苦しみを知るから
「皆さま、きょうは本当におつかれさまでした。今回はいつも以上に慌ただしく大変な式になりました。今回のような式は数年に一度、敢えてお受けしておりますが、くれぐれも常態化しないよう宜しくお願い致します。では、乾杯!」
「カンパーイ!!」
小百合さんが乾杯の音頭を取ると、社員一同はシャンパングラスを高々と空に掲げた。
グラスの中身は余った酒類やジュースで、シャンパンの人もいれば、ビールの人もワインの人もいる。私はシャンメリー。
「未来ちゃん、きょうは本当におつかれさま」
「小百合さんもおつかれさまでした!」
「正直なところ、今回は滅入ったわ。悪役を買って出なければならなかったから」
「それはつらい……」
よく訪れる、この会社の底値を割った予算を提示してくるお客さま。普段は断るのだけれど、数年に一度、敢えて引き受けるときがあると小百合さんは言う。
ブラック企業とはこういうものだと、社員に示すために。
私たちルールーコーポレーションにはウエディングドレスや白無垢の如く純白でありたいという指針がある。
しかしながら、純白な体験だけをしていたら、ブラックな環境にいて苦しんでいる人の気持ちを汲めない人間になってしまう恐れがあるということ。
もう一つ、もし当社社員が血迷ってブラックな方針に転換して低予算すぎる式が常態化したらモチベーションが下がって本当に良い式は挙げられなくなるという警告。
こうした観点から敢えて数年に一度、ブラックな式を引き受けるのだそう。
普段より一層の疲労感を漂わせる社員たちは、しかし達成感を味わっているようにも見えた。
なるほど、これがブラック企業が生まれるメカニズムの一つか。
やりがいや達成感があれば、報酬は関係ない……。
私も特に報酬は気にせず、純粋にウエディングプランナーになりたいと思ったけれど、それでも働きに見合った報酬は欲しい。
労働力と報酬のバランスが取れていれば、仕事は続けられる。
実際、仕事は好きだけれど報酬が低く、自らが満足できる生活水準に満たないという理由で辞めていく人が多い業界もあるという。
打ち上げが終わり、私は一人、職場を後にした。
夜遅いので、打ち上げの片づけは休み明けに行う。
緑、青、ピンク、カラフルな光を放つ大観覧車を背に、私は酔い覚ましの散歩をする。カップルがたくさんいるであろう山下公園で少しだけ夜風を浴びたら、駅に行こう。
このまま駅に行ったら、物凄い疲労感とシャンメリーの後に飲んだ白ワインの酔いが災いして線路に転落しそう。
それにしても、うぅ、からだが重い、頭も重い、意識が遠退く。
本当にこのまま駅に行ったら線路に転落しそう。
世の人たちは毎日こんな感じなのかな。
苦しみを知るから、本当の優しさが醸成される。
確かにそうだ。
でも、苦しみの度が過ぎると、心は行き場を失う。




