29話 後日談
ルドーが迷宮へ辿り着いたとき、そこにあったのは――
静寂だった。
人の気配は、ない。
魔物の息遣いも、戦闘の余韻すらも。
ただ、迷宮の外壁に穿たれた巨大な穴だけが、異常事態を無言で語っていた。
「……ヴェン」
名を呼んでも、返事はない。
「それに……スノーマン……一体、どこに……」
ルドーは短く息を吸い、迷宮の内部へと足を踏み入れた。
覚悟は、すでにできている。
だが、奥へ進むにつれて、彼の足取りは次第に重くなっていった。
――魔物の亡骸。
一体や二体ではない。
本来ならば、一騎当千の兵でさえ命を落としかねない存在が、無造作に、折り重なるように倒れている。
「……本当に……これを……」
言葉が、喉の奥で震えた。
もし――
もし、この光景を先に見たのがヴェンだったなら。
(陛下のもとだ……)
考えるまでもない。
ヴェンは必ず、王のもとへ向かったはずだ。
ならば――
自分がすべきことも、決まっている。
「……ルナ様のもとへ」
この事実を、いまも不安と恐怖の中で待ち続けている王女へ伝えねばならない。
ルドーは迷うことなく踵を返し、迷宮を後にした。
こうして――
迷宮に足を踏み入れた者たちは、それぞれ正しい判断を下しながら、見事なまでにすれ違っていく。
皮肉なことに、そのすれ違いは、すべてが“最適解”だった。
結果として、事態は急速に動き出す。
迷宮消滅の報告を受けた人々は、我先にと祖国へ引き返し始めた。
だが、すでに船を出してしまった者。
アイスヴェルの奥地へ踏み込んでしまった者。
移住の準備を始めてしまった者。
混乱は、収束するまでに数日を要した。
その頃、アイスヴェル王城。
王ヴェルは玉座に腰掛け、騎士たちを前に静かに告げた。
「――誰か。状況を、端的に整理せよ」
一人の騎士が進み出て、時系列を追うように語
り始める。
ルナ王女が救援を求め、アイスヴェルを訪れたこと。
その夜、スノーマンが動き出し、迷宮へ向かったこと。
「目撃情報によれば……スノーマンは、どうやらアイスベアの皮を被って走っていたようです」
「……なんとおお騒がせな」
ヴェルは、深くため息をついた。
「なぜ、そんな格好をする必要があったのだ……」
誰も答えられず、首を横に振る。
報告は続く。
スノーマンはファルコンの一団と遭遇し、戦闘を回避するため、誰もいない場所へ魔法を放って戦力を無力化。
そのまま迷宮へ突入し、内部の魔物をすべて殲滅。
そして――早朝には、すでに帰還していた。
「……あの角は」
ヴェルは、ふと思い至ったように呟く。
「やはり、迷宮の……リリアルの角と考えるのが妥当だろう」
「はい、陛下。
ルナ王女へ渡された角は、間違いなくリリアルのものかと」
ヴェルは、額に手を当てた。
「……それで、この地を目指した人々は?」
「迷宮消滅の報を聞くや否や、皆すぐに引き返しました。
アイスヴェルへ正式に移住した者はおりませぬ」
「……なぜ、この短い期間で、ここまでの騒動が起きる」
呆れと疲労が、声に滲む。
「……して、ガルバスの王からの連絡は?」
「はっ。
ガルバスの王は、迷宮跡地の探索に各方面へ人を走らせており、
回収された魔物の亡骸の鑑定、損失した財の算出など、
あまりにも多忙を極めているとのことです。
当分は、落ち着かぬものと推測されます」
ヴェルは、静かに窓の外へ視線を向けた。
白竜の首がすでに飾られているその場所を見つめながら、
どこか懐かしむように、ひとり言をこぼす。
「……ガルバスの王よ。
その気持ちは、わかる」
かつて、自身も同じ立場に立たされたことがある――
そんな過去を思い出すように。
「だからこそ、早まった行動はするでないぞ」
呆れとも、忠告ともつかぬ声は、
凍てつく空気の中に、静かに溶けていった。




