第1話 火に焼かれる聖女
灰色の朝。
王都の広場には、湿った石畳と煤けた旗が風に揺れていた。
人々の視線が、私――アグリッピナの身体を囲む。恐怖と憐れみと、そして軽蔑。
「聖女アグリッピナ、王国への反逆罪により、ここに処刑する――」
司祭の声は、鈍い鉄音のように耳に響く。
けれど私には、怖くもない。なぜなら――私は、すでに死ぬことを諦めていたから。
炎の焔が、足元の薪に触れた。赤く、青く、黒く。
熱気が顔をなぞり、皮膚が痛覚を叫ぶ。
それでも私は立っていた。炎の先にあるものは、ただひとつ。
「神よ――」
祈りではない。願いでもない。
呪詛だ。
「――私を、使って」
燃え盛る火柱に包まれ、身体が焼かれていく。
皮膚が裂け、筋肉が焦げ、骨が軋む感覚――それでも意識は消えない。
人間の悲鳴は、耳の奥で混ざり合い、やがて私だけが静寂の中に残った。
そして、声が届いた。神の声――いや、言葉にならない、絶対の命令。
「あなたは死なない。王国を救うその時まで――」
意味が分からなかった。死ねない? 生き続けろだと?
人間の身体が燃え尽きるのに、私はなぜ、意識だけが残っているのか。
石畳の熱さも、炎の痛みも、すべてが現実だ。
けれど身体は焦げ、私の魂は叫ぶ。
――死にたいのに、死ねない。
人々の視線が、遠ざかる。恐怖と嫌悪が、私の心を抉る。
でも、その中に、小さな光もあった。――憐れみではなく、羨望の光。
「ふふ……そうか。ならば、私は異端として生きるしかないのだ」
声は震えなかった。笑ったわけでもない。
ただ、静かに、未来を受け入れた。
焼けた身体を引きずるように、私は広場を歩いた。人々の悲鳴も、司祭の怒声も、すべてが遠ざかっていく。
火柱の向こうで、私は決意した。
――この王国は、腐っている。
王も、聖堂も、全てが偽善と欺瞞で覆われている。
ならば私が――変えてみせる。
第一歩は、ここからだ。
死ねない身体を、呪いを、剣と化す。
目の前の炎の海に、私の影が映る。
それは、もはや聖女の影ではない。
異端の英雄の影。
「行こう、アグリッピナ。世界を救う、戦いの始まりだ」
灰の匂いと煙に包まれながら、私は歩き出す。
誰も知らない、死なない聖女の旅が、今、始まった。