表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/12

#9 並ぶために

最近のかのんちゃんは、なんだかキラキラしている。あの日、自分の胸を受け入れるって決めたあたりから、表情も変わった。同期の望月さんとも仲良くなって、一緒にコスプレの話で盛り上がっている。休憩時間にスマホを見せ合って、「この衣装なら胸が映えるよね」なんて笑っている姿は、前よりずっと堂々としていて、眩しいくらいだ。


正直、嬉しい。嬉しいはず……なんだけど。

まるで私の手を離れて、遠くへ行ってしまうような、そんな寂しさが胸の奥にじんわり広がる。


私だって、コスプレのひとつくらい……と思うけれど、現実的には無理だ。

胸がないくせに、お腹や腰まわりばかり立派に育ってしまって、いわゆる「映える体型」とはほど遠い。衣装に身を包んだ自分を想像しても、どうしても冴えない。むしろ、脇からこぼれるお肉や、ウエストに乗る柔らかい段差ばかりが目についてしまう。


そんなある日、何気なくSNSを眺めていて「腹肉ブーム」なんて言葉を見つけた。ある時期から、ぽっちゃりした女性のゲームキャラクターが増えたようで、そういったキャラのコスプレをした女性たちのお腹が、可愛く、色っぽく撮られている。服の隙間からふわりと覗く柔らかな肉。そこに視線が吸い寄せられる。なるほど、こういうのもアリなのかと、一瞬思った。


けれど、スクロールを続けて気づく。ブームの中心にいるのは、やっぱり胸のある人たちだった。

谷間とお腹の柔らかさ、その組み合わせが“ごちそう”みたいに受けている。


このブームのきっかけとなったとされている立派な太ももの少女も、作中で言及されてはいないとはいえ、胸があり体型にメリハリがある。


私には、その胸がない。結局、ただのお腹の肉を晒すことになるだけ。そういう人もいなくはないけど、評価はされていない。

 「鏡餅のコスプレ?」

 「実家の母親思い出した。親孝行しないと」


これじゃ、コスプレはできない。コスプレどころか、かのんちゃんの隣に並ぶことすら、抵抗がある。

せめてお腹だけでも。そう思って、ダイエットを決意した。


夜、部屋の床にヨガマットを敷いて、ダイエット動画の真似をして腹筋に挑戦してみた。

手を頭の後ろで組み、息を止めて上体を起こそうとする。


「んっ……」


でも、お腹の肉がたぷんと重たく胸にのしかかり、途中で押し返されるようにして身体が上がらない。

下腹のふくらみが折り曲げた太ももに乗りあげて、肉と肉が押し合ってぷにぷにと盛り上がる。

その感触に自分で笑いそうになるけれど、同時に顔まで熱くなる。


二度、三度と挑戦するけれど、やっぱり半分ほどでつかえてしまい、背中が床に落ちるたび、柔らかいお腹が波打って揺れた。


「これじゃ……筋肉じゃなくて、贅肉のトレーニングだよ……」


情けなさにため息が漏れる。けれどその“余計なお肉”は、確かにここに存在していて、私の身体を女らしく丸くしている。

汗ばんだ肌にくっついて重たく揺れるたび、羞恥と一緒に、奇妙な熱が胸の奥に広がっていった。


それならと食事も見直した。量を減らし、野菜中心にしてみる。でも、お腹が鳴る。

柔らかいお腹の内側から「食べたい」とせがむように音が響き、空腹に耐えるたびに自分の贅肉をつまんで気を紛らわせる。


続けたいのに、続かない。


仕事で疲れて帰った夜は、動くよりもベッドに倒れ込みたくなる。

お腹が重たいせいで寝返りすらぎこちなく、布団に沈むたびに自分の肉の存在をいやでも意識させられる。


料理も面倒で、つい惣菜や揚げ物に手が伸びてしまう。

カロリーを気にしながら箸を伸ばすのに、噛むたびにじゅわっと広がる油の旨味に抗えない。

休日は「今日くらいいいよね」と言い訳して、気づけばソファに沈み込み、お腹の段をぽんぽん叩きながら眠ってしまう。


ひとりじゃ、限界がある。


鏡に映る自分を見て、ため息がこぼれた。

腹肉はむしろ柔らかさを増していて、つまめば手のひらにずっしりと重みが返ってくる。

かのんちゃんは前へ進んでいるのに、私はまだここにいる。


__


「はるなさん、ちょっと疲れてませんか?」

残業終わり、心配そうに覗き込んでくるかのんちゃんの目は、いつも通り優しい。その視線に包まれると、胸の奥の弱さが勝手にあふれてしまう。


「うん……ダイエットしようと思ったんだけど、ひとりだと続かなくて。運動も、料理も、面倒くさくなっちゃう」

「私、料理なら得意ですよ。お邪魔してもいいですか?」


その日の夜、かのんちゃんは私の家に来て、キッチンに立った。

小柄な体からは想像もできないほど、包丁を動かす手は迷いなく、リズムよく進んでいく。油の跳ねる音と一緒に、香ばしい香りが部屋を満たし、私のお腹が正直に鳴った。


「これなら低カロリーでも、しっかり食べた気になりますよ」

「えっ、すごい……」


テーブルに並んだ料理は、色も香りも鮮やかで、口に入れた瞬間、ほっと力が抜けた。

野菜たっぷりなのに物足りなさはなく、むしろ、かえって体が求めていた味だった。


「こんなに作れるなら、一人暮らしすればいいのに」

「興味はあるんですけど、なんだか不安で……つい後回しになって」


かのんちゃんがハーブティーを両手で抱えながら、少し照れたように笑う。

その表情を見た瞬間、言葉が自然にこぼれていた。


「……じゃあ、うちに来ればいいのに」


そう口にしたとたん、自分でも驚いた。

それは決して冗談じゃなくて、気を引きたかったわけでもなくて。

本当に、そう思ったから。


驚いたように目を丸くするかのんちゃんと、目が合う。

あ、しまった、って思う前に、顔が熱くなるのを感じた。


「え、あの……迷惑じゃないですか……?」


かのんちゃんがそっと聞き返す。

その声はどこか小さくて、でもちゃんと届いてくる。

テーブルの間に流れる沈黙が、急にやわらかく、あたたかく思えた。


「……ううん。むしろ、嬉しいかも。ひとりじゃ、ほんとに続かないから」


私がそう言うと、かのんちゃんは少し首をかしげて、微笑んだ。


「じゃあ、週に何日かでもいいですか? ご飯作りに来ますね。ついでに、腹筋も一緒にしましょう」

「えっ、私、腹肉がつっかえて腹筋できないよ……?」

「本当ですか? やってみましょう」


部屋の隅、ヨガマットの上で、私は仰向けになった。

かのんちゃんに見守られているだけなのに、変に緊張する。

Tシャツの裾が少しめくれ、ぽよんとしたお腹が覗いた。


「よし、じゃあ腹筋10回から。いきますよ、せーのっ」


かのんちゃんの掛け声に合わせて、上体を起こそうとするけど……。


「んっ……くっ……」

「……あれ?」

「やっぱり、つっかえる……お腹が」


でも、お腹の肉がどうにもこうにも重たくて、途中でぐらりと倒れてしまう。

顔を上げようとするたびに、下腹の贅肉が太ももに乗り上げて、ぷにっと盛り上がるのが自分でもわかる。


「……もう無理……」


私はごろんと横になって、手で自分の腹を抱えた。たぷんと揺れる感触に、恥ずかしさが込み上げてきて、思わず顔を手で覆った。


「それなら、次は腕立て伏せにチャレンジしてみましょう!」


かのんちゃんが笑顔で言うけれど、私はちょっと躊躇した。

腹筋も失敗して、今度は腕立て。正直、自信がない。


でも、やってみよう。せっかく一緒にいるんだし。


ヨガマットにうつ伏せになり、手を肩幅に開く。脚を伸ばして、膝をついて、腕立ての姿勢。


「いけそうですか?」

「……たぶん。……やってみるね」


深呼吸をして、ぐっと力を入れて体を持ち上げようとする。


「う、ううう……!」


二の腕が、ぷるぷる……ぷるぷる……震えるばかりで、肘がほんの少ししか曲がらない。

背中は持ち上がらず、むしろお腹の肉が床にぺたんとくっついてる。


「……上がらない……っ」


腕の筋肉が悲鳴を上げる。それでもあとちょっとだけ、と頑張ってみるけど――。

ぷるっ、ぷるっ、ぷるぷるっ……。


「わぁっ!」


力尽きて、ぺたんとマットに倒れ込んでしまった。


「やっぱり私なんて……」

「はるなさん!」


ぱたぱたと駆け寄ってきたかのんちゃんが、私の隣に膝をつく。

その表情は真剣そのもので、だけど、やっぱりどこか優しい。


「そんな顔しないでください。私だってできないんですから」

「え? かのんちゃんが?」

「はい……見ててくださいね」


彼女はうつ伏せになって、腕立て伏せの姿勢を取ろうとした。


「んっ……!」


バランスを取ろうとした瞬間、胸が床にぐにっと押しつぶされて、上体が下がらない。

顔を真っ赤にしながら、かのんちゃんはつぶやいた。


「……大きすぎて、胸がつっかえて腕立て伏せできないんです……」

「ふふっ」


私、思わず笑ってしまった。

だって、なんだか――おかしくて、可愛くて、ちょっとだけ、ほっとした。


「じゃあ、背筋ならできる?」

「それも……仰向けになると、胸が邪魔で……」


そう言って、今度は上向きに寝転がってみせるかのんちゃん。

けれどやっぱり、潰れた胸がぐっと顔の方に乗りかかり、上体を起こすどころか、喉元までぎゅうぎゅう押されてる。


「……苦しいです……」

「ぷっ、くくくっ」


私は、ついに吹き出してしまった。

涙目になってるのは、さっきまでの悔しさじゃなくて、笑いすぎのせいだ。


「できないの、私だけじゃなかったんだ……」


かのんちゃんも、口元に手をあてて笑っていた。

そして、パチンと手を叩いて言った。


「じゃあ、ふたりでもできるメニュー、探しましょう!」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ