気を惹いていたい
海と山が共存し、アップダウンの激しい鎌倉の地形。
これは女性には厳しかっただろうかと、僕は歩きながら反省していた。せっかくだから鎌倉をじっくり歩こうと思ったのだが、僕自身この辺りはあまり徒歩では来ない。記憶を辿っても26年生きて数回しか覚えがない。
自転車で移動するよりは徒歩のほうが楽な感覚だが、それは個人的な感想。衣笠さんにとってはつらい思いをさせてしまっている可能性もある。
「あの、大丈夫ですか?」
「へ? 何がですか?」
まもなく鶴岡八幡宮に辿り着くトンネルの前で、僕は歩道の脇に逸れて立ち止まった。トンネルの脇には封鎖された水道局の送水管路隧道が並行して掘られている。
僕に釣られて立ち止まった衣笠さんは、きょとんとこちらを見た。
「アップダウンが激しいので、歩くには厳しいんじゃないかと」
「いえいえ、このくらい大丈夫ですよ! 畑仕事や仙台の山を歩いてからだは鍛えられているので、問題ありません!」
「そうですか、なら良かった」
「あ、もしかして本牧さんがキツいですか? ちょっと休みます?」
「いえ、僕も大丈夫です。山登りも畑仕事もしていませんが、このくらいなら普通に歩けます」
「ほんとですか? 無理は禁物ですよ」
「えぇ、大丈夫です。本当につらくなったら言いますね」
「わかりました! じゃあ先に進み、いやちょっと待ってください! なんですかこのトンネル! すごく風情があるじゃないですか! これは撮影しないと!」
「ん? 何か面白いですか?」
感動している様子の衣笠さんは自らのスマートフォンを取り出し、トンネルを撮影し始めた。彼女、SNS大好き女子ではないが、気に入ったものを撮影したくなるのは昔からの人間心理だ。
確かにこのトンネルは少し変わっている。
僕らが立つ場所から見て下り坂になっていて、車道の両側に歩道がある。ただ、単なる薄暗いトンネルではなくアーチ状のコンクリートが等間隔に設置されていて、その隙間から木々の枝葉が垂れ下がっているのだ。
ただそれだけに過ぎないのだが……。
「何か面白いって、全部面白いですよ! あぁ、でもなんかわかります、こんなの日常だからって言うんでしょ。神奈川の人って全体的にそういうところありますよね、特に横浜とか湘南の人たちは」
「すみません」
「いいんです。地元に素敵なものがたくさんあるって、素晴らしいじゃないですか! せっかく素敵が溢れてるんだから、満喫しなきゃ損ですよ!」
「満喫と言われても、こうして指摘されないと気付かないことも多々あるので」
「わかりました、じゃあこれから、神奈川とは縁もゆかりもなかったまったく他所者の私が神奈川の魅力を再発見させてあげます! これで本牧さんは、あぁ、僕はこんなに素敵な場所に育ったんだ、癒される、毎日が夢のようだって思えるようになりますよ!」
「そうですか?」
素敵な場所でも、さすがに慣れた場所を夢のようだと思えるとは考え難い。
「それはまぁ、お仕事の日なんかは風情を感じる余裕もないでしょうけど、休みの日はドリーミングホリデーです!」
「なるほど」
いまいち腑に落ちず空返事をしたが、夢休日とはなんとまぁメルヘンな発想だ。
「なるほどって、他人事みたいに。本牧さんが、本牧さん自身の休日が夢のようになるんですよ!?」
「とはいえ見慣れた景色ですから」
「見慣れた景色にこそ素敵があふれている! いいですか、日常なんてあっと言う間に崩れ落ちるんです! それは自然のメカニズムだったり都市開発だったり原因は様々ですが、失ってから気付いては遅いんですよ!」
「それは本当にそうですね。鎌倉だっていつ何が起きるかわからない、災害がなくても人の手で造り変えられてしまうかもしれない」
そうだ、彼女の地元は大きく形を変えてしまった。
極論というものが当たり前に起きる昨今、大げさなくらいに地元を愛でても良いだろう。
「はい! その通りです! でも、本牧さんは地元を知る機会がなかった。だからきっと、初めて知る場所もあると思いますよ! なんだか上手く言えないけど、そういうことです」
僕は思った。彼女は単純に鎌倉の再発見を勧めながらも、またいっしょに出かけて欲しいと僕を誘っている。
なんだか上手く言えないのは、最終目的がそこにあるからではないか。
以前から彼女の気持ちは薄々気付いていて、僕も彼女が好きだ。
余命の懸念を差し置くとすれば、僕は彼女の気持ちをキープしていたい。
ならばこのタイミングが、良いのではないか。
どこか切りの良い場所、そうだな、もうすぐ鶴岡八幡宮だ。
よし、そうしよう。




