駆け込み乗車の気持ち
昨夜は子安さんと飲んで午前さまになってしまったけど、今朝はどうにかいつも通りの時間に家を出た。子安さんといっしょに。
「いやあ、気持ちいい朝だね未来ちゃん! 閑静な住宅街って感じ」
気持ち良くない。眠い、頭が重い。とりあえず電車に乗ったら一眠りしたい。
子安さんに気を遣い少し歩調を緩めて歩いていたら、大船駅に着くまでの時間が普段より2分遅くなってしまった。
湘南モノレール前の階段と、更に奥の階段を上がり、改札口に辿り着いた。
私はモバイル定期券をインストールしたスマートフォンを取り出して改札機にタッチ。子安さんICカード定期券をタッチ。
『チャージしてください』
改札機の音声が、響いた。
「ごめん未来ちゃん、チャージしてくる!」
はははー、引っ掛かっちゃったー、とチャラつき笑う子安さん。ムカつく。
「あ、はい、わかりました」
残高くらい認識しといてよ。
子安さんの後ろには、彼に行く手を阻まれた三人が立ち止まり、他の改札機へ避けている。
私はオートチャージ機能を使っているので、定期券区間外でも改札口で引っ掛かった経験はない。残高が千円を切ると、次回改札機にタッチした際、自動で3千円分のストアードフェアがチャージされるようになっている。
子安さんが券売機に並んでいる間にも時は過ぎ、いつも乗っている電車にはそろそろ間に合わなくなる。
子安さんを置いて先に行ってしまえば良かった。
「お待たせー、さぁ、行こうか!」
子安さんはチャージしたばかりのICカードをタッチ。頭上の壁に設置された列車10本の発車時刻を表示するフルカラー電光表示器の下で待つ私を見つけ、意気揚々と私のもとへ寄ってきた。罪悪感はないのだろうか。
私は「はい」と一言だけ返して、根岸線ホームへ歩き出した。いつも乗っている電車は既に発車している。これでもまだ始業時間には余裕がある。
『お待たせいたしましたー、大宮行きが発車いたします、駆け込み乗車はおやめください』
階段を下っていると、ホームから駅員さんのアナウンスが聞こえてきた。発車メロディーは鳴り終わっているようだ。
「やべ、電車出ちゃう!」
子安さんは一人で階段を駆け下りていった。駆け込み乗車をする気だろう。私は大宮行きを諦めて、次の赤羽行きで座ってゆこうと敢えて彼の後を追わなかった。赤羽行きは既に反対側の乗り場に停車している。
ところがである。
「ほらほら未来ちゃん、早く乗って!」
階段を下り終えると、子安さんが電車の戸袋を背中で押さえ、ドアが閉まらないようにしていた。
「いやいやいいです!」
有り得ない、この人有り得ない。
私のために電車を止めているという親切心なのだろうけど、これは同時に何万人もの人に迷惑をかけるということ。
私は必死に怒りを堪え、ただただ「いいです」と遠慮した。
『戸袋にもたれかからないでください。電車発車できません』
駅員さんが怒りを滲ませアナウンスをしている。
「ほら、早く!」
これは私が乗車拒否している間にどんどん遅延が拡大するパターン。
私は渋々、電車に乗り込んだ。
電車がホームから出ると、この電車と交換でホームに入る予定の折り返し電車が立ち往生していた。
こいつのせいだ、私のせいだ……。
混雑する車両に乗り込み、ほぼ満員の車内。私は罪悪感、羞恥心、怒りで泣きだしそうになりながら、掴まる手摺りや吊り革もない電車に30分も揺られた。
あぁ、なんて惨めなんだろう。
駆け込み乗車をする人は、こういうのが平気なんだ。
モラルの低い人の気持ちを、私はこのとき少しばかり学習した。
職場の最寄駅に着くと、ちょうど降りたところに花梨ちゃんが立っていた。
「おっはよー未来ちゃん!」
「おはよう」
「あ、もしかして、未来ちゃんのお友だち?」
と、子安が割って入ってきた。
「はい、上司の方ですか?」
なんだこのチャラいの。
花梨ちゃんの目はそう語っていた。
「上司っていうか、先輩っていうか? 子安っていうんだ、よろしくね!」
「あ、はい、よろしくです」
営業スマイルのできる花梨ちゃんだけど、そんな表情は一切浮かべず、訝し気に接している。
「じゃ、またねー!」
「はい」
私は花梨ちゃんに軽く「じゃあね」を言って、子安さんと歩き出した。降りた電車が発車してすぐ、私たちがホームから去る前に次の赤羽行きが入線してきた。




