第七十六話 虚無の樹
他の者に話を聞かれないよう、僕たちはゼルミナの家に移動した。
サイラスだけを木の下に残して、僕たちは木の上に向かって浮遊し、ゼルミナの家に入った。
「毒を撒いた犯人について話したいんだな?」
ゼルミナが会話の口火を切った。
<<そうだ。さっそくだが、なぜゼルミナは蛮族が毒を撒いたと思ったんだ?>>
「目撃者がいたんだ」
<<蛮族が毒を撒いたところを見たという者がいたのか?>>
「そうだ」
<<信頼できる者がそう報告したんだな?>>
「……」
<<サイラスだな?>>
「……そうだ」
そうなの!?
<<「アビスヴォイド」について聞いたことはあるか?>>
「……ない」
<<『虚無の樹』については?>>
「……何が言いたいんだ?」
<<いや、すまない。俺の知っていることと、推測を先に話そう。魔族を中心とした組織「アビスヴォイド教団」というのがここのところ活動を活発化させている。彼らはダークエルフが守っている「虚無の樹」を使って「アビスヴォイド」という存在を復活させようとしているんだ>>
「……『虚無の樹』のことを知っているとはな。エルフ族からその情報を得たか」
<<そんなところだ>>
「だが『アビスヴォイド』なるものの存在は知らん。何なのだ、それは」
<<俺も詳しいことは知らないが、全てを虚無の深淵に引きずり込み、「完全なる秩序」をもたらす者だと言われている>>
「全ての生き物を殺戮するような魔物なのか?」
<<魔物とは違う。もちろん命は失うだろうが、それだけではない。おそらく魂も消滅させるだろう。つまり、世界そのものを無に帰すような存在だ>>
「それが世界のあるべき姿ということか」
<<「アビスヴォイド」や「アビスヴォイド教団にとってはそうだ。だが、俺たちはそれが正しいことだとは思っていない>>
「我らもそんなことは望んでいない。ただ、「虚無の樹」が、エルフ族と世界樹に対抗できる唯一の存在だと信じているだけだ」
<<「虚無の樹」にどのような力があるのかは知っているのか?>>
「『虚無の樹」は原初の存在……我ら長寿のダークエルフ族やエルフ族よりもはるか昔から存在している。世界樹すらも『虚無の樹」の気まぐれから生まれたものだ。「虚無の樹」はこの世界に存在するものをあるべき姿に戻すと言われているが……>
<<その力を発動したことはないのだな?>>
「ない。本当にダークエルフ族が危機に瀕したときのみその力が発動されると言われている。我らはただその樹を守り、その日を待っているだけだ。今回の危機はいよいよその日が来るかと思ったが、新領主が代わりに危機を救ってくれたな」
<<その日が来たら世界の終わりだ。ダークエルフ族も例外ではない……はずだが……いや、そうではないのか……>>
「どういうことだ?」
ゼルミナの疑問ももっともだ。全てを無に帰する「虚無の樹」がダークエルフ族だけを例外として扱うことがあるのか?
<<確証はないからまだ話すのはやめておこう。だが、いずれにしても、「虚無の樹」は守り抜かなければならない。同時にエルフ族の「世界樹」もな。どちらが失われても世界の破滅だ>>
「『世界樹』は害をなすものではないんじゃないの?」
僕がうっかり疑問を呈してしまったが、ゼルミナ気を悪くしただろうか。
<<「世界樹」が失われれば「アビスヴォイド」が甦るだろう。「虚無の樹」が失われても、やはり世界は消滅してしまうだろう。「虚無の樹」が世界の根幹を支えているのだからな>>
虚無が世界を支えている? 無いものが無くなっても何も変わらないんじゃないのか? 意味がわからない。
ただ、どちらがアビスヴォイドの手に落ちても、大変なことになるだろうことだけはわかる。
<<アビスヴォイド教団は「虚無の樹」を乗っ取り、「世界樹」を消滅させようとしている。人々の魔物化でエルフ族を打倒して「世界樹」を、ダークエルフ族を弱体化または死滅させることで、「虚無の樹」を乗っ取ろうとしているんだ。それが毒の散布の目的だろう>>
「『虚無の樹』の所在は領主であっても教えることはできない」
<<それでいい。知っている者が増えれば、情報が漏れる可能性も高まってしまうだろう。だがダークエルフ族がいなくなれば、結界が解かれ、虚無の樹」は顕現してしまうのだろう?>>
「それには答えられない」
<<それでいい>>
「サイラスもそのことはわかっている。サイラスに限って、ダークエルフ族を裏切るようなことはしないはずだ」
<<事情は本人に聞くとするか>>




