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未来がずっと、ありますように  作者: おじぃ
仙台帰省・宮城の旅9
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生きているということ

 幸福や不幸には、いろんな視点がある。


 災害時のように大切な人やものを失ってしまうのは、とてもつらいこと。


 実際に東日本大震災で足が痺れるほどの揺れを経験して、周囲の人々が悲鳴を上げて、看板を留めていた天井のネジが外れてぶら下がったり、このままでは私のいる場所も足元から崩れるのではという恐怖を味わった。それから1時間後には、ほんの数キロ先の地区が津波に流されて、宮城県内の気仙沼けせんぬまは火の海になった。


 隣の福島県に至っては、未だ荒れ果てたままの地域もある。


 そんな途方もない絶望の地の近くにいながらも私は、当事者の心境など到底想像できずにいる。


 それは私の想像力や人生経験が足りないからだろうか。


 老衰したじぃちゃんはともかく、私と同じように不慮の出来事で特に何も失った経験のない人は、その心情を理解できるだろうか。


「ばぁちゃんは、震災の悲しみとか苦しみを、当事者の身になって想像できる?」


 年を重ねたばぁちゃんなら何か知見があるのではと、私は正面でお茶を啜る彼女に訊ねた。


「ううん、そうだねぇ、なんとなくだけれども、戦争に近いのじゃないかねぇ」


 ばぁちゃんは戦争を経験した世代。震災よりはそちらの苦しみのほうが身に染みている。


「大切な人が行方不明のままになったり、変わり果てた遺体と向き合わなければならなかったり、体験者それぞれの苦痛があるのよ。けどね未来ちゃん、その苦しみを知ったからといって他の苦しみをすべて乗り越えられるかといったら、そうではないのよ」


 穏やかに、ゆっくりと、やわらかい笑顔で、ばぁちゃんは淡々と言った。最後の一文は私の心情を見透かしてのことだから、鷹に掴まれたねずみのような気分になった。


 私は『黙り込む』という反応で、ばぁちゃんに話の続きを促した。


「いいかい未来ちゃん、人生っていうのは修業の場なの。修業が終わったら、じぃちゃんみたいに生涯を閉じる。じぃちゃんは今ごろ天国でゆっくりしているか、地獄で温かすぎるお風呂に入れられて頭を押さえつけられているかねぇ、おほほほほ。ぐつぐつぐつぐつ、ふふふふふ」


 じぃちゃんの地獄行きを想像するばぁちゃんの笑みは、とある有名な夫人のように悪魔じみ、愉悦に浸っているようだった。


 じぃちゃんがいなくなったらやることがなくなってボケてしまうかと心配していたけれど、むしろ少しイキイキしてきたような気もする。


「じ、じぃちゃん……」


 だいじょぶかな、天国に行けてるかな。本牧さんならじぃちゃんと交信できるかな。じぃちゃん、生前は散々ばぁちゃんをこき使っていたからフィフティーフィフティーで地獄行きな気がしなくもない。


「じぃちゃんの処遇は神様に任せるとして、未来ちゃんには未来ちゃんの修行がある。家があること、家族が健在であること、五体満足であること、それはとても幸せなことだから、そうあることに感謝をしなくちゃいけないよ」


「うん、それは身に染みてる」


「それでもね、やっぱり苦しいことはある。未来ちゃんのお父さんやお母さんみたいに夜遅くまで働いて、家族と過ごす時間や、自分の時間が取れなくなったり、学校や職場、集団の中でいじめられたり」


 私は俯いて、それらを想像し、思い起こした。あのフィギュアスケーターのように素晴らしい人がいて、全体的に人柄が穏やかと言われるこの仙台にも、劣悪な、人間とも呼びたくない生命体がいる。生まれ育った土地だから、そういう現実も知っている。


 過労や人間関係に苦しみ、命を絶つ人が後を絶たない。


 戦争や災害がなくても、そのときどきの苦しみはある。


「そういうのも修行といえば修行。そこで気付くこともあるとは思うの。ただね、そういう場から逃げなきゃいけないタイミングは、苦境にいる本人が思っているよりずっと早い。それは、逃げるタイミングや反撃のタイミング、もしくはそのやり方を学ぶ場なの」


「そうなんだろうね、我慢して壊れてしまう前に、逃げなきゃね。でも相手が悪いのに、なんで自分が逃げなきゃいけないの? っていう気持ちも芽生えると思う」


 それはとても勇気の要る難しいことだとは、重々承知。


 逃げるという正解に漕ぎ付けるまでの過程。それは精神的であれ、経済的であれ、その両面であれ、それ以外の理由であれ、困難なこと。


「そうよね、だけどね、人生には、逃げたくない苦しみもあるでしょう?」


 この一連の会話で初めて、ばぁちゃんは私に問いかけてきた。


「うん、叶えたい夢、とか」


「好きな人が、他の人に取られてしまいそうなときとかね」


 核心狙い撃ち。高揚しているのか、ばぁちゃんの口調は先ほどより滑らかになった。ばぁちゃん相手に誤魔化しは利かない。


「嫌いな人や環境からは逃げたくても、好きな人からは逃げたくないわよねぇ。ましてその人が他の人のものになりそうだとしたら尚更」


「う、うん……」


 俯き、唾を飲む。頬が熱くなってきた。


「それはとてもとても、苦しい修行。好きであると同時に、いろんなことを見極めなければならないから」


「いろんなこと?」

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