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未来がずっと、ありますように  作者: おじぃ
お盆休み・同人誌即売会
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素直な自分になれる場所

 わくわく目を輝かせる衣笠さんを傍らに、僕はページをめくる。


 コテージを模した木造風の駅舎を左手に、右横から女性を捉え、視線の先には年季の入ったロータリー越しにやや大きく横に長い山が聳えている。猪苗代いなわしろ駅前から見上げる会津磐梯山あいづばんだいさんだ。


 昨秋、駅員として観光地を覚えるために僕も一人で猪苗代周辺を散策した。


 福島県といえば原発事故の影響で観光客が減少した地域。この会津地方は福島県内で最も内陸に位置するため放射性物質を心配する必要はないというが、風評被害は免れなかった。


 しかし僕が訪れたときには客足が戻りつつあったようで、水面が瑠璃色に輝く毘沙門沼びしゃもんぬまが有名な五色沼ごしきぬまエリアへ向かう路線バスは老若男女でほとんどの席が埋まっていた。


 真っ赤なのに光が透けて透明感のあるモミジの下、二人寄り添い眼下に広がる毘沙門沼を眺望する老夫婦の姿は遠目で見ていて微笑ましかった。


 当時は恋人こそいなかったものの、まだ女遊びをしていた若気の至りが残っていた。しかしその老夫婦の醸し出す純なオーラは、いつかはあんな風にほがらかな女性と巡り会いたいという潜在的欲求に気付くきっかけの一つだったようにも思える。


「福島の猪苗代ですね! 私も何度か行きましたけど、一人で湖畔の砂利道を歩いてたら足元にヘビがいて、普通なら向こうが逃げると思うんですけどなぜか追っかけられて、危うくまれるところでした」


「やっぱり動物に好かれるんですね。もしかしたら友だちになりたかったのかも」


「はっ……! そっかぁ! クマさんみたいに! 悪いことしちゃったなぁ」


 そう、この衣笠未来という女性の友には野生のツキノワグマがいる。もし彼女を敵に回そうものなら‘殺れ’の一言で未来を閉ざされるかもしれない。


 ページをめくるとそこには日本で3番目に大きな湖、猪苗代湖と遥か彼方の対岸にある郡山の街や山々が背景に描かれていた。それを見渡す東屋あずまやのベンチで、薄曇りした夕焼け空の下、ススキやガマの穂とともにさらさら髪をなびかせる失恋ギャル。


 こういった叙情的な場所にギャルが一人で訪れるという心理を想像してみる。


「この女の子、すごく傷付いてるんですね。失恋して、何もかもがイヤになって、雑多で殺伐とした都会を離れて非日常的な場所へ逃げてきたのかな」


「やっぱり?」


「うん。こういう子って、地元の絶景スポットを散歩するくらいならまだしも、わざわざ電車旅をしてまでこういう場所には来ないと思うんです。偏見ですけど」


「描いた本人に訊けば真意は確認できそうだけど……」


「それをやってしまったら」


「ね」


 成城さん本人が何かを語ってきたら話を聞くが、登場人物の心情を想像するのも物語を楽しむ要素の一つ。


 このあとギャルは湖水風を浴びながら、画面左に田んぼ、右にススキと湖しかないだだっ広い平野の砂利道を歩き、開け放たれた木造平屋の古い食堂を見つける。


 夏でも夕方になると冷え込む東北の、薄暗くなってきた食堂で薄く焼いた卵でとじたラーメンをすするギャルは、店を営むちょっと頑固そうなじいちゃんとほがらかなばあちゃんに囲まれて、こんな気持ち、いつぶりだろうと言わんばかりの素朴な笑顔と一滴の涙をラーメンのスープにこぼす。


 作り笑顔でもなく、面白おかしいから笑うのではなく、純粋に、心の奥底から笑みがこぼれる、そんな場所がある。


 著者はきっと、それを伝えたかったのだろう。


 イラスト集はこれでおしまい。成城英利奈という女性は口こそ悪いが、本当は純粋で可愛いもの好き。この同人誌には素直な自分をぶつけつつ、ギャルと静かな湖畔というミスマッチに挑んだエンターテインメント性も取り入れたのだろう。


 ただなんとなく、それが彼女の百パーセントではないような気がする。私はもっとできる。しかし何らかの制約か頭脳や感性をフル稼働できなかった。そんなジレンマもどことなく感じるのは、僕が日ごろ彼女と接しているせいだろう。


「いい作品ですね! なんだか田舎に帰りたくなりました」


「ぜひ帰ってあげてください。実家を離れてからの家族と過ごせる時間は、仮にご両親があと60年生きるとしてもこれまでいっしょに過ごしてきた22年より遥かに短いですから。おじいさんとおばあさんは尚更です」


「そっかぁ、そうですよね。年4回、3日ずつ帰省するにしても年間12日。おじいちゃんとおばあちゃんがあと10年生きるとしたら残された時間は合計4ヶ月。あぁ、でもお仕事が忙しいからそんなに帰れないなぁ」


 多くの人にとって仕事は家族や大切な誰かと過ごす時間を犠牲にするものである。衣笠さんのお祖父さんに残された時間は恐らく少ないからいっそのこと休職か転職をしてでも帰省してほしいところだが、僕の口からはとても告げ難い。


 気が付けば午前2時。僕は衣笠さんから男性用の寝間着(お祖父さんとお父さんのために用意したものだろうトンボ柄の浴衣。なおパンツはない)を借りてシャワーを浴びた。


 僕がシャワーを浴びたあと、のそのそと起き上がって来た女性3名も順次入浴を開始。成城さんと百合丘さんは15分程度で上がってきたが、久里浜さんが上がる前に僕の意識は飛んでしまった。

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