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第六話 元カノ

ちょっとお姉さんの茜と素直な稜の関係が垣間見える回です。

 週末、箱根駅伝の予選会の日。

稜と茜は森野からの連絡の通り、会場にいた。シード校以外はこの予選会で上位十位に入らないと箱根駅伝への出場権はない。各大学の選手上位十名の合計タイムで争う、周回のハーフマラソンになっている。

稜と茜は森野に連れられて見学に来た中学生に紹介された。

「こちら新田稜さん、昔箱根駅伝で区間賞出した、あの新田さん」

「へぇ」学生たちが聞いたことあるという反応を見せる。

だが中学生は稜を過去の人としか見ていない。

茜は稜の長袖の袖をツンツンと引っ張って

「何か空気が、ね、アレだね」と囁く。


『出場選手はスタート地点に集まって下さい』


選手の招集がかかり、ザワザワと学生たちが移動していく。

「向こうで見てよう」と稜が茜を促して沿道へ移動しようとしたら

「あれ?稜く~ん?」と声を掛けられた。

声の方へ向くとそこにはワンピース姿の琴美が

「あ~やっぱり稜君!珍しい見に来たの?あれ?髪切った?」と言いながら駆け寄って来た。

暫し茜は気配を隠しながら様子を伺う。

「あぁ久しぶり、最近会社でも会う機会なかったね」

稜は琴美にフラれて以来、会社でも会わないよう経理へ行くのも避けていた。

「そうね、あら、こんにちは」

気配を隠していたはずの茜がまんまと琴美に見つかる。

「こ、こんにちは」茜が清楚な微笑みで返す。ニットにジーンズの自分にもっとお洒落してくれば良かったと何故か悔やむ気持ちが湧く。

「お~い琴美~」と琴美の背後からユニフォームを着た学生が走って来た。

(あゆむ)く~ん、急がないと呼び出しかかってたよ、頑張ってね」

女の子らしい口調、きっとそれはワザとらしいというのかもしれないその口調で琴美が手を振って送り出した。

「あ、稜君会ったことあったっけ、荒木さんの弟、歩君」

「いや、弟が居るのは知ってたけど、大学生?」

「そ、四年生で今年ラストチャンスなの」

「あの~彼氏だよね、確か」

「そうよ、今の彼氏、ヤキモチ?うふふ」

「あ、いや…」

「ねぇ、そのお姉さん?稜君の新しい彼女?」

顎に人差し指を当て、首を少し傾げながら茜を見つめて琴美が聞いた。

「あ、いや…」モゾモゾしている稜の様子から察したのか、すっと稜の左腕に茜は自分の腕を絡めて来た。

「こんにちは、茜って言います。今日は稜君と見学に。もうすぐスタートみたいなんで、ね、稜君行きましょう」

茜も首を少し傾けて、ねっと微笑んでそのまま腕を組みながら観衆の中に紛れていった。応援の学生たちも多く、腕を組んだまま茜とピッタリ寄り添う形になった稜は妙な心音を感じた。ドキドキ?ドクドク?


『パ~ン!!』


「うわ!」

余計なことに気を取られていて、スタートの発砲音に驚いて思わず声が出る。

「大丈夫?」クスクス笑って茜が顔を見上げ、す~っと腕を解いた。茜の温もりが残った左腕が急に軽くなってすうすうする気がする。寂しいという言葉が腕から漏れているような気がして、思わず腕を擦る。

「ねぇ聞いていい?」

「ん?」

「さっきの女の子、元カノ?」

「あ、うん、バレた?」鼻にしわを寄せ稜は気まずそうな顔をした。

「うん、バレバレ。ていうか彼女がばらそうとしてたよね、うふふ」

「何か彼女と間違われて、あかねぇごめんね」

「ううん、逆に私で迷惑じゃなかった?間違われるの」

「大丈夫、光栄です」王子が姫を迎えるような胸に手を当てる仕草をした稜は、くしゃっと笑って三日月の目になった。

「で、いつ別れたの?」

「え~っと、この前二人と一緒に住む前の日」

「え?全然そんな素振り見せないし、失恋の痛手とか無かったの?」

「あぁ、二人と一緒でなんか忘れてた、楽しくて、ハハハッ」

ハハハって~と茜は稜の腕をパシッと叩いて二人で笑い合った。

「ちゃんと言いなさい、寂しいとか悲しいとか、嬉しいとか、ね」

うん、と稜は大きく頷いた。

やっぱり茜はしっかりしたお姉さんだなと稜は思った。ちょっと甘えたくなる。でもそんな気持ちは直ぐに胸にしまった。


 選手たちが目の前を駆けて行き、歓声が沸く。秋の心地いい日差しと澄んだ空気がふっと金木犀の香りを運んですっと消えた。

 選手の走る土を蹴る音、流れる汗に応援の声、息を切らしながら顔をしかめる様子に、稜は記憶の引き出しの奥に少し手を伸ばす。先頭集団にいつもいた。前に見える背を追いかけ、息を整えながら食らいつく。

趣味でランニングをしていた祖父がいつも言っていた、走るのは前だけ見て、前進していくのは自分が進化していくようで好きだと。その姿に憧れ中学、高校と陸上を続けた。徐々に大会に名を残し、大学も推薦で入り箱根駅伝でも活躍した。社会人でも走り続け、どんどん自分自身が進化していくことを稜自身も感じていた。走れば走るだけ、吐く白い息が自分の熱量を表すようで、苦しくても苦しくても目指すゴールをただ見つめて一歩一歩進んでいく。ゴールの先の達成感は倒れこんだ地面に仰向けになって見える広い青い空が、全部自分の物のように思えるほどだった。


「あ、稜君の出身校のチーム!」

紺色のユニフォームの選手を見つけ、茜が言う。それと同時に稜の体は前のめりになって

「頑張れ!肩の力抜いて!」

思わず声をかけていた。

「行け!前向いて!」

思わず熱が入る稜の姿を少し斜め後ろから茜が見つめる。陸上好きなんだ、と。

時間にして1時間ほどが過ぎようとする頃、上位の選手は走り終えてゴール地点に人が集まっている。

「稜君の母校まだかな?」

茜が心配そうに目の前を過ぎる選手の後方を背伸びして気にする。

「来た来た!」紺色のユニフォームを見つけ稜の腕を掴む茜。

「ラスト!頑張れ!」

腕を掴まれているのに気付かず、一歩前に出る稜。茜がクスっと笑いながら、

「いっといで!」とその腕をポンと押す。

「え?」その腕を見て稜は我に返る。

「ゴールまで一緒に走りたいんじゃない?」

茜がそう言うと、うん!と口をギュっと結んで頷き

「あ!ほら、来た!」と茜に促されて

「行ってくる!」と沿道の人混みの中を走り出した。

「ラスト!足前に出して!踏ん張れ!」

選手は稜の声に気付き、うんと頷き前をみて走り続ける。

「そうだ!前を見て、前を!」

人混みの中に消えていく稜を目で追って、茜は微笑んでいた。ちょっと熱さを感じる稜を見て、何だかカッコイイなんて思ったのは自分の胸に直ぐしまった。



茜がゴール会場に追いついた頃、森野が中学生達に色々説明していた。キョロキョロと見回すと、木陰にぽつんとしゃがんでいる稜がいる。

「お疲れさま。結構走った?」

少し息を切らしていたようで「あ、う、ん」と返事も曖昧だった。

「ロッキーとの散歩じゃ体鈍ってたな、ハハ」

そう続けた稜の顔がすっきりしている。茜が手を差し伸べ、しゃがんでいた稜がそれを握って、ヨイショと立ち上がる。

「楽しそうだね」茜がそういうと三日月の目をして稜が「うん、楽しかった」と、二人で笑い合った。


『お待たせいたしました、順位発表を行います』


アナウンスの声に中央にある順位表のパネルに皆の視線が集まる。

箱根駅伝の出場権は上位十位には入れないと貰えない。上位八位くらいまでは常連の大学が名を連ね、順当な発表に歓声が上がって行く。

『続いて九位は・・・』

「きゃぁ~!」

発表に女性の大きな歓声が上がった。琴美の声だ。彼氏の荒木歩が所属する大学が入賞したのだ。琴美がキャッキャはしゃいでいるのが視界に入る。稜も茜も何とも言えない顔をしてしまう。

『続いて十位は・・・』

九位十位でもほんの五秒差。勝負の世界は厳しい。

「うぉ~!」

歓声が上がった。喜ぶチームがあれば涙を呑むチームがある。勝負とはそう言うものだ。だが四年生はもう出場チャンスはない。留年しても出場は一人四回までの規定がある。四年生は涙し悔しい思いを露呈して地面に泣き崩れた。

森野が稜を見つけ駆け寄って来た。

「新田さん!」

「お疲れ様、久しぶりに楽しかった」

「生徒達も終盤新田さんが掛ける声援を聞いて一緒に盛り上がってました」

「役に立ったのかな?」照れてクシャっと笑う稜。


稜と茜は金木犀の香りに包まれながら、秋色の木々と高い青い空の下、並んで歩いた。

「あかねぇ、今日付き合ってくれてありがとう」

「うん、楽しかったね」

「久しぶりに全速力で走ったかも」

「そう言えば、稜君が走ってる姿って初めて見たかも。ほら、稜君が中学の頃はあまり出会うことも無かったでしょ、私高校生で」

「確かに」

「あと陸上ってあまり見る機会なくて」申し訳なさそうに茜が言う。

「そうだよね、冬にテレビで中継のあるものくらいしか見ないよね」

「箱根駅伝も旅行とか行ってて知らなくて、ごめん」

「俺の雄姿見て欲しかったなぁ~あかねえにも。惚れるかもよ~」

と稜は冗談交じりに言う。

「これからは?もう走らない?」

「ん~選手にはもう無理だから」

「そっか、髪切ってカッコよくなったのになぁ~走らないんじゃ惚れられないね~」アハハハハと二人は笑った。

あかねぇ、髪切ったの気付いてたんだ…と少し照れて稜は頭をかいた。ん~いい香りと茜は金木犀の香りをかいだ。


お読みいただきありがとうございました。

金木犀の香りに運ばれる二人のこの時間はいつか変化するのか、この先もお付き合い頂ければと思います。

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