非常時対応のしかた
「鶴見から川崎間の踏切で人身事故が発生して、根岸線と東海道線が運転を見合わせています。ということで、根岸線を走る予定のこの電車も、行く手を阻まれている感じです。いやぁ、まいったねぇ、これをお客さんたちに伝えずどう乗り切るか。行路は指令と相談するけど、停車時間が伸びちゃうなぁ」
久里浜さんのいる乗務員室に集まった私、小百合さん、本牧さん。久里浜さんは淡々と、表情を変えない。
ああ、やっぱりそうだ。イヤな予感はだいたい当たる。
私はこれからの行路をどうするかよりも、心に掛かるものがあった。
おめでたい行事の最中でも、消え行く命がある。結婚式の関係者と人身事故の関係者は、知り合いなどでなければそれぞれ異なるけれど、なんだか切ない。
俯いていると、三人は私に向けて微かに宥めの笑みを見せた。
「いまは、目の前のお客さまを精一杯楽しませましょう。でも、衣笠さんの人を想う気持ちは、とても素敵だと思います」
「えっ……」
素敵、素敵!? 唐突にそんな!
「あ、はいっ! ど、どうも、ありがとうございます!」
「いやあ、本牧ちゃんやるねぇ」
「ふふふ」
「いえいえ、本当のことを言ったまでです。さて、せっかく綺麗なお姉さま方も揃ってますし、仕事しますか」
その綺麗なお姉さま方に、私は含まれてないよね? うん、ないな、どう考えても。
「こらこら、なに数年前のプレイボーイっぷりを復活させてんのさ」
「あらあらまあまあ」
ピンポンパンポーン、ピンポンパンポーンと指令室からのチャイムが響いた。
『こちら運輸指令、こちら運輸指令、横浜羽沢駅停車中、ブライダルトレイン9112F列車の乗務員さん、応答願います』
臨時列車の列車番号は上1ケタが9と決められている。以下112Fは『いい夫婦』の語呂合わせ。
久里浜さんが胸ポケットに忍ばせていた社員手帳を取り出し、指令員と通話しながら通告内容を書き込んでいる。
こういう場面ではふつう、緊迫した空気が漂うものだと思うけど、久里浜さんは「はい承知でーす」といった具合に淡々と仕事をこなしてゆく。
ああ、こういう人を、一流っていうんだな。
空気を張り詰めさせると周囲に気の乱れが伝播して、ミスを犯しやすくなる。ましてこの列車はブライダルトレインというパーティー会場。その空気をお客さまに悟られてはいけない。かといってのほほんとしていたら、事態を打破できず、どんどん悪い方向へ進んでしまう。ダイヤの乱れる時間が長引いて、にっちもさっちも行かなくなる。場合によっては運休せざるを得ない状況に追い込まれる。
だから、冷静に、粛々《しゅくしゅく》と、でも淡白にはならず、どこか場を和ませるようなオーラを出しながら、ことを進める。
噂に聞く、合コンでよく現れるという高学歴マウント男より、久里浜さんのほうがずっとエリートで、優秀だ。
一方本牧さんも、特に動揺している様子はない。車掌でも運転士でもない点を差し引いても、普段と変わらない、ふうん、なるほど、みたいな余裕を感じる。
小百合さんは、鉄道のことは鉄道員さんに任せましょう、といった感じ。私もそう思う。
「よーし、なんとか目処がついたぞー。とりま、出発注意って感じでレッツゴー」
出発注意。列車は注意信号(黄色信号)が現示された状態で発車する。制限速度45キロを超えない速度、一部区間では55キロ以下で、その信号機を通過して良いと運転法規で定められている。
久里浜さんは再びマイクロホンを取って、客室にアナウンスを始める。
「皆さま、大変お待たせいたしました! ブライダルトレイン、復活のスカイブルー103系、発車いたします! ドア閉まります、ご注意ください!」
プシューッ。
空気の音とともに、ドアが閉まった。いま主流の電車はチャイムが鳴って静かに閉まるから、この感じは久しぶりで懐かしい。客室からは「うおおおおおお!!」と野太い歓声が沸き上がった。みんな電車好きだなあ。
横浜羽沢駅の社員に見送られ、電車はのこのこと進んでゆく。キーッ、キーッと車輪とレールが擦れる音もする。
「あの、結局これからの行路は……」
久里浜さんに訊くと「うーん、仮定はしたけど状況次第だね」と苦笑いしてマイクロホンを取ると、なぜかスマホをかざし、音楽を流し始めた。
あ、これ知ってる。品川駅で流れる発車メロディーの曲。駅で流れるタイプとは異なるオルゴール調。あ、特急電車のチャイムだ。これまたマニア心をくすぐったようで、歓声が沸いた。
「改めまして皆さま、こーんにちはー!」
「くおおおんにゅいちゅいうわあああ!!」
ああ、野郎っていうのは、野郎っていうのは。
繰り返される野太い歓声に、私はつくづく女子校通いで良かったと実感した。




