機関の社員を減らし人件費削減を図るほか、今後のプロジェクトに相応しい社員がいれば、当人をそこへ配置させる狙いもある。他方で現業機関の業務は子会社に委託、僕ら親会社の社員が現業機関に残りたければそこへ出向となる場合が多々ある。実際に、先般開業したばかりの新駅の業務は子会社に委託している。駅長も子会社への出向者だ。
つまり、僕らがこうして頻繁に顔を合わせる機会は残り少ない可能性が大。
そうなるともちろん、まったく無関係な企業の衣笠さんと顔を合わせる機会も少なくなる。
それが個人的には結構な痛手であることを、最近じわじわからじりじりと、実感している。
 




