#8 私になる(後編)
社会人3年目のOL・宮下はるなは、新入社員の配属日を迎え、理想の先輩像を装おうと今日もコンプレックスの貧乳を盛る。そこに現れたのが、新入社員・星野かのん。小柄で儚げな雰囲気とは裏腹に、規格外の巨乳を自然に備えた彼女の姿に、はるなは強い衝撃を受ける。配属初日のかのんは、総務課の先輩・はるなに付き添われて、制服のサイズを決めるために試着や採寸を行う。しかし、そこで明らかになるのは、既製品では対応できないかのんの身体。圧倒的な爆乳の存在だった。測定を終えて距離が縮まったかのんとはるなは、業務の説明を通して互いの秘密を共有し、お互いに信頼できる関係となる。翌日、特注の制服を用意できず私服で出勤することになったかのんは、胸の大きさが目立たない服装を選ぼうと苦心する。ジャケットで隠したつもりでも、彼女の身体は注目されてしまう。その胸ばかりが目立ち、「胸の人」として注がれる好奇と欲望の眼差しに追い詰められて、かのんは逃げ出してしまう。押しつぶされそうになりながらも、絶望の淵で自分の胸を「武器」として受け入れ、操る決意をする。決意を新たに更衣室に戻ったかのんは、自分と同じく豊かな胸を持つ同期・後藤ほのかと出会う。自身の体型を自然に受け入れる服選びに触れ、彼女の穏やかな言葉に、ゆるやかな仲間意識を感じる。そして、コスプレ好きの同期・望月りことばったり会う。りこの言葉に背中を押され、かのんの中に「隠すのではなく活かす」という新しい視点が芽生える。その夜、かのんは心配してくれた先輩のはるなの部屋を訪れる。はるなは、ぽっちゃり体型を曝け出しながらも、ありのままを受け入れて生きる姿を見せてくれる。
ふたりは静かに距離を縮めて、一夜を共にする。かのんは初めて「そのままの自分」が受け入れられる安心感を知る。
……そのまま、いつの間にか眠っていたらしい。気づけば、カーテン越しに朝の光が差し込んでいた。
シーツの中で目を覚ました私は、隣にぬくもりを感じる。その存在に、胸の奥がじんわりとあたたかくなった。
はるなさんはまだ眠っていて、ゆったりとした寝息が聞こえる。昨夜、私の手を引いてくれたその人が、今は私のすぐそばにいる。
(……こんな朝、はじめて)
腕をそっと抜いて、そろりと起き上がる。
何も言わずに離れるのが、少し名残惜しかった。
布の感触が妙にくすぐったい。
姿見の前に立ち、自分の髪をざっと整える。
鏡に映る自分は、少しだけ違って見えた。
頬の赤みも、どこか余韻を残しているような気がして、目を伏せる。
ふと、キッチンの方からカップがふれる音がして、私は振り返った。
「……起きてたんだ」
「はい。少し前に」
はるなさんはゆったりとシャツを羽織り、髪を結わえ直しているところだった。その所作ひとつひとつが、昨夜とは違う意味で、胸に触れる。
「コーヒー、淹れるね。ミルク入れる?」
「……お願いします。少しだけ」
視線がふと合って、ふたりして同時に目を逸らす。
でも、すぐに笑ってしまった。
言葉にしなくても、なにかが変わった。
お互い、それをわかっていた。
私はキッチンに向かい、彼女の横に立つ。
指先が、ほんの少しふれた。
その温度に、昨夜の記憶がふっとよみがえって、少しだけ頬が熱くなる。
「……なんか、不思議ですね。昨日と同じ部屋なのに」
「うん。空気、ちょっと違って感じる」
カップを渡す手が、少しだけ長く私の指を包んだ。それがなんでもない仕草のようでいて、すごく特別だった。
私はそのまま、はるなさんの隣に腰を下ろした。寄りかかるわけじゃないけれど、肌の温度が届くくらいの距離。
言葉がなくても、今のこの静けさが、何よりの答えに思えた。
「……今日の服、どうしようかなって。制服、まだ届かないし……」
「私の服、合うかわからないけど、ちょっと見てみよっか?」
そう言って、はるなさんはクローゼットを開け、服を何着か手に取り始めた。
ワンピース、ワイドパンツ、シンプルなジャケット……その中で、ふと私の目に留まったのは、ブラウンのフレアスリーブのブラウス。
「……これ、かわいいですね」
「それね、袖にちょっとボリュームがあるから、上半身のバランスが取りやすくて、胸も目立ちにくいよ」
私の顔色を見ながら、やさしく言ってくれる。うれしい。ちゃんと、考えてくれてる。
続けて、彼女が手に取ったのは、スリットの入ったミディ丈のタイトスカート。落ち着いたチャコールグレーで、柔らかく伸びる素材。
「これはね、ヒップラインはちゃんと見せるんだけど、腰回りはピタッとしすぎないの。後ろにスリットがあるから、動きやすさもあるし、足もきれいに見えるよ」
私は、少しためらいながらも、頷いた。
「……着てみてもいいですか?」
「うん、もちろん。これ、後ろゴムだけど、ストレッチ素材。座ったときにシルエット崩れないよ」
「はるなさんの……でも」
「ウエストじゃなくて、ヒップに合わせて履いて、上はブラウスインすればバランス取れる。ベルト巻こうか」
「うん。胸は……たしかに目立つけど、今のかのんちゃんが、それを隠してないのが、すごく素敵」
借りた服に着替えて鏡の前に立つと、フレアスリーブのブラウスが柔らかく腕を包み、動きやすさと女性らしさを演出していた。
スリットの入ったミディ丈タイトスカートは、チャコールグレーの落ち着いた色味で、腰回りがゆったりしすぎず、しかしピタピタでもない絶妙なフィット感。
特にウエストにあしらわれたベルトが、かのんの細いウエストラインをきゅっと引き締め、スカートのシルエットを美しく整えていた。
「ベルトがあるから、ウエストからヒップにかけてのラインも自然に見えるね。変にゆるくなったりしなくて、すごくいい感じだよ」
はるなさんが鏡越しに微笑んで言う。
私はその言葉に勇気づけられ、胸を張ってもう一度自分の姿を見つめた。
「……不思議。これなら、私にも着こなせそう」
「……なんか、自分じゃないみたい」
「それ、いい意味?」
「はい。……ちょっとだけ、なりたい自分に近づけた気がします」
はるなさんが、鏡越しに目を合わせて、ふっと笑う。
「かのんちゃん、すごく似合ってるよ」
その言葉に、背筋がしゃんとした。
少しだけ、前を向けた気がした。
後日。
はるなさんから、特注の制服を受け取った。薄い紙に包まれた紺色のセットアップが、いつもの制服とほんのわずかに違うのがわかる。
(……これが、私の制服)
縫い目が肌に沿うように工夫され、胸元には目立たないダーツ。肩幅とウエストラインも、何度も採寸を繰り返しただけあって、自然で無理がない。
今までは、目立たないようにするための服装をしていた。
でも今はちがう。似合うように着るための制服になっている。
さっそく着てみなよと促されて、更衣室で着替える。
鏡の前で、そっとボタンを留めていく。
いつもよりほんの少し背筋が伸びた自分が鏡にうつる。
胸は、やっぱり目立つ。
でも、それを隠すために丸めた背中は、もうどこにもなかった。
デスクに戻ると、はるなは小さく微笑んだ。
「記念に写真撮ろうよ」
「はいっ」
自撮りのような構図で2人が並んだ写真。そこに映っているのは「胸の人」ではなく、「星野かのん」だった。
気持ちを切り替えて、作業の続きをする。
この制服に、自分が似合っていく過程こそが、今の私の仕事かもしれない。