最終の湘南ライナーが出るころに
「ほら、着きましたよ」
うぅ、重かった。仙台で都ちゃんの友だちを運んだときといい、どうして私は酔い潰れた男性を引きずり運ぶことになるのか。
相当ストレスが溜まっていたのか、子安さんはハイペースでアルコールを流し込み、居酒屋チェーンを出るころにはろくに身動きが取れなくなっていた。
正直、飲酒量をコントロールできない人が小百合さんに釣り合うとは到底思えない。
私と子安さんは乗る電車の方向が反対だけれど、ろくに身動きの取れない彼が事故に遭ったら大変。仕方ないので大船の私の家まで運んだ。あまりの重さに耐え兼ね、私は子安さんを玄関先にぶん投げた。
大船駅に着いたのは深夜0時過ぎ。東海道線のホームには久里浜さんが運転したがっている185系特急型電車が停車していた。最終の湘南ライナー。昼間は東京と伊豆を結ぶ特急『踊り子』で使用されている、白地の車体中央部にグリーンの斜めストライプが施された車両。久里浜さんによると185系は1981年にデビューして、日本総合鉄道の現役特急運用車両としては最古参なのだとか。
鉄道会社の人たちと関わっているおかげで鉄道に詳しくなってきた私だけど、久里浜さんや花梨ちゃんみたいなイケイケのギャルが185《イッパゴ》とか233《ニイサンサン》などと車両形式を言葉にしている違和感は未だにある。ギャルでも鉄道員だから鉄道に詳しくないと困るのはわかるけど……。
床にぶん投げられても何ら反応がない子安さん。まぁいいか、寝かせておけば。朝になったら起きるでしょう。
さて、もう深夜だし、私はシャワーを浴びるとしますか。
バッグを置いてスカートを脱いだとき、私は気付いた。
あれ、私ひょっとして、まずいことしてるんじゃ……。
倒れている知人を拾って家の中に投げておくなんてこと、実家ではよくやっていた。
介抱はばぁちゃんが主体になって、私も手伝ったり。
でもいまは一人暮らし。一人の部屋に、本牧さん以外の、つまり恋い焦がれた相手以外の男性を投げている。
しかも相手は酔っ払い。小百合さんと間違えて襲われて好き勝手された挙句、翌朝には『酒に酔っていて覚えていない』なんて言われることも……。
こ、これはまずい、かなりイヤなパターンの処女喪失になりかねない……!
でもどうしよう、このまま子安さんを締め出して彼の身にもしものことがあったら私は殺人犯? 死体遺棄容疑?
だめだ、緊張がほぐれない状態で考えてもパッとした答えが浮かばない。とりあえずシャワーを浴びよう。
上はワイシャツ、下はタオルで隠しながら下着姿で廊下に出る。
子安さんは自分がどこにいるのか恐らくわからないまま、干からびたカエルのように床に突っ伏している。私が彼の両手を持ってぶん投げたからそうなっているだけだけど……。
私はここに越してきて初めて、もしかしたら人生で初めて脱衣所の鍵を閉めて、衣類を脱いだ。
胸のドキドキはときめきじゃなくて、スリリングな緊張感。
浴室に入って、管に残った冷水を流し、温水になってから爪先にシャワーを当てる。それを少しずつ上へ持って行き、肩に辿り着くとホッと息が漏れた。
ここでようやく、別のことに思考が切り替わった。
でもそれは楽しいことじゃなくて、仕事のこと。
好きで入った業種なのに、希望を持って始めた仕事なのに、最近はただスケジュールに追われるだけで、期日までに終わらせられるだろうか、終わらなかったらお客さまに迷惑をかけてしまうし、左遷かクビになるかもしれない、自分が恋愛的な幸福を感じられていないのに、他人の幸せを祝福する気が起きない、そんな思考の堂々巡り。
この緊張感と満たされなさを、私はいつまで繰り返すのだろう?
出口の見えないトンネルが、延々と続く。
そんな私の最近の救いは、過去の苦労が目に見えるカップルの挙式相談。
幼稚園から会社員となった現在に至るまでどこの組織でもいじめられて、誰かに悩みを打ち明けても理解されず蔑まれてきた35歳の新郎と、3歳のころ父が歩道を猛スピードで走っていた自転車に轢かれて死亡、女手ひとつで育てられるも周囲からアパート住まいを卑下され、そのうえ虚弱体質で入退院を繰り返し、母に医療費負担を強いた罪悪感を抱く25歳の新婦。
そんな二人がようやく手にした幸せはとても微笑ましくて、心から祝福できる。
私にはまだまだ、苦労が足りないかな。
災害で住居を失った人や小百合さん、件のカップルの話を聞いたり、そう思う場面が度々ある。
全身を洗い終えた私は浴室を出て、ドライヤーで髪を乾かした。
重苦しい気分でお風呂を出たときは、疲れているときだ。もう1時を過ぎてしまったけど、なるべく早く寝よう。
私は子安さんを玄関に投げたまま寝る準備をして、床に就いた。




