試運転とハンドル訓練
電車は本線に入り、各部位の正常な動作が無事確認された。
工場から高島貨物線の東高島駅、折り返して大船駅までの1往復目を松田助役、大船駅から桜木町駅の2往復目を久里浜さんが担当。
久里浜さんが急制動試験で非常ブレーキをかける際、「ひゃっほーい!」と奇声を上げながらブレーキハンドルを豪快に回して朝比奈さんに頭をぶっ叩かれた以外、特に異常はなかった。事故を未然に防ぐため、また最小限に抑えるためにはブレーキハンドルを豪快に動かすが、奇声を上げたのはまずかった。
叩かれたショックで「ぶふぇっ」と噴き出した久里浜さんはまだ停車していないのに朝比奈さんのほうを見て「運転中に手ぇ出すなよぉ」と、ふくれっ面で抗議した。営業列車でこんなことをしたら朝比奈さんも久里浜さんも処罰ものだ。いや、試運転でもだめだが。
僕らが勤務する駅のホームでは2往復ともに衣笠さんと三浦さんが手を振っていて、成城さんと百合丘さんもいっしょにいた。後者二人はなんのリアクションも見せなかった。
四人を見つけた松田助役はプーーーーーーッとゆっくり、徐々に音量が上がるように警笛を吹鳴したが、久里浜さんはプップッ、プッププッと、なんかウザかった。
各旅客駅のホームや貨物線沿いにはカメラを構えた鉄道ファンが押し寄せ、フラッシュを焚いた者には二人ともうるさいくらいの警笛を浴びせたが、皮肉にもマニアはかえって喜ぶ場合が多々ある。「フラッシュ焚いたヤツ線路に固定して轢き〇すぞ!!」と、久里浜さんは声を荒げていた。
列車に向かってフラッシュなどの光を浴びせると、運転士の視界が遮られて運転に支障が出る。一時的または生涯にわたり視力が弱まる場合もある。立派な運行妨害および傷害事案だ。
なお、列車の撮影をしていた人が誤って線路に転落し、撮影しようとした列車に轢かれて死亡したケースもある。鉄道ファンにも『安全第一』を心がけてほしい。静止している車両に当たっただけでもいい年した男が涙を滲ませるほどに痛い。それがたとえ低速でも走行しているときに当たったらと思うと、想像し得ない苦痛が待っているのは間違いない。
「ふおおたたたたたふおおたたたたたふおおたたたたた終わったー!」
いちいちうるさい運転士、久里浜美守が無事電車を工場の倉庫に帰還、停車させ、両手を挙げバンザイしながら昔の格闘アニメのような台詞を吐いた。
「はいはい良かったな、アタシも一安心だ」
「いやあ、ぶっちゃけすごい緊張したよお。ブレーキの効きが控えめだからね」
「そうか、僕はこれに慣れてるから、むしろ新系列車の片手ハンドルのほうが慌てたなぁ」
と、松田助役。
「新車はハンドルを前に倒して、旧車は右ハンドルの手前に引きますからね」
と、僕。
「それな、私もさっき一瞬マスコンハンドルを前に倒そうとして、あれ? 動かない、あ、ブレーキは右だった。ってなった」
と、久里浜さん。久里浜さんが日ごろ乗務し、かつて松田助役も乗務した新系列電車はワンハンドル方式で、左手のハンドルを前に倒すとブレーキ、後ろに倒すと加速。
対してこの旧型車は両ハンドル式。左手のハンドルを手前に半時計回りさせると加速、右手のハンドルを同じく半時計回りさせるとブレーキ。どちらも前に動かす方式だ。
故に、旧型車に慣れた運転士が新系列電車のブレーキをかける際、誤ってハンドルを手前に倒し加速させてしまう恐れがある。自動車でいえばアクセルとブレーキの踏み間違えだ。
こういうことがないように、未経験の車種、慣れない車種を運転する場合等においては今回のようにハンドル訓練を行う。
今後もしばらく、松田助役と久里浜さんのハンドル訓練は続く。




