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ミッション・インポッシブル

「もう、お前だけが頼りなんだ、フサフサ」


 そう言って頭を下げる友人に俺は言葉を返せずにいた。反応に困り、手渡された写真を見直す。何度見ても感想は「酷い」の一言しか思いつかなかった。正直、ぱっと見対応策など考え付かない様な惨状だ。無関係な俺ですら、沸々と苛立ちが込み上げてくる。


「兄さんを……母を助けられるのは、お前しかいない」

「いや、まずなんで俺ならどうにかできると思ったんだ」


 俺は別にスーパーマンでもなければ何でも屋を営んでいる訳でもない、ただのサラリーマンだ。それは確かに今勤めている場所はそこそこ大手だし、その昔は麒麟児と謳われた事もある。だがそれも今は昔の事だし、今必要なスキルだとは思えない。この惨状で、不動産屋で働くスキルが何の役に立つと言うんだ。


「ほら、お前には一流営業としての話術があるだろ? それを買ってるんだ」

「話術でどうにかなるレベルなのか……?」


 一流を自称できる程の会話技術を持つ俺をもってしても、この状況をどうにか出来るような気がしない。例えば出航するタイタニック号に「沈まないように頑張ってください」と交渉しても、最終的に沈没の悲劇を避ける事はできないだろう。今まさに俺はそんな不条理さを感じている。しかし、


「これ以上母が辛そうにしてるのを……見たくないんだよ」


 続けられる悲愴な声。駄目だ、俺はこういうのに弱い。人に弱みを見せられると、自分に何かできる事はないかと考えてしまうのだ。だが今は、今だけは許されない。なぜなら、分かっている。俺にはどうにか出来ない事が、分かりきっているのだ。


「お前でも難しい事は分かってる! 失敗したってお前を責めたりはしない! 勿論うまくいったら礼もするよ! だから……だから、頼む!」


 悲愴が悲壮に変わり、語気が強まる。彼の顔がズズイと俺の傍まで迫った。その勢いに俺は一瞬気圧される。まずい、直感が俺に囁いた。このままでは断る事ができなくなる、早く抵抗を見せろと。しかしもう遅い。一度でも、一瞬でも圧倒された俺に、逃げ道などあるはずがなかったのだ。


「兄さんに結婚……いや、彼女ができるようにしてくれ!」


 追い詰められた俺に、トドメの一言が放たれる。俺の手元から豚のように醜く肥えた男の写真がこぼれ落ちた……。






「まいったぞ……」


 できるだけの事はやってみる、とだけ口約束を交わし町に出て十数分、サイクリングをしながら方法を考えるも、まったく良い手が思い付かない。今までにここまで頭を悩ませた事はあっただろうか。幼少の頃は麒麟児の名を欲しいがままにし、その燐光が衰える前には学業は終わっていた。その後ブラック企業に勤めていた時ですら、自由時間の欠如以外の苦痛はなかったように思える。ああ間違いない、もし俺が晩年にフサフサ自叙伝を書くとしたら、もっとも多くのページを費やす内容になるだろう。それ程に写真の男は俺を悩ませていた。

 写真を見た第一印象はオタクっぽい男。飛び出た腹、ボサボサの髪、服はヨレヨレで、俺自身もある方ではないがこれは断言できる。ファッションセンスも最悪の部類だ。なんだこの全身ユニクロでかためましたみたいな格好は。写真にはそこまで写ってないが、これにリュックとバンダナでも追加してみろ、テレビで珍獣のように取り扱われるいわゆるキモオタの典型だ。当然そこにモテる要素などない、皆無だ。

 この時点で相当無理がある相談、嫌な予感がしたので一応性格についても聞いてみた。ただし、こちらのショックが少ないよう極力簡潔に。答えは本当に簡潔だった。ただ一言「ガノタ」で事足りてしまったのだ。ガンオタ、ガノタ、これらはガンダムオタクの略称だ。意味も文字通り、ガンダムのオタクの事。なるほど予想通りこの友人の兄という男はオタクだったようだ、しかも最悪の部類の。詳しい理由は知らないが、数あるオタクの中でもアイドルオタ、鉄オタ、ガノタはオタクの中でもかなり嫌われやすい傾向がある。最早その時点で大きなマイナス要素。つまり、外見をフォローするどころか更に悪化させる結果にしかならない訳だ。逆に問いたい、良い所は何処にある。


「いや、あったところでって話だな」


 現状では多少中身にいい所があったとしても、外見の時点で終わってしまうだろう。それだけ第一印象でアウトな見た目をしている。しいて言うなら昔ネタ画像に度々登場した「最前線」に似ているか。昔見たときは爆笑したものだが、実際に近くにいるとなると逆に気分が沈む顔立ちである。見るだけで苛立つ顔というのは本当に存在したのか、それとも俺だけがそう思うのか。どうもコイツは昔の俺を思い出させる。

 学生の時分の事だ。俺は相当のオタクだった。毎日アニメや漫画だけで日々を過ごし、体系もこの写真と大して変わらなかったと思う。だが、俺には願いがあった。健全な男子であれば誰もが願うであろう夢……端的に言えば童貞を卒業したかったのである。だから俺は変わった、その願いを叶える為に。その時分からの友人である本件の依頼人、ヌシも俺の脱オタ経験に注目して俺に頼んだのだという。しかし、確かに実績はあるが、彼には分かるまい。俺がオタクを脱却する為にどれだけ血の滲む努力を重ねたか。それをもう一度、しかも他人に対してするとなると気が重くなった。


「はぁ……」


 これで本日何度目だろうか、腹の中に溜まった空気全てを使ってため息をつく。どんなに息を吐き出したところで心のモヤが晴れる事はない。もういっそ諦めてしまおうか。俺の思考は悪い方向に流れつつあった。


「……いや、待てよ?」


 そこでふと、更に悪い考えが頭に浮かぶ。旧知の友であるヌシは、当然昔の俺の写真も持っている訳だ。もしこれで俺がこの依頼を断ったら、その写真を公開するという事はないだろうか。無論忌まわしい過去など周囲の人間には話していない。脱オタする前の俺を知っているのは、その時に俺と関わっていた人間だけなのだ。ヌシがそんな事をする人間だとは思いたくはないが、今日の切羽詰った表情……万が一を考えずにはいられない。


「……や、やっぱり何でもすぐに諦めるのは良くないよな!」


 自分を誤魔化すように精一杯明るい声を出してみる。そして心の中でも自分に言い聞かせた。そうだ、俺はまだなにもしちゃあいない。そんなまま終わる事などできるものか。それに、もし俺が何もできなくても、俺の武器は自分自身だけじゃない。俺には助けてくれる多くの仲間がいるじゃないか。中には今回の相談で力を発揮してくれる人も居るかもしれない。まずは情報を集めよう。そう考えると俺は、自転車のハンドルを大きく左に捻った。


「まずはあいつらだ。よし、いくぞ! ……はぁ」


 意気込んで見たもののやはりため息は出る。他人の彼女作りの為に頑張っている自分は非常に滑稽だ。仮に彼女がうまくできても、それは俺にとっては皮肉にしかならない事を友人は気付いているのだろうか。俺自身、最後の彼女と別れてから結構な時間が経つのだが……。






『それは君、無理な話というヤツだよ』


 きょうげん愉快は今時ありえないような尊大な口調で言い放った。彼を表す硬派なイケメン吸血鬼のアイコンが薄く光る。それに反応したのは、吸血鬼の横にいた少女のイメージ図だ。名前には叢雲 綺と表示されている。


『うわっ愉快さんド直球ですね~』


 そんな荘厳な名前とは裏腹に親しみやすそうな女性の声が響く。愉快もまた、アイコンとは裏腹に硬派でもイケメンでもなさそうな冴えない爽やかボイスで『直球になりたくもなる』と答えた。

 俺が家に帰って最初に始めたのは、インターネットを通じて世界中の人と電話感覚で会話が出来るソフト「カタライプ」だ。これを通じて話している友人の中に、丁度よさそうな人間が居る事を思い出したのである。それは俺が趣味で行っている執筆活動を通して知り合った、言わば同好の士だった。

 一人はきょうげん愉快、何処で切るのかは知らないが俺はとりあえず愉快と呼んでいる。愉快は仮面ライダーで有名な作家だ。有名と言っても一作しか書いてないが、そこで書いた二次創作は今でもそこそこの人気を持ち続けているらしい。もっとも、俺は仮面ライダーに興味がないので良くは知らないが。まぁ、口調や二次創作という点でも分かるかも知れないが、コイツはオタク気質がある。聞いた話だと体型もなかなか近いので、意見が役に立たなくても最悪コイツの言動が何かの参考になるんじゃないかと声を掛けた。

 もう一人は叢雲 綺、皆は綺さんと呼んでいる。彼女はポエマーだ、残念ながら詩はあまり詳しくないのでこの人の作品も読んだ事はない。だが、話を聞いているとかなりいろいろな経験を積んだ、教養ある人物だという事が良く分かる。俺よりも随分年下のはずなのに文武両道、占いやまじないにも詳しく、同い年の愉快とは別の意味で今時ありえない人物である。加えて言えば、その年で既婚者だ……悔しい。彼女を呼んだ理由はまぁ、聞くまでもなく経験豊富だからだ。何か目からウロコな話が聞けると良いのだが。

 さて、そんなこんなで呼んだ二人だが、さっそく愉快を呼んだ事を後悔してきた。まさかこうも出鼻をくじかれるとは。普段紳士ぶっているのに今日は妙に辛らつだ。


「……そんな断言する程駄目ですかね。少しくらい可能性もあるんじゃ」

『これは異な事を。人間は見た目が八割、と豪語したのは他ならぬ君ではなかったかな?』


 愉快は大仰なリアクションで驚いてみせる。それにしても、愉快も俺より年下のはずなのだが、この上から口調はどうにかならないのだろうか。まぁ、少々痛々しいキャラ作りであろうからわざわざ口に出して言いはしないが。


「ああ、言いましたね。でもそれにしたってあと二割残ってるんですよ」

『君、まさかガノタが好かれる要因になるとお思いかね?』


 無論、お思いでない。しかし、実は同時に若干の期待も持っていた。アニオタは肩身が狭いとは言え、ガンダムはまだ知名度はある部類だ。うまい事ガンダムを知っている女性とくっつければ意外とうまくいくのではないかと。


『そんなに悲観しなくても良いと思いますよ。私もガンダムとか好きですから、そういう男性でも恋愛対象になりますし』


 綺さんがフォローを入れてくれる。いや、貴女は既婚者だから恋愛対象にしてはいけないと思うのだが。それでもそういう女性も居るというのは十分にプラス要素だ。その言葉を聞くと、愉快は考え込むように『ふむ……』とわざわざ口に出して言った。


『一つ確認しておこうか。諸君はガノタを”ガンダムが好きな人”程度に考えている様だが、ガンダム好きとガノタは似ているが、違う』


 いや違わないだろう、という言葉が思わず喉を突いて出ようとするが、それを何とか抑え込んだ。愉快がこの様に既存の概念を否定する時は、大抵何らかの自論を持っている。そしてそれを話したくてうずうずしている訳だ。普段なら聞き流したいところだが、今回はなんとなくターゲットがこの男の言う「ガノタ」に近い気がしてならない。気は進まないが一応真面目に聞いてみる事にした。


『ガノタというのは既に知識や嗜好の問題ではないのだよ。例えばだ、恐らく叢雲君は私よりガンダムシリーズに関する知識は深いだろう。だが、叢雲君はあくまでガンダム好き、そして私はガノタという事になる』


 ガノタと呼ばれる事に知識の量は関係ない、と。しかし今の例えだと自分が嫌われ者だと言っているようなものなのだが、悲しくならないのだろうか……いや、ならないんだろう。彼の自虐はもはや持ちネタのようなものだ。


『無論知識もあるに越した事はないがね、それはもう自己満足の範疇だ。ガノタのガノタたる所以は、ガンダム好きが如何に生活へと密着しているかにある』


 なるほど、と俺は心の中で相槌を打った。生活への密着、というよりは自己主張の激しさか。かく言う俺もなんだかんだでオタクなので、ヤツらの押し付けがましさは良く知っている。自分が好きな物は誰もが好き、という意識でもあるのか、やたら自分の趣味の話をしてくるのだ。そういう意味では、確かに綺さんは知識が深くともいろいろな話題を持っているし、愉快は自分の趣味の話になると突然饒舌になる所がある……というか、自覚があってやっていたのか。性質が悪いな。


『だがここまでならば不愉快さは他のオタクと変わらない。彼らが吐き気をもよおす程不愉快なのは、名言という足がかりを持っている事だよ』

「名言? 親父にも~みたいな?」


 名言と聞き、俺がガンダムと聞いて思いつく台詞を言うと、愉快は満足気に『いかにも』と答えた。


『アレが本当に心を打つ言葉なのか、重要な意味合いがあったかは甚だ疑問だがね、ガンダムには有名な台詞が多数あるのだよ。それはフサフサ君が深く考えもせずイメージ出来る事からも分かるだろう。数さえ知っていれば使う機会はいくらでもある』

『あー、居ますね、やたらと名言を使いたがる人』


 多分頷いた時にマイクが擦れているのだろう、綺さんがカサカサと小さな雑音を立てながらそう返す。確かに俺にもそんな心当たりがあるな。多少ずれてても、とりあえず名言が言いたいみたいなヤツは何処にでもいる。彼らにとっては恐らくそれだけ魅力的な言葉なんだろう。内容を真面目に見ていない人間にしてみれば、変な喋り方の奴らのヒステリーにしか聞こえない訳だが。


『微妙に会話が噛み合わず、好きでもない話を持ち出され、且つ知識までひけらかされる。知識自慢としては最悪だ、そうは思わないかね?』


 さっき自分でその一人を自称していたくせにえらい言いようだ。近親憎悪か? こんなによく喋る愉快は久しぶりに見る。普段は少し真面目な話をするとすぐに黙ってしまうのに。だがイチイチ納得できてしまうのが怖い。それだけでも今回は知識だけではなく、経験にも基づいて話しているのだろうと言う事が分かった。


『加えて言えば、フサフサ君の言う男は確実にこういったガノタに相当する人種だ。ただのガンダム好きならば、わざわざ性格をたずねられて特筆するような事ではないからね』


 更に駄目出しが掛かる。イチイチ人のやる気を削ぐのがうまい男だな。なんとなく分かってはいたがわざわざ口に出さなくても良いじゃないか。だんだん最初からありもしなかった自信がなくなってくる。


『悪い事は言わない、諦めたまえ。そんな欠陥だらけの生き物をいちいち修理するより、替え玉でも用意して挿げ替える方法を考えた方が余程希望がある』


 トドメに愉快は冗談交じりでそう締めた。同時に画面の吸血鬼が消滅する。どうやら挨拶もなくログアウトしてしまったらしい。時計を見れば深夜の一時半、大方深夜アニメでも見に行ったのだろう。もういつもの事なので別段なにも思わない。


「替え玉ねぇ……」


 普段の俺なら何を馬鹿な、と思う所だが今回ばかりは声を大にして言いたい。出来ればとっくにやっている。散々マイナス面を見せ付けておいて結論がそれか。まったくとんだ置き土産である。


『あれ、また愉快さん居なくなってますね。霧散でもしちゃったのかな?』


 愉快の事に気付き、綺さんが物騒な事を言う。一瞬「霧散ってなんだ」と思ったのだが、そういえばそんな話をした事があったな。きょうげん愉快は実は都市伝説が具現化したようなモノで、一定の時間が過ぎると自動的に消滅してしまうとか、そんなくだらない噂話だ。カタライプで話すようになってからは案外普通(?)の人間である事が分かったので、最近はもっぱら冗談のように言われる。


「また言いたい事だけ言って行きましたね、はは……」


 俺は苦笑いする他なかった。情報を集める事には成功したと言えなくもないが、まさかこうもロクでもない情報ばかり集まって来るとは。今さらながら愉快を呼んだ事を激しく後悔している。


『あー……まぁ愉快さんはああ言ってましたけど、そこまで酷い事にはならないと思いますよ。なんだかんだで、気が合えば外見なんて気になりませんから』


 聞けば綺さんは昔いわゆるキモオタに部類される男とも付き合った事があるそうだ。なんという勇者、聞きしに勝る経験豊富ぶりである。そして今のは実際に付き合っていた時の体験談。周囲にはいろいろ言われたらしいが、本人達は特に気にはならなかったと言う。これが愛の為せる業か、確かに彼女いない暦=年齢の愉快には浮かびもしない発想だろう。だが、問題がない訳でもない。果たして、肥えたガノタを相手に愛を育むほど付き合ってくれる人間がどれだけいるかという事だ。その懸念が残り、俺の表情は一向に明るくならない。


『とにかく、一回会ってみた方が良いと思いますよ。案外良い人かもしれないじゃないですか』


 返事がなかったからか、綺さんがそう続けてくる。なるほど言われてみればそうかもしれない。よく考えると、俺はまだそのガノタ本人とは出会った事がないのだ。ここで空論を重ねていても仕方がない。俺は綺さんと話しながら携帯でメールを打ち始める。まずは会ってみなければ、そう考えたのだ。あの時は気付いて、いや分かっていなかった。そのお陰で本当の絶望を知らずに済んでいたという事実が。俺がこの時の浅はかな考えを悔やむのは、また数日後の事になる……。


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