エロ本まつり
「これが会場の配置図で、このマークしてあるこことここ、これは花梨ちゃんが欲しがっている本があるところなのでどうにか……! あとできれば、できればっ、ここにも行ってほしいんです!」
東京の霞んだ大空の下、吸い込む空気はどんよりして目眩や頭痛を誘発する。影はなくギラギラ太陽が照りつける展示場外の広い駐車場。自動車はおらず、代わりに見渡す限り数千人がスタッフの指示によりカロリーメイトを並べたような長方形の列ブロックをいくつか形成している。僕らは列のほぼ中央にいて、全方位を汗まみれの若者に囲まれている。何割かはアニメのキャラクターが描かれたシャツやバッグを召していて、祭りのせいか普段からなのか、浮足立っているように見える。
なんだろう、よく終電間際の駅で見かけるパリピ集団とは異なるが、これはこれで独特の空気感を漂わせている。
国際展示場駅から速足で10分前後。そこかしこで誘導整理をしているスタッフが衣笠さんと同じく「ここで追い抜きは正義です! 遅い人はどんどん抜かしてください!」としきりにアナウンスしていた。
開場時間の10時を迎えると、祭りの始まりを祝ってか拍手をする人が多く見られた。衣笠さんもその一人。しかし僕らが並んでいる列は動かず、まだ会場内へ入れそうにない。
僕は衣笠さんが持っている少年誌くらいの分厚いカタログに記された新聞記事の文字くらい小さく細かい出展サークルの配置図に目を通しているが……。
「すみません、点々としていて覚えられないかも。スマホで撮影させてもらってもいいですか?」
「あ、はい、どうぞ。こちらこそごめんなさい。本牧さんの分までカタログを用意しておけば良かったのに」
撮影し、それから数回雑談を交えた。
「じゃあ、お互いがんばりましょう!」
「ははは、がんばりましょう」
まもなく列が動き出し、僕と衣笠さんはそれぞれの場所へ向かうため、一度別れた。
◇◇◇
おいおい、これじゃエロ本まつりじゃないか……。
スタッフが掲げる看板に描かれたイラストを見る限り、会場外に列を形成しているのはほとんどがR18作品の創作サークル。道理で男が多いわけだ。並ぶまでそんなことを知らなかった僕は、どういう表情で本を購入すれば良いのだろうか。
ラッシュアワーの電車に匹敵する密集度の人の流れに乗り、一度入った展示場の建物から一旦外に出て、衣笠さんから渡されたメモに書かれた番号の列に並んだ。全長百メートルはある列が建物の外周にいくつも形成され、注意深く確認しないと並ぶところを間違えてしまいそうだ。
だが不自然だ。混雑するイベントとはいえ、会場の敷地面積、周辺の交通インフラやホテルの数に対して人が多過ぎやしないだろうか? いつもラッシュアワーの電車を見送っている駅員の感覚に過ぎないが、なんとなくそんな気がする。
相変わらずの直射日光で、自宅付近のコンビニで購入した1リットルペットボトル入りの水とスポーツドリンクを交互に飲み暑さをしのぐ。5百ミリリットルの飲料は会場内の自販機や一部ブース、売店でも販売されている。水分補給は必須だ。
予め衣笠さんに言われていた通り、これは素人には大変な暑さ。しかし駅に転勤する前、車両の整備工場に勤めていた僕にはこの程度ならなんてことはない。この場所の気温は35℃程度だが、工場内は概ね外気温プラス5℃、夏場は40から43℃台で、冷房装置といえば酷暑により温風の吹く扇風機のみ。そんな中で1センチもない細かい部品を組み込んだり、逆に大きな物体を持ち上げたり転がしたりしていた。しかも当時の管理者は職場に飲み物を置いておくと「休憩時間に詰め所で飲みなさい!」と、事実上の『死ね』を平然と言ってきた。だから僕は反論した上で言うことを聞かなかったが、代わりに評価を下げられた。殺されるくらいなら評価など関係ない。合理性を欠き健康を軽視するのが正義ならば、僕はいくらでも悪魔になる。そう思っていた同僚は少なくなく、謀反者が多かったおかげか熱中症で倒れる者は出なかった。
水分、電解質補給は水とスポーツドリンクを併用して必ずする。これは暑い場所での鉄則だ。
「列動きまーす!」
先頭に立つスタッフの誘導に従って、10分に数メートルほど前進。それを何度か繰り返す。
これを、あと3回もしなければならないのか……。
衣笠さんと百合丘さんから予め諭吉さんを渡され、僕自身、自発的には行かないであろうイベントだから視野を広げてみようと来てみたが、酷暑の中ただ並ぶだけの作業は純粋にしんどい。願わくばクリエイターたちがどんな想いで創作活動に励んでいるのか、購入者たちは何に価値を感じてこの場所にいるのか、何人かにインタビューしてみたいところだ。そういったことは後書きにでも記されているのだろうか?
さて、僕はそろそろ指定の書物を入手できそうだが、衣笠さんはどうだろう。
お読みいただき誠にありがとうございます!
記念すべき第100話のタイトルが『エロ本まつり』……!
本作はラブストーリーのはずですが、キャラクターの恋愛部分以外を描くとそうでない部分もけっこう出てくるなぁと、ずっと以前から感じております。
とはいえもう100回。構想期間を含めると5年以上かかっての到達ですが、ようやくラブストーリーらしい章に近付いてまいりました。
誰と誰がくっ付こうが知ったことではないという意見もありますが、本作は人生を歩んだ結果としてくっ付いたり、くっ付かなかったりする物語ですので、恋愛モノとしてのほか、読んでゆくうちに‘こういう人もいるんだなぁ’とドキュメンタリーを見ているような感覚に浸っていただけたらと存じます。




