宴もたけなわ
胸が痛いな。
衣笠さん、三浦さんやお客さま方が車外に出て、新鶴見機関区の敷地内を見学、または構内通路で談笑中、僕は乗車したまま車端部の座席にかけ、ひとり休憩していた。
車両間の貫通路の左右には、開閉式の2段サッシ窓がある。現在主流の車両には見られない仕様だが、昔はこのタイプが多かった。窓があると乗務員室から列車全体、編成を見渡しやすい。先頭車両まで見渡せる。
この列車はいま、人身事故の影響で運転を見合わせている。それをお客さまに悟られぬよう、さりげなく新鶴見機関区での休憩時間を伸ばしている。
僕は運転士でも車掌でもない、添乗員。やることがなく、休憩にはちょうど良い。
胸の痛みは、物心ついたころから時々ある。しかし検査を受けても異常は見つからなかった。
やはりこの身は、32歳の7月で尽きる設計なのだろうか。
こうして身に異変が生じると、不確かな未来が現実味を帯びてきて、行き先の定まっていない僕を急かす。
澄んだ空気を吸いに車外へ出た。新旧の機関車が密集する機関区の、広い空を仰ぐ。遠き世界を、想像する。
背後からの視線を感じた。20メートル離れたところから衣笠さんが僕を見ている。様子が変だと気にしているのだろうか。
彼女は僕に話しかけてこないが、気にかけてくれている。ありがたい。
それから30分後、列車は運転を再開した。トラブルはあったものの、それをお客さまに悟られず運行できているであろう。
通常、有事の際は旅客に知らせるのが公共交通機関である鉄道のあり方だが、今回は鉄道を利用した娯楽イベント。遊園地やライブ会場で機材トラブル等があった場合と同様、極力何事もないように振る舞う。これは良い学びになった。
列車はモーターを唸らせ根岸線を快走。大船駅で折り返し、来た道を戻る。
復路は40分遅れとなったが、立ち往生なく根岸線を抜け、新鶴見信号場に到着。折り返して久里浜さんの運転により横浜羽沢駅を目指し、時速45キロほどでゆるゆると進む。
せっかくのブライダルトレインということもあってか、指令員から遅延の回復を催促されなかった。また、運行本数の少ない区間で先行列車のすぐ後ろを走ったため、のろのろ運転をしても他の列車に影響を与えなかった。
鶴見駅を通過したところで『鉄道唱歌』のオルゴール調メロディーが流れた。松田さんを一人にさせてやりたかったので、僕は久里浜さんがハンドルを握る1号車の運転台にいる。衣笠さんと三浦さんは客室にいる。
『はい皆さま、宴もたけなわでございますが、列車はまもなく、終着の横浜羽沢に到着いたします。わたくし松田も、四半世紀ぶりに103系に乗務させていただき、大変うれしく、また、名残惜しいところでございます。この電車ですが、今後しばらくは関西圏での活躍を予定しております。舞台は変わりますが、よろしければまたぜひ、ご乗車ください。本日は誠に、ありがとうございます』
うおおおおお!! 松田! 松田! くーりはま! 103系!
野郎の野太い歓声が響く。
「最後はちょっと飛ばしてあげますか」
地下トンネルに入ると、久里浜さんは左手のマスコンハンドルを半時計回りに動かし列車を一気に加速させた。ラストスパート、音が響くトンネルで爆音を轟かせる、マニア向けのサービスだ。狙い通り、車内の鉄道ファンは盛り上がっている。3分ほど時速100キロで走行すると、久里浜さんは右手に握る木製のブレーキハンドルを手前に寄せ、弱い段階のブレーキで速度を緩め始めた。
『まもなく、横浜羽沢、よこはまはざわ、お出口は、左側です。お忘れ物なさいませんよう、十分お気を付けください。本日の思い出もぜひ、胸の中にお収めください。なおこの後ですが、横浜羽沢駅構内にてバーベキューなどのお料理をご用意した2次会がございます。会費はございません。ご都合よろしい方はぜひご参加ください』
再び松田さんの放送が入った。
そこでもまた、いちいち盛り上がる男性陣。
「みんな元気だねぇ」
久里浜さんがほのぼの笑う。
地上に出ると、もうそこは横浜羽沢駅構内。時速25キロ、ママチャリでも追い付ける速度で列車はゆっくり、ブレーキの衝撃はほぼなく、今朝発車した地点に停車した。空は少し、オレンジになっていた。
約1年半かけて準備したブライダルトレインの運行は、あっという間に終わった。
お読みいただき誠にありがとうございます。
通常より1日遅れの投稿となりました。申し訳ございません。




