僕と彼女の関係性
生暖かい海風が吹く山下公園。停泊する客船から漏れる光や街灯が仄暗い波を映し出し、エキゾチックな夜を演出している。正にブルーライトヨコハマ。このヨコハマならではのロマンを求めて、カップルたちは今も昔もここへ誘われる。
僕らはカップルではないが、いつにも増して泥酔している成城さんの酔い覚ましになればとここへ連れてきた。
景色はとてもロマンチックだが、海風が全身を容赦なく突き刺して、非常に寒い。酔い覚ましにしてもなぜここを選んでしまったのだろうと、己の選択を悔いた。
早く立ち去りたいが、成城さんが僕の肩にもたれかかり、立ち上がったら彼女はその場で倒れてしまいそうだ。
「寒いですね」
「そうかしら」
「東北ではこれくらい当たり前ですか?」
「東北のほうがしっとりしてるわよ。ここの空気は乾いていて心まで冷える」
「なら、どこか別のところへ行きましょう」
「このくらいの寒さでへこたれるなんて、あなたもしかして服着てないの?」
「着てますよ。成城さんの目にはいまの僕がどう映ってるんですか」
「よく見えないわ。そもそもここはどこ? 小樽? 函館?」
「北海道の空気もここよりしっとりしてるんじゃないですか? ここは横浜の山下公園です」
「横浜……。あぁ、青森ね。道理で突き刺すような空気だと思ったわ」
青森県にも横浜という町がある。確かに冬の青森は突き刺す寒さだ。しかし、成城さんにとっては青森の横浜より勤務地である神奈川の横浜のほうが遥かに馴染みがあるはず。ましてや同僚の僕といっしょにいるのだから、神奈川と見てほぼ間違いない。青森という僅かな可能性に賭けるとしたらそれは、
「地名を列挙して悪ふざけをするくらいの余裕はあるんですね」
「ばれた?」
「えぇ、バレバレです」
「だって、まだ帰りたくないんだもん。暴漢には襲われなくても孤独という現実に襲われるから」
いつものクールな表情を崩し、僕の腕にしがみ付いて無邪気に頬を膨らます成城さん。頬が赤いのは酒と海風のせいだろう。
帰りたくないんだもん。
いまの彼女は子ども帰りしているのだろう。
僕は早く帰りたい。隙間風の入るボロ家でも、ファンヒーターで温めれば寒くない。
「暴漢に襲われたほうがマシですか?」
「そうは言ってないわよ。でも生理前に、ふと誰でもいいから襲って欲しくなるときはある」
「すごいことを言いやがりましたね。喜んで襲う男は星の数ほどいますよ」
「でもやっぱり、不潔な男はイヤ。たとえ心が汚されなくても物理的に汚される」
「そうですか」
「どうしようもない女だと思ってるでしょ」
「はい」
こんな話、実際に男に襲われた三浦さんにとってはとんでもないことだ。
「でも、それほどまでにつらいこともあるの、実際。女だから風俗にも行けないし」
それでも実際に襲われたら彼女はきっと、心に深い傷を負うだろう。
倫理や道理では収拾のつかないことも、世の中には山ほどある。
そういう根底の話を、成城さんや三浦さんはよくする。僕もよく、そういうことを思う。
「ねぇ」
「はい」
それは突然で、一瞬だった。不意打ちだった。
頬にやわらかい感触と、それに伴う痺れが、全身を伝った。
「きょうはありがとう」
微笑みながら、彼女は言った。まるで初めてキスをした、奥手な少女のように。
あぁ、そうだったんだな。僕はこのとき初めて確信した。
少女だったころの彼女はきっとクールな振る舞いはしていなくて、雪の中で走り回ったり、少女漫画を読んでクスクスしながら胸をときめかせたり、そんなごく普通の女の子だったのだ。
だが何かのきっかけで、感情を表に出せなくなるときが来る。
大人が子どもより笑わないのは、そういうことだ。
人によっては幼稚園あたりからあまり笑わなくなる。
放り込まれた集団より自分の知性が豊かであればあるほど、同年代の人の輪には溶け込みにくい。
しかしこの国の教育システムは年齢が同じならば一緒くたに扱われる。
僕もそれで苦い思いをした一人。
そんな彼女の背景が、キスをしたときの照れ笑いいっぱいに描かれていた。
「さて、そろそろ帰りましょうか」
「もういいんですか?」
「なに? ホテルにでも行きたくなちゃった?」
「いえ、そういうわけでは」
「ふぅん。でも、私たちの関係は、いまくらいがちょうどいい気がするわ。恋をする相手というよりは、深い友だち」
「そうですね、僕もそう思います」
「ハッキリ言わないでよ。一応女のプライドもあるんだから」
「女心は難しい」
僕は成城さんと恋人になってもいいと思ってますよ。という冗談を、彼女は期待していたのだろう。
「ま、あなたとなら、寝ても構わないけど」
「寝ます?」
「きょうはやめておくわ」
それが正解だろう。こうして僕らは、聖夜の山下公園を立ち去った。




