いかがわしい鉄道用語
「あーないない、ないですよそれは。ていうかそのために私を待ち伏せてたんですか」
監視業務を終え事務室に戻った僕は、液タブを設置しているデスクの正面のデスクで業務日誌を書いた。書き終えても百合丘さんはまだ戻らなかったので、過去の記事を確認するフリをして彼女を待った。2分ほどそうしていると、ようやく百合丘さんが戻ってきた。
「じゃあなんで、いっしょに出勤なんて」
「さぁ。逗子の式場にでも出張して、帰りが夜遅くなったとか?」
逗子には、この辺りでは有名な海の見える人気の式場がある。確かに逗子ならば帰りが遅くなれば、途中の大船にある衣笠さんの家に泊まるのも納得だ。彼女は誰彼構わず家に招き入れる危なっかしい側面がある。大船には居酒屋が多くあり、仕事帰りに飲んで気付けば終電がなくなっていたなんてこともあるだろう。
「ていうか本牧さん、早く告っちゃえばいいじゃないですか。じゃないと私も出るトコ出ますよ」
「出るトコ?」
意味深な発言だ。何が出るというのだろう。まさか百合丘さんだけに、衣笠さんを狙っているのだろうか。俗世にいう百合展開というものか。僕の周囲は異性愛者しか心当たりがなく実感が湧かなかったが、昔から同性愛者は多くいる。今さらになって気付いたが、恋愛におけるライバルは、同性のみとは限らない。
「なんでもないです。いいなぁ、私も恋愛したい。けど好きな人もいない」
いないのか、好きな人。ではなんだというのか。これはこれで脳にモヤのかかる疑問だ。
「百合丘さんはこれからでしょう」
「本牧さんはいつまでシコってるんです?」
「表現が下品だよ」
「鉄道用語じゃないですか」
『シコる』は列車の渋滞等によるダイヤ乱れ、車両工場等においては部品が期日までに業者から納品されない状態、またこれらに伴い工程遅延が発生し、車両が予定日までに工場等を出場できない状態等をいう。
こうした用語はベテラン社員がよく用いるが、鉄道好きな中堅や若手の社員が用いる場面もよく見かける。
それよりなによりだ。
やはりあの二人はそういった関係ではない。
その線が最も有力である。
それを知った僕は一安心だ。
徹夜明けの疲労感が十割増しになってしまったが、無事に勤務終了。ゆっくり着替えて帰宅するとしよう。




