不良少年
俺の新しい家(はっきりいうと父さんの家なのだが)は高級住宅が多く並ぶ「静木町」にある。新しい制服に腕を通した俺は、静木駅まで徒歩十分の道を小走りで走っていた。
腕時計に視線を落とすと、あと二分で電車が出てしまう。これに乗り遅れるとまずい。転校初日からの遅刻はきつい。
走っている途中に曲がり角でトーストをくわえた美女にぶつかる……ことはなく、難無く駅へと到着できた俺は、ほぼ飛び乗るかたちで電車に乗る事ができた。
どれだけ科学が進歩しようと、通勤ラッシュの混雑だけは変わらない。ギュウギュウに押しつぶされながらも、何とか奥に進む事が出来たのは中学からの電車通勤歴の賜物だ。
今日から通う「暁鐘学園」には、まだ一度も足を運んだことは無い。都来に来る時に父さんから送られて来たパンフレットを見ただけだ。(ちなみに、俺の了解無しに手続きは済ませてあった)学校への行き方も知らない俺の為に、俊司は金森駅での待ち合わせを提案してくれた。持つべき物は友達だ。しかし、昨日の興奮が冷めず寝坊してしまったためその待ち合わせに間にあうかどうかが怪しくなってきた。
「すみません、すみません」
時間を気にしながらも、少しでも快適に過ごそうと人をかきわけ、これから開きそうな座席を探そうとした。こういうとき、迷惑そうな視線を浴びるのはどこも変わらない。しかし、あと少しという時点で、人混みは微動だとしなくなった。この頑固な人だまりに早くも心が折れそうになる。赤の他人と密着する事十数分、なんていう異常事態のさなか、膝裏にめり込んでくるアタッシュケースだの、背中や後頭部に遠慮なく当たる新聞紙だの、大きな咳をするサラリーマンの音だのと激しい戦いを繰り広げねばならない。きつい香水や整髪料の匂いや何やら得体の知れない悪臭や、音楽機器から溢れ出るかすかすの音楽や、その他のあらゆる不愉快な事態に耐え忍ぶ。
そんな中、女神は手を差し伸べたのだ。
いきなりの急ブレーキでガタンと傾いた人々の間から、座席の端の一席に空席を見つけた。しかも、その辺りは空いている。どうして誰も座らないのか、そんなことも何も考えずに体があの席へと反応する。自分の周りの人があの空席に気づかないかとドキドキしながら体を動かす気持ちを理解していただきたい。そして、周りとの黙戦の末にとうとう俺は空席に座る事に成功した。
その時、周囲の視線が俺に注目した。俺は同時に、何故ここに誰も座らなかったのか、どうしてみんなが距離を置いていたのか、ようやく理解した。
目の前にいる若いOLと、三十代ぐらいのサラリーマンに同情の目で見られたとき、この席に座った事を後悔した。
理由は、俺の右隣で眠っている男だ。
なんと、青いブレザーにチェック地のズボンという暁鐘高校の制服を着用している。座っていても背の高いことがわかる外見から三年生と思ったが、胸元に自分と同じ徽章をつけていることから一年生だとわかった。
これだけでは俺が恐れている理由にはならない。問題は男の容姿にある。
派手に制服をアレンジしてある。ブレザーのボタンは全開で、中に着る指定の白いYシャツは市販の真っ黒なシャツに変わっている。首周りは少し露出していて、ネクタイの変わりにシルバーのアイアンクロスが光っていた。ズボンのポケットからはシルバーのチェーンがぶら下がり、膝の当たりにはダメージ効果がくわえてある。アレンジなんてかっこいい言葉は使ってられない、もはやこれは改造と言った方が正しい。他にも、髪こそ染めていないが日焼けした色黒い肌の耳にしてあるピアスが目立つ。
普通、ブレザーを改造したらおかしくなると聞くが、この男はこのままホストクラブで働けるんじゃないかってぐらいかっこいい………が。
お気づきであるように、この男は明らかに不良なのだ。ドラマやアニメでしか見た事のない存在が今、俺の隣に座っている。(俺が勝手に座ったのだが)
この事に気づいた時にはすでに遅く、偶然にも止まった駅から大量に人が入って来たため、その場を離れる手段は閉ざされた。
ここまでの説明では、ただのオシャレ好きな学生ではないかと思うかもしれない。
しかし、この男を『不良』と決めつける最大の理由があった。
確かに寝ているのに、いつでも立ち上がって人を襲いそうな目付き。それだけではない、どこで負ったのか、固く結んだ口元には赤い傷がある。よく見るとズボンのダメージ加工から覗かせる肌には複数の打撲の跡が有り、心無しか全体的に制服が汚れている気がする。
この男は今から学校に登校するのだろうが、その前に絶対誰かと乱闘してきたに違いない。そんな男とかかわり合いになると、これからの生活に支障が出る事間違いない。自然にしようとしても、緊張からか背筋が伸びてしまう。とにかく無事に金森駅に着く事を祈るばかりだった。
それにしても、どういう訳か俺は前からこの男を知っていた気がする。いや、ごく最近どこかでこの顔をみた……一体どこなのだろう。
「次は金森ー、金森ー」
車内アナウンスを聞いて、俺は少しだけホッとした。その間の数分が、すごく長かったように感じた。あと少しでこの場を離れられる。男はぐっすりと寝ているし、降りる場所が同じだとしても素早く動けば離れられるかもしれない。
胸に希望を抱いた所で、女神は俺を見放した。
すぐ近くで携帯のバイブル音が響いた。珍しいのか懐かしいのか、OLがキョロキョロと辺りに首を動かすと、その目線は男の胸ポケットを見て止まった。
このバイブルで、男は目を覚ましてしまった。