19話 混乱の行進
スノーマンは、静かに家へと戻った。
玄関を開けた瞬間、
彼はすぐに“人の気配”を感じ取る。
――ああ、いるな。
この家で、
彼にとって何よりも大切な存在。
妹だ。
まだ朝は早く、
彼女は寝床の中で眠っている。
スノーマンは音を立てぬよう家の奥へ進み、
自分の寝床へと身を沈めた。
世界を揺るがす一夜を終えた直後とは思えぬほど、
その動きは穏やかだった。
――少し、休もう。
そう思った次の瞬間、
ゆっくりと近づく足音が聞こえる。
「ルイ!!
まだ寝てるの!?」
妹の声だ。
そう。
スノーマンの名は、ルイ。
ルイは目を擦りながら、
眠たげに答える。
「……ああ。
リリ、今日は早起きだね」
リリは知らない。
兄がスノーマンであることも、
夜明け前まで“任務”を終えていたことも。
「何言ってるのよ!
朝ごはん作るから、それまでには起きてきなさいよ!」
「まったく……いつも怠け者なんだから」
ルイは、苦笑するように微笑んだ。
「わかったよ。
朝ごはんには起きる」
それは本心だった。
実際には一睡もしていない。
だが、疲れがないかと言われれば――
いろいろな意味で、確かに疲れていた。
リリが部屋を出ていくと、
ルイはそのまま目を閉じる。
すぐに、穏やかな寝息が響いた。
これが――
スノーマン、ルイの日常である。
場面は変わる。
アイスヴェルランドを抜け、
関所へと辿り着いたルナ一行。
ルナは、ひと目で異変に気づいた。
「……なに、これ……」
関所の前には、
信じられないほどの人々が列を成していた。
慌てて、ルナは兵士に声をかける。
「な、何事ですか!?」
兵士は驚いたように敬礼する。
「ル、ルナ様!?」
その表情は切迫していた。
「緊急事態です!!
迷宮の……封印が解けました!」
「現在、王国の民をアイスヴェルへ避難させています。
ルナ様も、どうかご一緒に!」
「ちょっと待って!
迷宮が……!?
それに、お父様は!?」
「なぜ、そんなことに……!」
情報が一気に押し寄せ、
ルナの思考は追いつかない。
兵士は息を整え、短く告げる。
「アイスヴェルより――
アイスベアが迷宮へ侵入し、壁を破壊。
封印を壊したと……!」
「迎撃したファルコンの一団ですら、
まったく歯が立たなかったと聞いています!」
「それで陛下は……
王都を捨てる決断を……」
「ちょっと!!
お父様はどこに!?」
「陛下は王都に残られています。
騎士団とファルコンを率い、最前線で時間稼ぎを……」
兵士の声は、次第に強くなる。
「どうか、ルナ様も避難を!!」
「……嫌です」
ルナは、はっきりと言った。
「私は王族です。
お父様が残るなら……私も残ります」
「邪魔をしないで!」
「いけません!!」
兵士の目には、涙の跡があった。
「陛下の命に背くことはできません!」
その時、
静かな足音とともに、一人の男が現れる。
王国直属の執事――ヴェン。
「ルナ様。
陛下より、お手紙をお預かりしております」
差し出された手紙には、
父としての、あまりにも温かな言葉が綴られていた。
そして最後に。
――愛している。
――我が最愛の娘よ。
――どうか、幸せに。
「……っ!」
ルナは、手紙を破り捨てる。
「ちょっと!!
なんでそんなこと書くのよ!!」
そして、懐から二本の角を取り出した。
「これが何かわかる!?」
「スノーマン様が動いた証拠よ!」
「だから落ち着いて!!
きっと……助けてくれる!」
兵士も、ヴェンも、角を見つめる。
ヴェンが震える声で言った。
「……これは……
いったい、どこで……?」
「スノーマン様からよ!
ヴェル陛下も言ってたわ!」
「私たちの国は……救われたって!!」
沈黙。
「……そんな、馬鹿な……」
ヴェンは静かに問いかける。
「その方は……今、どちらに?」
「……わからないわよ」
ルナの声は揺れていた。
「でも……この角がある。
だから……」
それは、祈りに近かった。
「……わかりました」
ヴェンは、静かに告げる。
「ルナ様は、ここでお待ちください」
「私は……迷宮を確認して参ります」
「ヴェン!!
それは危険よ!!」
彼は柔らかく微笑んだ。
「何を仰るのですか。
――救われたのでしょう?」
そのまま、踵を返す。
彼自身、
“救われた”などとは信じていない。
だが、これが最善だと理解していた。
そうしなければ、
ルナもまた、死地へ向かってしまう。
それを止めるためなら――
自分が犠牲になることなど、躊躇わない。
それが、
真なる執事の覚悟だった。
ルナも、騎士も、涙を流す。
こうして、
祖国の民は列をなし、関所を越え、
アイスヴェルランドへと向かっていく。
混乱の行進は、
誰にも止められなかった。




