現存主義と実存主義
いま僕の隣でともに生暖かい夜風を浴び星空を見上げている彼女は、朗らかさと知性を持ち併せた、僕が思う究極に近い人間だったりする。
役目を終えた命は、どこかの星へ還る。
このファンタジックなようで現実的な仮説を、僕も考えたことがないわけではない。
森羅万象、人間に限らずありとあらゆるものには存在意義があり、その与えられた役割を果たしたら、もしくは社会や世界の均衡が保てなくなるほど著しく悪質なものは命を絶たれる。
久里浜さんがあの世でも恋人とともに過ごしたい、だからそのために自分を高めるという旨の発言をしたが、それもこの原理によるものだ。
更に言えば久里浜さんの場合、実存主義に基づく思想でもある。
例えば電車の場合、与えられた役割は人間を安全に目的地まで運ぶことである。しかし電車がもし飛行機になって空を飛びたいと思っても、現代のAI技術ではそうはなれない。与えられた役割があらかじめ決まっていて、それを変えられない。これを『現存主義』という。
人間は自らの影響力の範囲内でなら運命を変えられる。例えば電車の運転士をして人間を運んでいる人がその職を退き、カフェを開いて憩いの空間を提供することもできる。電車の運転士として役割を終えるはずだった人生をカフェのオーナーへと、自ら変えられる。自分の役割を、自分で変えられる。これが『実存主義』。
ただし、地球から災害を無くして全生物の命を事故死傷から救うなんてことは影響の範囲外となるためできない。仮に地震や嵐からは逃れられても、巨大隕石が降ってきたらお終いだ。
僕に与えられた役目が現状32歳で果たせるとしたら、新たな役目ができれば生き長らえられるのではないか?
現存主義や実存主義は神の存在はないものとした『無神論』を前提とするが、もし神の存在を前提として思考を巡らせるならば、僕が持っている予知能力の存在もオカルティックではなく確固たるものとして実証できる可能性が高まるし、脳科学と宗教的観点を結び付けられれば戦争が減るのかなという気もするが、それは脳科学や宗教の専門家に委ねたい。
衣笠さんや久里浜さんが語ったことを論理的に説明すると、以上のようになる。
こういった話は小難しく感じる人も多いだろうが、つまり、
すべてのものには存在する意味がある。
役目を終えたらこの世を去る。
道具は自分で役割を変えられない。
人間は自分の道を自分で拓ける。
ただし巨大隕石の衝突を止めるとか、どう頑張ってもできないこともある。
予知能力は頭でピンとくるものだから、脳科学と関連していると思う。補足として、実際に脳はある程度の予知能力を持っているという説がある。
こういった第六感的なものはオカルティックだったり宗教的に捉えられる場合が多いが、神が存在しないとしても哲学や脳科学で同じ思想に結び付く。
そして、もし神様がいらっしゃるならば、どうか僕をもっと長生きさせてください。
ということだ。
そういえばいつしか自殺目的で線路に飛び込むも、駅に滑り込んできた電車が目の前で止まり轢かれなかった女性がいた。僕ら駅係員に付き添われた彼女は事務室内で「どうして私は死ねないの!? 誰か死にたくない人と代わりたいくらいなのに!!」と泣き叫んだが、きっと彼女にはまだ、この世でやるべきことがあるのだろう。それを見つけて幸せに暮らせる日が来ることを、僕は祈っている。
論理的な説明こそできないかもしれないが、こういうことを考えられて尚且つ朗らかな衣笠さんは、ドジな部分を除けば僕の理想とする人間像だ。なにしろ僕は情熱こそあれ、冷めた態度を取りがちだから。
ふと彼女の顔を見る。
恥ずかしいこと言っちゃった!
そんな表情だ。
お星さまが見守ってくれているなんて子どもじみたことを……!
などと思っているのだろうか?
お読みいただき誠にありがとうございます。今回のお話は『人生が変わる哲学の教室』(KADOKAWA刊:原作、小川仁志、漫画、大月マナ(敬称略))を参考としました。




