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心失いそうな日々にぬくもりを

 慌ただしい日々は瞬く間に過ぎて、気が付けば新年度を迎えていた。


 働き方改革などという世間の流れとは裏腹に、僕の日々は一層忙しなくなっている。


 本当に改革などされているのだろうかと疑問視したくなるが、ここ一年ほどで夕方早い時間の列車の乗車率が上がり、逆に遅い時間は混雑が少々緩和されている。3月中旬に実施されたダイヤ改正による列車の増減はなく、単純に人の流れが変わったということだ。


「1番線、ドアが閉まります。ご注意ください」


 駅のホームに立って、18時の南行列車を見送る。きょうも乗車率が高い。


 ドアチャイムが鳴り、スクリュー式ドアが静かに閉まる。


 1時間ホームに立ち、列車が無事に発車したので監視業務は終了。行き交う人々の中を潜り抜け、なるべく黄色い線に沿って事務室へ戻る。きょうは日勤シフトだから、ここからは残業だ。


 僕が立っていたのは5号車の停止位置付近。事務室へは9号車の停止位置脇にある階段を下る。


 そこまで辿り着いたとき、涼やかでありながらふわりとした風が薫った。


 ふと、対面の北行線路に目を遣った。


 あれから一年か。


 昨春の朝、線路に転落した衣笠さんを背負ったときのことを思い出した。


 彼女の感触は、過去に触れ合ってきたどの女性とも異なる、ふわりとした感触だった。


 密着していたから、それが背中いっぱいに伝わった。ちょっとしたことで心を失ってしまいそうな忙しい日々に安堵感を与えてくれるような、不思議でやさしいぬくもりだった。


 彼女とはしばらく会話らしい会話をしていない。いまのようにホーム監視をしている際、タイミングが合えば挨拶をする程度。その挨拶も、彼女は年明けころからぎこちなくなって、どうしてかと心が痛い。バレンタインのチョコは百合丘さん伝いでもらい、ホワイトデーも彼女伝いに返した。


 心の濃霧が晴れないまま、僕は事務室のデスクでPCと向かい合った。


 ブライダルトレインに使用する103系電車だが、解体してみたところ、破損や劣化で使えない部品が山ほど出てきた。


 現在では関西以西のごく一部の地域でしか現役運用されておらず、そこでも廃車が進んでいる車種故に、新品部品の調達は難しく、廃車発生品のうち問題なく使用できるものを寄せ集めるほか、現在主力となっている車両と比べ非常に複雑な構造になっているため、ごく僅かに残っている経験のある社員やOBを集め、溶接、組立作業を行う必要がある。


 ざっぐり言うとだが、現在主力となっている車両のほとんどは劣化した部品を新品に取り替え、効率的な検査、修繕を可能としている。また、機械によるオートメーションメンテナンスが可能な部品もある。


 対して103系のような旧型の車両は傷んだものは修理する。部品の数が多いなど、多くの手間と人手を要する。


 では主力車両を中心に検査、修繕をしている現在の車両工場で旧型車両を手掛けたらどうなるか。


 慣れない作業に社員が手こずり、部品の供給もろくにできていない、主力車両も手入れしなければならない。


 作業が輻輳ふくそうして、労働時間が伸びる。


 当然、社員から不満が出てくる。


 僕や工場管理者、支社の社員のように直接車両に触れない者も部品調達やブライダル企業との連絡で時間を取られる。


 幸せなカップルの裏で、皮肉にも泣きを見ている者があまりにも多い状況となっている。


「もう21時よ。ご飯でも食べて、そろそろ帰ったら? カレーができているわ」


 背後から声をかけてくれたのは、徹夜勤務の成城さんだった。黄色いネコのエプロンをかけている。


「ありがとうございます。じゃあ、いただいて帰ります」


 僕はPCをシャットダウンして、休憩室でカレーをいただいた。カレーは成城さんが皿に盛りつけてくれた。


「うん、美味しい」


「ソースかける?」


「はい」


 カレーにソースはかけたりかけなかったりの僕だが、疲れているときは濃い味が恋しい。


 二人きりの休憩室。こうしているとなんだか夫婦のようだ。


 山下公園でのキスから、成城さんは物腰が少し柔らかくなった。あれから特に何もなく、僕に好意を寄せている様子もないが、あれで意外と純粋な彼女は、恋愛感情とは別にしても意識するところがあるのだろう。単純にキスだけのストレス解消効果なら、もうとっくに切れているはずだ。

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