小百合お嬢さま懐かしの103系
「わーあ、すごい! 懐かしい!」
薄暗い蛍光灯が照らす車内に入って早々、目をきらきら輝かせたのは小百合さん。
「座席もふかふかで、化粧板が淡い緑色で、幼いころを思い出すわ」
「はい。座席も化粧板も、仙石線時代に使っていた新しいものから、まだ首都圏で使っていた改装前の古いものに敢えて交換するなど、なるべく昔の仕様に近付けてもらいました」
と、キザな笑顔で語る本牧さん。すごい、鉄道会社の人たち、わざわざそんな手間のかかることをしてくれたんだ。私だったら電車の細かい仕様までは気が回らなかった。仙石線で走っていたときはリニューアルされていたなんて思いもしなかった。
「まあ、そんなことまで! ほんとうにきめ細やかなところまで、ありがとうございます」
小百合さんは電車が好きな子どものように、座席にお尻をぱふぱふさせている。
「いえいえ、乗り気な人を集めたチームで造ったので、楽しかったです。久しぶりに本気の仕事をさせていただきました。まずはルゥルーコーポレーションの皆さまにお気に召していただけて良かったです」
「はい、とても素敵です! ね、未来ちゃん」
「あ、はい! ほんとにもう、なんと言ったら良いのやら」
本牧さんはまた、微笑んだ。こんどはキザな笑顔じゃなくて、褒められ慣れていない子どものような照れ笑いで。ときより見せる彼のそんな表情が、私にはとても愛おしくて、胸の奥からじわじわと温かくなる。
「そうそうこの窓。昔の電車は下から上げて開けたのよね。ふふっ、なんだか昔に戻った気分」
103系に大興奮の小百合さん。小百合さんが小さかったころはこの電車が主力だったそうだから、懐かしいんだな。なんだかいまはこの三人のなかで、私がいちばん大人かもしれない。
「実はこれ、上半分も開けられるんですよ」
本牧さんは二段サッシ窓上部の底辺にある二つの小さな枠に指を入れ、両手で窓を持ち上げた。
「わあ、ほんとだ!」
私と小百合さんが同時に言った。
「なるほど、この枠はそのためについているのね。なんだろうとは思っていたけれど」
「はい、列車火災などの非常事態が発生したときは、ドアのみでなくここからも逃げられるようになっているのですが、通常の走行時に窓から身を乗り出す人が出るなどして危険なので、最近の電車は上から下に、半分だけ開く構造になっています」
「あぁ、そういえばいました、そういうことしてる人」
まだ10年も経っていない過去、私の地元、仙台周辺にはまだ二段サッシ式窓の電車が走っていた。しかもその電車は四人ボックスなので、余計に身を乗り出したくなるのだと思う。
「いますよね。身を乗り出して架線柱にぶつかって死亡した例もあるので、やめてほしいのですが」
苦笑いの本牧さん。昔、根岸線の桜木町駅付近で列車火災が発生した際は、窓が中途半端にしか開けられない構造になっていて、多数の乗客が逃げ遅れ、亡くなったという。ところが窓を開けられるようにしたら、気が浮くのか旅情感を味わいたいのか、窓から身を乗り出してそれもそれで危険な状況に。
現在の電車には非常時にドアを手で開けられる『ドアコック』が各ドアに設置されているから、非常時はそれを使用して逃げるようにと本牧さん。
ふとドアまわりを見遣った。うん、この103系にもドアコックはあるみたい。
『皆さま改めまして、おはようございまーす! 久しぶりに車掌を担当する久里浜美守でございまーす! この電車はこれから松田さんの運転で根岸線、高島貨物線を経由して、新郎新婦さんをお出迎えする東海道貨物線の横浜羽沢駅に向かいまーす! それではしばし、懐かしい103系の旅をお楽しみくださーい!』
バフッと、マイクロホンを置いたときに出る音とともに、放送が切れた。そういえば最近の電車ではこの音を聞かなくなったような。
横浜羽沢は、貨物列車の駅。通常は貨車からコンテナの積み下ろしを行うための駅だけれど、きょうはその一部を借りて、新郎新婦を迎える。一般の旅客駅では通行の妨げになるという鉄道会社の判断。最寄りの旅客駅は、相模鉄道線の羽沢横浜国大駅。
ガクン、ウウウウウン、シュコンッ!
電車がゆっくり、各装置の感触を確かめるように動き出した。
どうか、どうかきょうという日を無事に、幸せいっぱいに終えられますように。




