【アップ✨】2026年2月1日主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります☕️
初めまして、天川裕司です。
ここではシリーズでやってます『夢時代』と『思記』の原稿を投稿して居ります。
また、YouTubeドラマ用に仕上げたシナリオ等も別枠で投稿して行きます。
どうぞよろしくお願い致します。
少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。
サクッと読める幻想小説です(^^♪
お暇な時にでもぜひどうぞ♬
【アメーバブログ】
https://blog.ameba.jp/ucs/top.do
【男山教会ホームページ】
https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/
【YouTube】(星のカケラ)
https://www.youtube.com/@%E6%98%9F%E3%81%AE%E3%82%AB%E3%82%B1%E3%83%A9-v5x/videos
【ノート】
https://note.com/unique_panda3782
【YouTubeドラマにつきまして】
無課金でやっておりますので、これで精一杯…と言うところもあり、
お見苦しい点はすみません。 なので音声も無しです(BGMのみ)。
基本的に【ライトノベル感覚のイメージストーリー】です。
創造力・空想力・独創力を思いっきり働かせて見て頂けると嬉しいです(^^♪
出来れば心の声で聴いて頂けると幸いです♬
でもこの条件から出来るだけ面白く工夫してみようと思ってますので、
どうぞよろしくお願いします(^^♪
【本日のメッセージ】
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=Gmx8zmTSUuU
【ブログ】
https://ameblo.jp/yujiteiou/entry-12956037020.html
聖書と讃美歌も閲覧できます(^^♪
聖書
『コリント人への第一の手紙』(第三章一一〜一五節)
『詩篇』(第一一八篇一〜二九節)
讃美歌〜♫
讃美歌54番
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=mzoGEP4v2aI&pp=ygUS6K6D576O5q2M77yV77yU55Wq
讃美歌191番
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=g2Uju0V11MI&pp=ygUV6K6D576O5q2M77yR77yZ77yR55Wq
2026年2月1日 礼拝説教 聖書箇所
イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできません。
コリントの信徒への手紙一3章11節
家を建てる者の退けた石が隅の親石となった。これは主の御業 わたしたちの目には驚くべきこと。
詩編118編22,23節
はじめに
信教の自由を守る日は、日本におけるキリストの教会において共なる信仰の闘いの日。
1
「イエス・キリストという既に据えられている土台」とは、教会のただ一つの基礎は、イエス・キリストにあるということ。主イエス御自身、「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない」(マタイ16章18節)と約束された。「この岩」とは文字どおり「ペトロ」のことではなく、ペトロ自身が、「あなたはメシア[キリスト]、生ける神の子です」と、イエスについて言ひ現したのは、「人間ではなく、わたしの天の父なのだ」(同16章17節)と言われたとおり、神の啓示。わたしたちの信仰告白は、神の啓示に基づく、聖書の教理、すなわち、十字架につけられたイエスをただお一一人の贖い主、「主」、「キリスト」と告白すること。使徒パウロ自身、「神からた恵みによって、熟練した建築家のように土台を据え」「他の人がその上に家を建てています」と伝え、「ただ、おのおの、どのように建てるかに注意すべき」と言う。唯一の土台は、恵みの事実として据えられているのに、その「土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできない」。つまり、土台の上に、「神の畑」を耕し、「神の建物」を建てる働きは、ただ、神の恵みによって、十字架につけられたイエスを、ただお一人の贖い主、「主」、「キリスト」であるという真理、教えに立ち続けることによる。パウロ自身、「イエス・キリスト」、「十字架につけられたキリスト」を宣べ伝えた(2章2節)。
2
「この土台の上に、だれかが金、銀、宝石、木、草、わらで家を建てる場合」とは、いわば、
高価な材料と安価な材料を引き合いに、神の家である教会を建てる者の在り方を明らかにします。
立派な神殿を建てるための材料か、庶民的な家屋を建てるための材料か、はともあれ、教会が一致して一つの神の家を建てるために不可欠なことは、恵みの材料であるキリストを主と伝え、聖書の教えである、恵みによる救いの教理の基準も、「イエス・キリスト」であることに立ち、教会の皆が、ただ恵みによる信仰によって生きようとしていること。じつに、「成長させてくださるのは神」(7節)であり、「わたしたちは神のために力を合わせて働く者」(9節)です。そして、今も生きて働いておられる「大祭司であるイエスのことを考え」ること。「万物を造られたのは神」、「キリストは御子として神の家を忠実に治め」ておられる。「もし確信と希望に満ちた誇りとを持ち続けるならば、わたしたちこそ神の家」(ヘブライ3章1~6節)。
3
「おのおのの仕事は明るみに出されます」。「かの日にそれは明らかにされる」。「かの日」とは、「キリスト・イエスの日」(フィリピ1章6節)。「なぜなら、かの日が火と共に現れ、その火はおのおのの仕事がどんなものであるかを吟味するから」。この「火」とは、教会の働きを吟味する「火」。「だれかがその土台の上に建てた仕事が残れば、その人は報いを受けますが、燃え尽きてしまえば、損害を受けます。ただ、その人は、火の中をくぐり抜けて来た者のように、救われます」と教えられるとおりに、「燃え尽きて」損害を受けるものを残すのか、「火の中をくぐり抜けて来た者」のように「救われる」ものを残すのか、神の吟味において明らかになる。「悪人や詐欺師(偽者)は、惑わし惑わされながら、ますます悪くなって」(テモテ二3章13節)いく。しかし、「キリスト・イエスに結ばれて信心深く生きようとする人は皆、迫害を受け」ながらも、忍耐とともに、主の救いと希望を新たにしていく。「主の慈しみに生きる」忠実で敬虔な人は、絶えず、主に感謝をささげつつ、すべての生活を、主のものとして生きる者。ただ主の恵みによって。
おわりに
詩編118編は、主の救いを喜び、感謝をささげる歌。その歌の心、「親石」は、「家を建てる者が退けた石」、十字架の主イエス。このお方をキリストを告白し、生きる教会は、幸い。
(Mynote)
二〇二六年二月一日(日曜日)、今日も兄弟姉妹共に礼拝を守れる事を神様に感謝する。
(子供メッセージ)
『スコットランド教会新カテキズム』
「神様の十の戒めの中で書かれた、二枚目の板には幾つの戒めがありますか。」
「六つあります。」
ある時、イエス様の元に近付き、永遠の命に入るにはどうすれば良いですか?と尋ねた。そこでイエス様は十戒に在る戒め(人の信仰生活の基本)を守れと教えた。するとその人は「私はそれ等の決まり事を全部守って来ました。まだ何が足りないのでしょう?」と聞き返した。するとイエス様はその人に「今持って居る財産を全て貧しい人に施して、私に付いて来なさい」と教えた。その人はそれを聞いて悲しくなり、その場から立ち去った。その人は、財産を唸るほど持って居たからである。
(公同礼拝)
『コリント人への第一の手紙』(第三章一一〜一五節)
『詩篇』(第一一八篇一〜二九節)
「主に寄り頼むは人に頼るよりも良い。主に寄り頼むは諸々の君に頼るよりも良い。」(『詩篇』第一一八篇八〜九節)
教会はこの地上に在るが、それは人の間に在るものに無く、神様とイエス様と、人の間に在るものとなる。人の建物ならば主人は人になるが、教会の主は神様であり、イエス様である。人ではない。教会はそれぞれの土地・国に属しておらず、神様の御国に属し、地上に在りながら教会に集う者達は、地上に在りながら神様の宮(御国)に属するものになる。この事に心を留める必要がある。
この『コリント人への第一の手紙』の前の箇所に、
「或る人は『私はパウロに』と言い、他の人は『私はアポロに』と言って居る様では、あなた方は普通の人間ではないか。アポロは、一体、何者か。又、パウロは何者か。あなた方を信仰に導いた人に過ぎない。しかも夫々、主から与えられた分に応じて仕えて居るのである。私は植え、アポロは水を注いだ。しかし成長させて下さるのは、神である。だから、植える者も水を注ぐ者も、共に取るに足りない。大事なのは、成長させて下さる神のみである。植える者と水を注ぐ者とは一つであって、夫々その働きに応じて報酬を得るであろう。私達は神の同労者である。あなた方は神の畑であり、神の建物である。」(『コリント人への第一の手紙』第三章四〜九節)
この様に在る。教会の主はイエス・キリストであり、天に居られる唯一誠の父、神様である。
ペテロはケファと呼ばれ、ケファとは「岩」の意味である。イエス様はペテロに向かい、他の弟子達にも聴かせる様に、
「そこで、私もあなたに言う。あなたはペテロである。そして、私はこの岩の上に私の教会を建てよう。陰府の力もそれに打ち勝つ事は無い。私は、あなたに天国の鍵を授けよう。そして、あなたが地上で繋ぐ事は、天でも繋がれ、あなたが地上で解く事は天でも解かれるであろう。」(『マタイによる福音書』第一六章一八〜一九節)
と言った。
「陰府の力もそれに打ち勝つ事は無い」とあるが、ペテロ自身にこの様な力は無い。イエス様にその力があるのであって、即ち、天に居られる誠の父、神様にその力があるのである。
人は人の間に居れば、人の価値に囚われ、人の間に派閥を作り、妄想に近い主観により偏見や裁きをし、教会と人の在り方、時によれば神様の在り方までを決めてしまう。その時には聖書の御言葉を正しく解釈出来ず、それでも他人を諭す様に解釈した心算になり、妄想・心の盲目により、その時の自分の在り方を肯定して頑なになる。この事は、人の間で甚だ多く起こる事にあり、又この時に派閥を作り、「私はあの人に」「私はこの人に」と分かれる。そのとき人は神様とイエス様を見ず、人を見て居り、罪人である人に翻弄され、人の内だけで物事の全てを決めようとする。その物事には信仰さえ含まれる。これでは成らない。
教会の主はイエス様であり、イエス様の父である唯一誠の神様であり、人ではない。信仰の大事は人に頼る事に無く神様とイエス様に頼る事に在り、その点に信仰の土台と正義が在る。
これ等の事を知って居て、解って居ながら過ちを犯すのが人間である。罪を経て、悪魔がその様に為す。悪魔は全ての人を、神様から引き離し、滅びに至らせる。だからクリスチャンもノンクリスチャンも等しく、常に自分の信仰に就いて神様と一対一になり確かめ、悔い改める心が大事になる。人は間違う生き物だからである。
地上の物は火により滅びるが、神様の宮である教会は滅びる事がない。信仰に於いて正義に在る人の内には神様の御霊が宿り(この御霊は信仰そのものと捉えて良い)、その御霊は永遠に滅びる事がない。神様から、イエス様を通して全ての人に与えられたこの愛と恵みの内に永遠の命が在り、その命は滅びる事なく天に生かされる。火は試練とも捉えられ、信仰はその試練に打ち勝つ。その信仰をその人の内で育てるのは神様でありイエス様であり、神様からイエス様を通して全ての人に与えられた御言葉は、その信仰に土台を造る。全ての人は神様とイエス様にのみ寄り頼み、先に神様がイエス様を通して全ての人に与えた信仰とその土台、その土台から生まれる福音を喜び歌い、神様とイエス様を賛美せよ。この愛と恵みに感謝して、生活の土台を得させられる。
【日本キリスト改革派 男山教会】
https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/
【最寄りの教会検索用】
https://www.rcj.gr.jp/
Table Caffe〜
榎本保郎牧師 ミニ説教19 「イエス・キリストを身近に」
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=MCyjy8BuIIw
「聖霊は、今日もあなたに豊かに注がれている」
THE DAILY with Arthur Hollands 2023/11/25
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=lF48kQPugKI
ハーベスト・タイム・ミニストリーズ
https://www.youtube.com/@HarvestTimeMin?app=desktop
星のカケラ
https://www.youtube.com/@星のカケラ-v5x/videos
(お暇な時にぜひどうぞ)
少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。
サクッと読める幻想小説です(^^♪
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