聞き上手の未来さん
やった、久しぶりに本牧さんと二人きり。
でも、なんだか彼、すごく疲れ顔。
歓喜と心配と、手元には豚のこま切れと玉ねぎを炒めるフライパン。
ジューッ、ジューッ、玉ねぎがあめ色になってきた。
生姜は炒め終わったところで擦りおろし、炒めものを皿に盛った後にのせて混ぜる。
胃が荒れぬよう千切りキャベツも忘れずに。あと、あぶらあげとわかめの味噌汁もつくった。
「わあ、おいしそう」
生姜焼き、味噌汁と少なめに盛った白飯を居間に運ぶと、待っていた本牧さんはクマのできた目元をこすりながら、引き攣った笑みを浮かべた。病人のよう。ううん、きっと本当に病んでいるのだと思う。
「これ食べて、ゆっくり休んで、元気になってくださいね」
「はい、ありがとうございます」
会話をしながら、私は自分の分とペットボトルのウーロン茶を運ぶため、キッチンと居間を3往復した。
ふたり揃って「いただきます」を言って、味噌汁をすする。
「おいしい。日本の味だ」
「おふくろの味じゃなくて?」
「僕の場合は牛丼チェーンとか定食屋で食べる場合が多いので」
「あ、そっか。すみません」
本牧さんのお母さんも、あまり料理をするほうではないと、以前に聞かされている。故に彼にとって味噌汁はおふくろの味ではなく、日本の味。私にとっては、ばぁちゃんの味。
続いて本牧さんは生姜焼きに手をつけた。生姜、ちゃんと混ざってるかな。不安になった私も、続いて生姜焼きを食した。うん、大丈夫。
「あぁ、これもまた。定食屋さんのよりタマネギに歯ごたえがあって、生姜の味が爽やかだ」
「ふふふ、食レポみたいですね」
「えぇ、つまるところ、おいしいです」
彼の笑顔はまだ病的だけど、ほんの少しだけ心が緩んだみたい。
良かった、よろこんでくれて。
「あの、本牧さん」
「はい」
本牧さんは箸を止めて、私と顔を合わせた。
「ブライダルトレイン、負担になっているようで」
そう、本牧さんの疲労の原因の一つに、本来なら業務の範囲外であるブライダルトレインの手配がある。だとしたら、それを頼んだ私が彼の負担になっている。
「いや、それはいいんです。むしろいまの僕にはそれが生き甲斐です」
「それでも、こんなに疲れた顔をして」
「まぁ、そうですね。でもそれは体力的なものよりも、精神的なものが大きくて」
「〆切のプレッシャーとかですか?」
「それも、負担といえば負担でしょう。でも何よりの負担は、僕自身にとって、情熱を注げることが会社から失われつつあることですね」
「そう、なんですか?」
「はい。そもそも僕がいまの会社に入ったのは、全国を又にかけた会社の中でお客さまがその空間、つまり駅や電車なんかに足を踏み入れる割合が非常に高い、だからそれだけ、人々の幸福に資するチャンスの多い会社だと思ったからなんです」
自動車メーカーだと資本力は大きくてもユーザーは限られるし、航空会社でも利用者は初乗り百数十円で利用できる鉄道より少ない。鉄道は身近で、利用しやすい。
「うん、話してくれましたよね。初めて会った日に」
「えぇ。でも最近は、業務効率化と縮小均衡論が優先されるようになってしまいました」
「と、言うと?」
「例えば駅です。最近はホームドアの設置や案内板のデジタル化などで安全性や利便性が向上された駅も多くあり、駅社員は減少傾向にあります。技術の進歩で要員が減るだけなら個人的には良いのですが、問題は、僕らの駅のように、まだハイテク化が進んでいないのに社員が減り、駅や列車内のお客さまに目が行き届かなくなってきた、などですね。
駅員の立っていないホームで目の不自由な人が線路に転落して人身事故が発生した例もありますし、きっぷの利用方法などを駅員に聞きたいお客さまが改札口に押し寄せて、改札口の本来の業務である精算目的のお客さまをお待たせしてしまったり」
「そういえば最近、駅のホームを駅員さんが歩き回る姿を以前ほどは見なくなったような。どうしてです?」
「人件費の削減ですね。まだ駅員の数が必要な駅にまで、会社は手をつけてしまったんです」
「そ、それはまずいのでは……?」
「えぇ、おかげで毎日大忙しですよ、ははは」
目が笑っていない。
「他にも、社員のサイクルが早くなってベテランの駅員がいなくなり、知識不足で十分なお客さま対応ができていない駅もあります。
他の部門でも、例えば車両メンテナンスの職場では、機能上問題がないからと足回りの塗装をやめて、汚れた状態のままペンキを上塗りして工場から出してしまう職場もあったり」
電車は少し走ると足回りが鉄粉などで汚れるのは私も知っている。でも、整備をするときくらいは綺麗にしてほしいし、ずっと汚れたままにしておくのは商品であり仕事のパートナーでもある車両を粗末にしていると思う。
「あの、それ、個人的には手抜きだと思いますけど、職人さんはどう思っているのでしょう」
「反対派もいれば、賛成派もいます。賛成派の意見は先ほど述べた通りですが、反対派は、人目につきにくいところも綺麗にするのは当たり前だし、汚れたままのものを組み立てて出すようになってからはモチベーションが下がったと」
「あの、言っちゃ悪いですけど、見えないところも綺麗にするなんて、当たり前ですよね」
「えぇ、僕もそう思います。僕が工場に勤めていたころはそういう職人気質の人が多くいて、中身はもちろん、見栄えの悪いものを出すなんてご法度だったのですが」
そう、本牧さんは元工場勤務。車両の構造や事情に詳しい駅員さん。
「そうですよね、工場の職人さんって言ったら、なんとなく頑固一徹なイメージがあります」
「はい。いまは駅も車両も、本当に質の良いものは求められていない。他の部門に関しても、なかなか真摯に打ち込めない部分はあります」
「あ、あの、それ、社長さんとか会長さんは知ってるんですか?」
「さあ、どうでしょう。彼らは取り繕っていない現場を知る機会は少ないでしょうから」
なるほど、本牧さんは本当に質の良いものをつくって人々の幸福に貢献したいけど、会社はそれができにくい雰囲気になっている。
まるで日曜夜のドラマの主人公のような人生を送っているんだ。
「そうなんですか。それで疲れてしまったと」
「ええ、まぁ。他にもモラルのない客に関するエトセトラなんかもありますが」
「駆け込み乗車とか」
「はい」
先日この部屋に来た、一人の男の顔が浮かんだ。いまは忘れよう。
微笑んで、私は彼を見る。
「また何かあったら、言ってくださいね。言いたくなったら、同じ話でも」
すると微笑み、
「はい、衣笠さんも、もし良かったら」
私にやさしい視線を向けてくれた。




