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未来がずっと、ありますように  作者: おじぃ
お盆休み・同人誌即売会
131/334

922B快速

「おはようございます」


「おっはよーございまーす」


「おはよう」


 7時半。出勤すると休憩室のテーブルでは百合丘さんと成城さんが革張りソファーに向かい合って座り、パフパフぬりぬりメイクをしていた。挨拶に返事はしたが僕には一切目もくれず、鏡とにらめっこ。


 男のムサい空気漂う鉄道会社らしからぬ光景に、一瞬風俗店の控え室かと目を疑ったが、周囲はやはり見慣れたいつもの休憩室だった。よく見たら二人ともピンクのYシャツ制服を着ている。テレビは臨海副都心にビルを構える民放局のカジュアルな情報番組が流れている。


 衣笠さんのお祖父さんが亡くなった件について話すか否か迷っているところだが、いまはやめて制服に着替えよう。


「本牧、これを」


 着替え終わり休憩室に戻ると、化粧を終えた成城さんがスカートのポケットからおもむろに茶封筒を出し、僕に差し出した。テープや糊付けはされていない。開けて良いか問うて許可を得ると、僕は中身を確認した。福沢諭吉が3人いた。


「あの、これはもしや」


「私からもありますよ」


 と百合丘さんは香典袋を僕に渡してきた。名前がサインペンで濃くしっかり記されている点が個人的には気になるが、衣笠さんは不愉快には思わないような気がする。


「あの、これは衣笠さんの……?」


「えぇ。先ほど三浦さんがいらして、忌引の間は彼女が代務だそうよ」


 三浦さん。衣笠さんが慕う小百合さんのことだ。


「それより花梨、香典袋の文字は専用の筆ペンか薄めの墨液で書くのよ。涙で文字が滲みましたという意味で」


「え、そうなんですか!? どうしよう、そんなの持ってない」


「お弁当の調達ついでにコンビニで買ってくるわ」


「それで、どうして成城さんは茶封筒なんですか」


「だって彼女、私が苦手でしょう。お葬式にはお金がかかるから香典だけは渡しておくけれど、ただでさえ憔悴しているでしょうに余計な気は遣わせたくないから、あなたと花梨の封筒にでも分けて入れておいてちょうだい。知ってる? 田舎では毎月地区の誰かが亡くなったり法事があったりで、出費は1回5万円、掛ける12ヶ月で年間60万円も飛ぶのよ」


 成城さんは畳みかけるように語った。


「そ、そんなに……」


「えぇ、ついこの前、私も郡山こおりやま猪苗代いなわしろの親戚の近所の方が亡くなったばかりよ」


「てか、近所の人が亡くなって香典出すんですね。川崎なんかいつ誰が亡くなったとかわかんないですよ」


 ボソリと闇が深そうな百合丘さんの発言に僕は苦笑、成城さんは寒い目で黙り込んだ。


 川崎。横浜、相模原さがみはらと神奈川県に3つある政令指定都市の一つ。東海道線と京急線の駅メロにも採用されている『上を向いて歩こう』があまりにも有名な坂本九の地元、音楽の街……。


 ブーブブッ!


 詳しい僕の右胸ポケットでスマートフォンが震えた。LINEの着信だ。気まずかったので助かった。


 差出人は久里浜さんで『これから922Bに乗務するからホームの停止位置まで来て!』という内容だった。文面には笑顔系やびっくり系の顔文字、絵文字がふんだんに使われていてバカっぽい。『922B』は列車番号。飛行機の『JAL〇〇〇便』や新幹線の『のぞみ1号(列車番号は1A)』のように、普通列車にもそれぞれ番号が割り振られているのだ。


 業務連絡ならLINEより鉄道電話(日本総合鉄道とそのグループ各社の専用回線)のほうが確実だと思うが、結果的には連絡が取れたので、9時45分発北行(ほっこう)、快速の東十条ひがしじゅうじょう行きを迎えるため、9時40分に停止位置先頭の停止位置へ足を運んだ。ここから2両目にかけてはホームの幅が狭くなっており、なんとか一人が留まれる程度の幅員。一歩足を踏み外せば線路に転落というスリリングな場所だ。


 列車に轢かれなくとも線路に転落しただけで骨折、打ちどころにより死亡する場合もある。踵にヒビで済んだ衣笠さんは幸運なほうだ。


 雑居ビルに囲まれたこの駅周辺に横浜のおしゃれで洗練された空気はなく、代わりにどんよりディープで湘南とは比べものにならないうだるような蒸し暑さが街を支配している。


 接近放送が流れ、レールがひょろひょろと鳴り始めた。列車が接近している合図だ。9時45分は南行列車も同時到着だが、途中区間での旅客混雑により遅れているとの情報があった。


 プーッ、プップププッ!


 柄の悪い輩が運転する自動車のような警笛を鳴らし、そのファンキーさとは相反して列車は僕の目の前で緩やかに停止した。ブレーキングは見事だが警笛がうるさい。それが僕への挨拶であることは承知している。


 運転台横のスライド窓が開き、運転士の制服を纏った久里浜さんが顔を出した。童顔だが制帽はサマになっていて、最近の者ではあまり感じなくなった運転士独特の貫禄やオーラがある。元(現役?)バカギャルとは思えない


「いやあこの前はどうもどうも。かわいい私の寝顔とパンティーが見れてラッキーだったね!」


「お客さまに聞こえるところでそういった発言はいくら僕が相手でも問題なので社内通報窓口に相談してよろしいですか?」


 数人ではあるが、運転台のすぐ後ろの出入口から降りる人がいた。客室にはパッと見120名ほどが乗車している。


「わぁ待った待った! それマジで運転士クビになるマジ卍! 未来ちゃんにこれ、渡しておいて!」


 これ、私の気持ちです! とラブレターを渡すみたいに久里浜さんが両手でバッと素早く差し出してきたのは香典袋。


 受け取ったとき、南行列車が1分延で進入。「わかりました、ありがとうございます」という僕の声は列車の騒音で掻き消されたが、彼女は「うん」と穏やかなやさしい笑顔で返事をしてくれた。久里浜さんに恋人がいなければ、僕はきっとずっと前から彼女に惚れていたと思う。


 そのとき、ギイイッ! と南行列車が急停車。7両目から後ろはまだホームに入っていない。自列車に異常はなくても付近の列車で何かがあった場合、防護無線により急停車しなければならない場合がよくある。


「無線鳴ってます?」


 防護無線が発報された場合、運転台にはピピピと警告音が響くシステムになっている。


「ううん、非常停止ボタンも扱われてない、ね……」


 駅の非常停止ボタンが押されると、ブーッ! というけたたましい音がホーム全体に響き渡るが、それも聞こえない。ならば何が起きたかと久里浜さんも察しているようだが、僕もイヤな予感しかしない。

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