僕は彼女からやわらかさを学んだ
夜が明けて目覚めると、僕は衣笠さんを抱き枕にしていた。下のほうを見る限り、それ以外特に何があったわけでもなさそうだ。
わざわざ僕の横で眠っているのは、昨夜の脱水症状を心配して様子を見に来たら眠くなってしまったからか、好意を寄せてくれているからか。彼女は一般常識で量れるような女性ではないので、自意識過剰は禁物。ただし一般的には、好意を抱いていない異性を部屋に上げて二人きりで一夜を共にするということはない。
華奢なからだを気持ち良さそうに丸め休める彼女を起こしてしまわぬよう、僕はそっと重ねていた身を離した。
スマートフォンの画面を点けると、8時30分を表示。
アブラ、クマ、ニイニイ、ミンミンのけたたましい協奏曲が響く、スカッと晴れた汗ばむ朝。セミの声がないと夏という気がせず寂しいから、僕はこの賑やかさが好きだ。
昨夜の風呂上がりに十分な水分補給をしたとは思うが、胸のあたりがカラカラに渇き、潤いを強く求めている。
倫理的に冷蔵庫を開けるのは恐縮なので、きのう使わせてもらったコップで水道水を3杯いただいあ。
小学校高学年の遠足で水道局を見学した夏、蒸し暑く喉が渇く中2時間も水を飲めなかった拷問を思い出した。好きなタイミングで水分補給ができないなんてただでさえおかしいのに、それが教育機関だから尚更だ。
なお、僕らの会社の一部の人間も、灼熱の現場で働く者にさえ水分補給を許さず、抗議すると査定ポイントを下げたりする。腐乱した組織は良識を嘲笑って排除し、ぬかるんだ通念の傀儡となって筋の通らぬ正義を謳う。
それはほぼ間違いなく僕が属した学校や会社だけの問題ではなく、日本全体の問題になっていると、国の未来を憂慮しつつ、腕に残る未来のやわらかい感触に胸を焦がす。
僕は彼女から、やわらかさを学んだ。
からだの感触ではなく、日々にソフトな娯楽を得るという心の富を培う方法だ。
これまで僕は人並みに娯楽に触れてきたとは思う。
幼少期は朝の子ども向け番組や夜の国民的アニメを見て、次第にドラマの面白さを理解できるようになってきた。
社会人になってからは会社がコラボしたり制作に携わっているロボットアニメや萌え系のアニメもチェックしたが、仕事の一環として見ていたからか、素直に楽しめなかった。
まぁ、カネカネ言いながら液晶タブレットを叩く兼業イラストレーターがそばに二人もいれば、萌え絵を斜から見るようになり購買意欲も起きないというものだ。
そんな僕はやはりそういった世界に深入りする気は起きず、プライベートで嗜むものといえば、多数派には小難しいと揶揄される哲学書や活字本の数々。
おかげで僕はその多数派の人々より遥かに多くの教養を得て、金銭的な余裕はないにしろ、心豊かな人生を送っている。
しかし僕は、そこに偏重していた。




