りんご
帰り道。
僕はスーパーで林檎を買った。
お使いを頼まれていた。
その中に林檎は入っていない。
青果コーナーを通り過ぎる折に置かれていたんだ。
赤い色の林檎。
「思ったより高いな」
それが一番始めに出てきた言葉だった。
僕は林檎が好きでも嫌いでもない。
ただ子供の頃、母がよく剝いてくれた。
皮を残して兎の形にしてくれたのをふと思い出した。
いつの間にかしてくれなくなってしまったけれど。
『こんなん無駄だからもうすんなよ』
あぁ。
記憶が甦ってきた。
そうだ。
僕は母にこんなことを言ってしまったんだ。
多分、小学生高学年の頃だろう。
『ふーん。そう?』
母の返事は随分とあっさりしたものだ。
僕は何の気なしに言った言葉だし、母も特に何も考えずに返した言葉だろう。
「2332円です」
店員さんがレジで僕に告げた金額は林檎一個分だけズレていた。
さて、この林檎。
どうしてくれようか。
僕は林檎の皮を剥くのが物凄い下手だ。
くるくるくると一枚の皮にして剥くなんて出来ない。
『下手だね。ゆう君』
母がそう言って笑う。
中学生くらいの記憶だろうか?
たった一つの林檎から紐づけされたように幾つも記憶が掘り起こされる。
十数分の帰り道に二十年以上の記憶が散らばる。
「お母さん。林檎食べたい」
「んー? なら、買っていこうか」
そこに知りもしない親子の会話が混じる。
過去と現在が違うのだと否応なしに知らされる。
「ただいま」
呟くように扉を開ける。
「ゆう君、遅い!」
苛立つ声が響く。
母の声だ。
「何でスーパーのお使いで三十分もかかるの?!」
「ごめん」
記憶に溺れていたなんて言えない。
「こんなにかかるんなら加奈に行ってきてもらえばよかった!」
「ごめんて」
本当に母の声だ。
もうすっかり――。
「って。林檎じゃない」
すっかり母となってしまった妻の怪訝そうな声が落ちる。
「頼んだっけ?」
「いや」
「食べたかったの?」
「うん。多分」
「何それ」
母の色を落として妻が笑う。
加奈が生まれてからは随分と見ていない気がした。
「仕方ないなぁ。剥いてあげる。ご飯作るの一段落してからだけど」
「ありがとう」
ぽつりと言った後。
「兎さんにしてくれる?」
「兎さんって。なにそれ。いいよ。してあげる」
「ありがとう」
僕は妻に感謝をする。
こうして笑ってくれることに。
「お義母さんにもあげる?」
「うん。お願い」
「あんた、昔から兎さんにしてもらってたもんね」
妻の言葉を背に受けながらもう何年も前に亡くなった母の仏壇に告げた。
「林檎。いつも剥いてくれてありがとう」
気まぐれに思い出し、気まぐれに伝えた感謝の言葉。
生前に伝えられなかったのは少し残念だったけれど――。
「はい。兎さん。お義母さんのこっちね」
妻の作った兎さんが母の遺影の前にちょこんと座る。
それを見つめながら。
母の日が近いのをふと思い出していた。
「美味しかったよ。林檎」
今更だ。
だけど、声に出せただけ良かったと思った。
そんな五月の休日。




