いつもの暮らし、貴重なワンシーン
小説の余韻に浸り、私は「お世話さまでした」と運転士に告げながらリーダーにカードをタッチしてバスを降りた。
吐息はもくもくと白く、白んだ夜空に散ってゆく。
田舎暮らしの楽しさや人の温かさを主題にした物語と思いきや、まさかのバッドエンド。田舎のエグい部分もけっこうリアルに描かれていた小説。
おおよその田舎の人は、人柄の良い、特に朗らかな人には優しいけれど、心の芯まで素っ気ない、効率や数字、自己都合だけで生きている人は相手にしない。
「ただいまー」
うっすら雪が残った畦道を辿り、いつもと変わらない帰宅。大船に越した現在では、これも貴重なワンシーンとなった。
「あら未来ちゃん、おかえり。きのうのお雑煮が残ってるから、食べちゃってくれる?」
居間のこたつ、お誕生日席ではばぁちゃんが、すっかり静かになった我が家でお茶を啜りながら左手のテレビを見ていた。正月特番のバラエティーだ。ばぁちゃんに興味のある内容かはわからないけれど、なんとなく見ている感じ。
「うん、ありがとう」
家に帰ってご飯が用意されている有難み。これも一人暮らしを始めてからより強く感じるようになった。
「いただきまーす」
「はいどうぞ」
私が自室に荷物を置いてから洗面所で手洗いうがいをしている間に、ばぁちゃんはお雑煮とたくあんを用意してくれていた。
私はいつも通りばぁちゃんの右手、テレビの正面に腰を下ろした。
「たまにはお酒でも呑むかい?」
「うーん、どうしようかな」
言っている間にばぁちゃんは「よっこらせ」と立ち上がり、台所へ。
私の気持ちが‘呑みたい‘に傾いているのを察したみたい。
両親の忙しい我が家では、ばぁちゃんがみんなのお母さん役。
じぃちゃんがいなくなったいま、そろそろゆっくりしてもらいたい。
そう思いながらお雑煮の餅を咥えて箸でびよーんと伸ばしているうちに、お盆に湯気の立ち上る徳利とおちょこを乗せて、ばぁちゃんが戻ってきた。
どちらかといえば冷酒派の私。だけどきょうは熱燗の気分。ばぁちゃんは私の心が冷え切っているのを察している。
畦道を歩いている辺りから、私の心は少しずつ温かくなってきている。
まるいほうを下にして注がれるお酒。「ばぁちゃんは呑まないの?」と問うと「私はお茶がいいのよ」と、年季の入ったやさしい声で言われた。
せっかくだから熱いうちに啜り、口いっぱいに広がる辛口酒の香りで心を消毒。
「ふーう、日本人で良かった」
自ずと目尻と頬が垂れて紅潮する。呑み上戸ではないけれど、こういうことを思うときもある。
そんな私を、ばぁちゃんはいつもにこにこと見ていてくれる。
「ばぁちゃん、いつもありがとうね」
まどろんだ私はヘラヘラと謝意を告げた。
「いいえ、どういたしまして」
「私も家事くらいできるから、無理しないでね」
「ううん、無理なんかしていないよ。むしろじぃちゃんがねくなって(いなくなって)暇を持て余しているくらい」
「どんちゃん騒ぎはしなくなったもんね」
「そうそう、何かしてないとボケちまうから、息子たちは外でせっせと働いて、オラは家でせっせと働く。いまのこの暮らしを死ぬまで続けたいね。地震さあってから、一層そう思うようになった」
「んだね、電気さ通らねぇ食うもんねぇでな」
あのころを振り返ると、いまの私は随分と贅沢な悩みを抱えている。
それでもつらいものはつらい。好きな人といっしょにいたい。その想いは変わらないけれど。
お読みいただき誠にありがとうございます。
次回は来週3月11日(月)に更新予定です。




