大人の在りかた
モノレール電車に揺られ、僕の肩に身を寄せて一眠りする衣笠さん。たった3歳差なのに、随分と若く見える。
日本人は10代後半ころから見た目の年齢差が激しくなり、年齢を判別しにくくなる。どうも衣笠さんは自らの若々しさにコンプレックスを抱いているようだが、若さは財産だ。
終点の大船駅にまもなく到着というところで彼女は目覚め(うっすら意識はあったと思う)、華奢な二の腕とくすぐったくて甘い香り髪の毛が僕から離れた。
途中駅から乗ってきた十数名の旅客とともに改札口をとりあえず出た。
ペデストリアンデッキの下には、ターミナル駅とは思えない片側一車線の狭いメインストリートが伸びている。
「お食事でも行きますか」
「あっ、はい! そうですね、そうしましょう……!」
◇◇◇
「いらっしゃいませー! お好きなお席へどうぞ!」
どこからともなく女性らしき声が聞こえた。
昨夜からきょうにかけて脂っこい食事が続いたのでさっぱりしたものが食べたいと両者合意し、駅付近にある和食チェーンに入った。適度に冷房が効いていて、暖色照明とオルゴール風のBGMが落ち着いた雰囲気を演出している。
19時。店内の席は普段通り6割ほどが埋まっていて、夕食時間帯にしては閑散とした印象を受けるが、最安の定食でも税込み7百円台と一般的なファミレスよりは高めの価格設定。客単価が高いぶん、ゆったりと食事ができる。
ただし昼は満席になる日もしばしば。それでもカウンター席の座席間隔や椅子のピッチは牛丼チェーンより広く、荷物カゴも用意されている。
「いらっしゃいませ! ほうじ茶とお冷でございます。メニューはこちらにございますので、お決まりになりましたらボタンを押してお呼びください」
テーブル席に向き合って座り、僕らと同年代くらいの女性店員に二人揃って「ありがとうございます」と言って、メニュー表を見る。
あれこれ迷った結果、僕は真鱈と野菜を黒酢餡で包んだ酢豚に似た料理、衣笠さんはさばの味噌煮を選んだ。
注文を済ませ、温かいほうじ茶をすすりほっと一息。
コーヒー、紅茶、緑茶とも異なる、ストン、ふわぁと頭から力が抜けてゆく感覚。
「ふぅ、なんか落ち着きますね」
「うん。久里浜さんが賑やかだから、それとのギャップも相俟って」
「ふふふ。私、久里浜さんを見ていて、自分に少し自信が持てました」
「というと?」
「私の周りにいる同年代の人って、本牧さんとか、あと、小百合さんとか、大人っぽい人が多くて。なのに私は子どもっぽくて、もっとしっかりしなきゃ、けどどうすればいいのかわからない。人生経験が浅かったり能力差があったり、一朝一夕ではどうにもならないというか、一生このままお子ちゃまなのかなって焦ってたんです」
「そこで、29歳にもなってギャーギャー騒ぐわパンツ丸出しで寝るわの久里浜さんに出逢ったと」
「ん!? んんん! えと、あの、まぁ確かにそうですが、そういうことではなくてですね!?」
思惑通りわかりやすく動揺する衣笠さんを見て、意地の悪い僕はクスクスしながらほうじ茶を一口啜った。
「あの、なんというかその、ああいう大人のなりかたもあるんだなって」
うんうんと僕は相槌を打ち、話の続きを促す。
「確かに久里浜さんはなんとなく腑抜けているというか大人っぽくないというか、一見そんな印象を受けましたけど、でもその、ちゃんと周囲に気を配っていて、自慢話をするタイミングとか……」
話し下手で混乱しているのか疲れているのか暫し言葉に詰まり、衣笠さんは再び口を開く。
「やさしくて、頼りないように見えるけどちゃんと自分を持ってて、ただ幸せ自慢をするだけじゃなくて、その幸せを分け与えたいって思うから、さっきみたいに江ノ島に連れてって私と本牧さんを応援してくれたり、後輩さんたちに言いたい放題言われてるけど、それは言いやすい性格、コミュニケーションコストですね、社会人っぽく言うと。それが低い。だからその、大人の色気はなくても、話しかけやすくて、やさしくて、ちゃんと自分を持ってる。そんな人ってそう滅多にいないなって思ったんです。
あぁ、そういうのも人間の在り方だな、私もそんな大人になりたいって、素直にそう思ったんです」
「うんうん、なるほど。本人に伝えればいいのに。きっとわんわん泣いて喜びますよ」
「わ、わかりました! 機会を窺いつつ……!」
「ぜひ。実は僕も久里浜さんのことをそう思ってて、駅員になりたてのころ、彼女には本当に助けられました」
「おお、なんですかなんですか!?」
「あ、しまった」
「んん!? なんです!? なんか怪しい」
「ああいや、そういうことではなくて」
「どういうことです? 本牧さんが過去に女の人たちをブイブイ言わせてたっていう噂は聞いてますよ!?」
そうだろうけどそういう話ではなく。
「じゃあ、このあと数時間、お時間よろしければ」
「だいじょぶです! 明日もお休みですから!」
それは、あまり話したくない過去で、でも、僕視点で久里浜さんを語るには決定的な出来事だった。




