鶴岡八幡宮
本宮で賽銭を投げ、ふたり揃って合掌。
鶴岡八幡宮では一度に5人ほどが賽銭を投げられるよう、横長の賽銭箱が設けられている。
厳かな宮、騒がしい参拝者。たまにひとりでここを訪れる僕は「本牧悠生です。今日も健やかなるときを賜り感謝しております」と、謝意の念を送った。
参拝の際、多くの人は何か願い事をするだろうが、僕は日々を五体満足に生きられているだけでも十分奇跡的だと思っている。
危険な客と接するときあり、ホームから転落して手足や命を失う人あり、自然災害に見舞われるときもあり。
人間の日常なんて脆いもので、本当に呆気なく崩れてしまう。
鉄道を利用すれば日常的に目にする『人身事故』の4文字。
中には無傷で済む場合もあるが、ほとんどが大怪我や意識不明、死に至っている。
悲劇は貧困な国や紛争地帯のみでなく、この日本でも、毎日山ほど起きている。
そんな中で、僕は五体満足、しかもいまは、大切に想える人と行動を共にしている。
なかなか贅沢ではないか。
これで末永く彼女と寄り添えたら、至高である。
同じことを、僕は何度願っているのだろう。
本当は神様にそれを伝えたい。だが贅沢だと罰が当たりそうで、叶えたいならば日々を真摯に、懸命に生きるほかないと、己に言い聞かせている。
だが気張ってばかりでは自滅する。
家で何もせず、ただ寝転んで終わる日もあれば、こうして出かける日もある。仕事上がり、遠回りになるが普段とは異なるルートで帰宅する日もある。
本殿を出て、石段の前。こちらも幅が広く取られており鎌倉駅周辺の街並みを見渡せる。衣笠さんはスマホで素早く写真を撮り終えたところ。あまり立ち止まると通行妨害になる。
「ここ、いい眺めですね」
「えぇ、鎌倉の絶景スポットベスト3には入ると思います」
「ほか2つは?」
「そうですね、僕の実家の周辺でしょうか。七里ヶ浜の日の出、日の入り、長谷寺から見下ろす相模湾と三浦半島。どちらもよくテレビに出ますが、いいところですよ」
「あそこですね、江ノ島や茅ヶ崎もいい眺めだったから、鎌倉もそうなんでしょうね。長谷寺は行ったことないので行ってみたいです」
「わかりました、ではこのあと行ってみましょう」
「やった!」
ふふふーと、衣笠さんは鼻から感情を漏らしている。わかりやすい人だ。悪くない。
僕らは石段を下り始めた。僕の歩調は、普段より少しゆっくり。
石段を下った先に、舞殿がある。その、小さいながらも厳かな建物では、神前結婚式の最中だ。
僕は結婚式というとウエディングドレスばかりイメージしてしまうが、袴と白無垢もまた、神聖なものである。
「うんうん、こういう結婚式もいいですよね」
「お仕事モードですか?」
「うーん、ちょっとだけ。まだ白無垢希望のお客様とはご縁がなくて」
「そういえば、衣笠さんのお店では白無垢を見ませんね」
「奥のほうに眠ってはいるんですけど……。みなとみらいという土地柄、チャペルや船上での挙式を希望されるお客様が多い反面、白無垢はごく少数に留まっているので、目立つところには置いてないんです……」
「なるほど、それもそうか」
「白無垢は呉服屋さんでも貸しているので、うちみたいな弱小企業では数を用意しにくいという……」
ケーブルカーのようにゆっくりダークサイドに墜ちてゆく衣笠さん。勤めている企業に関するコンプレックスが露わになっている。
「それは企業の役割分担ができているってことですよ。大丈夫、呉服屋さんは白無垢に強い、ルールーコーポレーション(衣笠さんの勤務先)はウエディングドレスを数多く取り揃えている。それでいいんです」
「ローカル線も新幹線もある会社の人に言われてもなぁ」
「いやいや、うちだって全然。全国に線路がある分、行き届いていない物事がたくさんあります。うちもルールーも、どこの事業者も、それを改善する向上心と努力が大切なんです」
「ごもっともで返す言葉がないですね。ちなみに、仙台地区の収支状況は?」
「いいほうですよ。東日本エリアは基盤がしっかりしているので、逆にこれからお客さまを逃がさない工夫が大切になってきます。普通列車でも全員が着席できるほどの車両や運行本数、乗るだけでも楽しい行楽列車。日本は今後急激に人口が減少しますから、皆さまから不愉快に思われない、好かれる会社にしなければなりません。他社もそれには注力しています」
「そうか、大手鉄道会社も経営危機に陥る時代。ウエディングもカップルの減少でこの先どうなるかわからないし。お互い大変だぁ」
大変だぁ、が東北訛りで発せられたせいで、志村けんと同じイントネーションになっていた。
「がんばりましょう。あ、そうだ、ちょっと動物でも見ませんか?」
「動物? いいですね、何が『あ、そうだ』なんだかはわかりませんけど」
訛りの不意討ちで僕が思わず笑いそうになって話題を逸らそうとした故の『あ、そうだ』。
「いや、なんでもありません、お気になさらず」
「あ、その言い草はまた何かで私を嘲笑ってる」
「いえいえ、そんなことは。さ、行きましょう」
「もう」




