ブルドック
休みの日の朝8時。平日であるが、駅業務は不規則な勤務体系のため、休みに曜日も祝日も関係ない。
6月に入り、段々と温暖になってきたこの頃、そろそろ長袖から半袖に切り替えても良さそうだ。梅雨の季節だが空は晴れ、ツバメが住宅地の細道など無関係に颯爽と飛び去る。
目が覚めて、テレビを点けて、気の向いたときにベッドから出て、口をゆすいで、コップ一杯のグレープフルーツジュースを一気に飲み干してからマーガリン入りバターロールを3個頬張り、ワイドショーを見て世間を憂いながら牛乳をほんの少し入れたアイスコーヒーをちびちび飲む。氷は入れない。細いステンレスの取っ手が付いたイタリア製の強化グラスの中で渦巻くクリーミーブラウン。これを飲まないと気持ちが落ち着かず、一日が始まらない。
といっても、やることはないか。
マンションの一室で一人きり。家事をして、食事をして、テレビを見る。それだけの、代わり映えない日々。
このように堕落した生活を送っていると身体が鈍って重くなり、思考回路が不調を訴え建設的な発想ができにくくなってくる。とはいえ何処かにふらっと出掛けて散財すれば、ただでさえ厳しい生活に追い討ちをかける。
限りある人生のなかで、手軽で有効な自己投資はできないものか。
そう考えているうちに、一人で物思いに耽るのもたまには悪くないかと思って何もアクションを起こさないのが休日の恒例行事となってしまった。
そう、たまにではなく、いつもこうだから日々が満ち足りないのだ。
仕方ない。ちょっと出かけるか。
そう思ってようやく重たい腰を上げたのは夕暮れ間近。訪れたのは近場の遊水池。芝生の広場の中央に沼とも呼べそうな大きな池があり、その上には二人がようやく通れる幅のベニヤ板で出来た通路がある。水面が夕陽を反射して白く輝き、少し眩しい。
僕の3メートルほど前方にはハァハァと涎を垂らしている紫の服を着せられたブルドックを連れ、背中に白くて長い鳥の羽が二本刺さったド派手な服を纏った中年女性がモタモタ歩いている。
その目の前をトンボが通過したとき、ブルドックはそれを追ってボシャンと池にダイブ。なんと愚かなのだろう。ペットは飼い主に似るというが、まぁなんというか、あれだ。ブルドックは全身泥まみれになり、自力で通路へ這い上がり、ブルブルと首を振って汚れを払う。
あわあわしてあらあらどうしましょうと狼狽していた女性は我に返り、「あんた見てたんなら助けなさいよ」と僕に因縁をつけてそそくさと去っていった。
やがて水面の輝きは漆黒に染まり、空は太陽の独壇場から無数の星々へ移り変わる。けれど公園を訪れる人々に帰る様子はなく、がやがやと盛り上がっている。そう、わざわざ夕暮れ間近に出掛けたのには、意味があるのだ。




