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未来がずっと、ありますように  作者: おじぃ
おねショタ旅行
199/334

たった一コマの笑顔で

「……」


「目が死んでるわよ」


 4月下旬、世間はゴールデンウィークに入った徹夜プラス残業明けの11時、僕と同じく勤務解放された成城なるしろさんに指摘された。


 僕らの駅では転勤や出向により、今月はじめから社員が2名減少。


 つまり、人手不足による過重労働だ。


 今朝は駆け込み乗車による運行妨害が10件以上、うち、ドアに荷物が挟まり5分以上の遅延を発生させたものが2件。ゴールデンウィークで乗車率は通常の平日と比較して約半分だが、トラブルは多い朝となった。そのレポートを書くためと、ブライダルトレインの件、その他企画の書類作成で90分の超過勤務となった。


「成城さんもね」


「ええ、もう帰って寝るわ」


 ラッシュアワーを過ぎ、尚且つゴールデンウィークのため乗車率が低い電車。空席が多く、僕と成城さんは編成中で最も空いている最後部車両の中央部の座席に腰を下ろした。端の席は人気なので座らないでおく。


 着席すると、僕らは寝落ちして互いに身を寄せ合い、というと微笑ましいが、過労で気絶した不安定な身体をぶつけ合い、軽いタックルと頭突きを繰り返しながら移動時間を過ごした。


 電車で隣の人がもたれかかってくる現象は、おおかた過労によるものだ。


「お客さーん、終点ですよー」


 女性の声が聞こえた。驚いてびくりと目を覚ますと、運転士の制服を纏った久里浜さんが僕らの前に立っていた。


「あぁ、どうも」


「もう大船?」


「ふたりとも、傍から見たらカップルだね。おつかれさま」


「おつかれさまです」


「おつかれさま」


 成城さんは先輩である久里浜さんにタメ口だが、この会社では馴れ合ってくるとよくあることだ。


 久里浜さんは目の前の運転台に、僕と成城さんは反対方向の、すぐそばにある階段に。上がりきると、成城さんは東海道線のホームへ、僕は南改札へ駅ナカ商業施設のアベニューを進む。「おつかれさまでした」、「おつかれさま」。挨拶を交わし、僕らは人混みの中、それぞれの道へ進んだ。


 人の流れに合わせ、歩調を緩め歩く僕。いつもの駅の、いつもの通路は、きょうも変わらず少しだけおしゃれだ。


「あ、衣笠さん」


「本牧さん」


 南改札を出ようとパスをタッチしようとしたら、同じタイミングで同じ改札機にタッチしようとした衣笠さんが右から現れた。


「どうぞ」と僕が先を譲り、「どうも」と先にタッチした衣笠さん。改札口で立ち止まっていると人々の往来を妨害するから、「どうぞ」、「いえいえそちらこそどうぞ」などと自分たちの都合しか考えていない譲り合いはせず、素早く進む。


「きょうはお休みですか?」


「はい、藤沢ふじさわのビッ◯カメラに行ってました」


「何か家電でも?」


「藤沢が舞台になっている青いブタのアニメのブルーレイを少々」


「人気ですよね。僕も動画配信で見ましたよ」


「おお! 本牧さんも!」


「ええ、あれだけ大々的にアピールされれば気になります」


「確かに、モノレールも、江ノ島も、藤沢市街もショッピングモールも、青いブタさんで盛り上がってますからね。ああ、なんだかブタブタ言ってたら豚の生姜焼きが食べたくなってきちゃいました」


「いいですね。僕も疲れているからか、無性に食べたくなってきました」


「うちに寄って食べていきます? ちょうどこれからお昼ご飯なので」


「いいんですか?」


「はい! ぜひぜひ!」


 衣笠さんの言葉に甘えて、僕は彼女の金魚の糞となり、大船の商店街を歩いている。


「はいどうぞ!」


「ありがとうございます!」


 精肉店に寄って豚のコマ切れを入手。白衣を着た店員のおばちゃんが、ショーケース越しに衣笠さんへ商品を手渡した。二人ともに気さくで、その笑顔に、僕はなんだかやさしい気持ちになった。


 たった一コマの出来事に、疲労で病んでいる心が、ほんのり溶けるように癒されてゆく。


 やっぱり僕は、彼女といっしょにいたい。


 けれど僕の命はきっと残り少なくて、現在も左の胸部が痛い。医師の診察は受けたが、異常は見当たらなかった。


 未来理想図は描けるのに、彼女の亡くなったお祖父さんからも背中を押してもらったのに、僕はまだ、永らく生きる自信がなくて、彼女を末永く幸せにする自信がない。


「本牧さん?」


「はい」


「どうしました? なんだかボーッとして、心此処に在らずな感じでしたけど」


「あぁ、はい、徹夜明けでかなり疲れているので」


 言って、僕は歩き出し、衣笠さんも連動して歩き出した。


「そ、そうですよね、ブライダルトレインのこともあるし」


「あ、いや、それはいいんです。それより駆け込み乗車みたいなカスタマーハラスメントのほうが。あれは怒りが込み上げるので」


「そうですよね! ほんとにそう! 駆け込み乗車ダメ、ゼッタイ!」


 なんだか妙に同意してくれているな。まあ、日ごろ鉄道を利用していれば駆け込み乗車によって足止めを喰らうケースは少なくないから、大いに共感に値するというところだろうか。


 とりあえず、本心は悟られずに済んだようだ。いや、カスタマーハラスメントに腹が立っているのも本心だが。

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