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第五話 ランナー

誰かと出会うことで、人生はちょっとずつ変わって行きます。

三人の今後もまた動き出しそうな回です。

 三人が住み始めてから数週間、十月になった。

茜は夜勤明け六時にコンビニを出る。夏とは違い日が昇るのは少し遅くなっている。

コンビニの駐車場から通りに出た茜の前方に稜がロッキーを散歩させている姿が見えた。思わず駆け出し「お!おはよう」と声をかける。

「お~おはよ~お疲れ~」

振り返った稜は片手を上げ茜とハイタッチをする。ロッキーは相変わらずぐいぐいリードを引っ張っているが、初めて会った時に比べると足取りは稜と合って来ていた。

 二人と一頭は並んで歩道を歩き、どうでもいいような話を楽しそうにし、ロッキーの短い尻尾がピコピコと軽快に揺れながら家に向かう。


「ただいま~」

お隣の丘山家に着き、ロッキーを飼い主の十三へ渡す。

「いつもありがとう、助かる」

そう言いながらニコニコロッキーの頭を撫でる十三は「万佐江さん、稜くんのお弁当は?」と家の中へ呼びながら入った。

「本当に毎日お弁当作ってくれるんだね」

茜は感心して言う。

「俺は好きで散歩してるんだけど。走らなくなったから」

ぼそっという稜の言葉に「え?」と聞き返す間もなく、万佐江がお弁当を持ってくる。

「あら茜ちゃんも一緒だったの?ごめん稜君のお弁当しか用意してなかったわ」

申し訳なさそうに言う万佐江に「たまたま今帰り一緒で、お散歩はしてないので」と笑顔で答えた。

「あら、茜ちゃん今仕事帰りなの?女の子なのに夜勤?心配ね~。あ、そうだ!今スムージー作ってたのよ、それ持ってって」

「あぁそんな~いいですって」

という間もなく万佐江は家の中に戻って行く。

どうしよう、という顔をして稜を見上げた茜に「貰っておきな、万佐江さんあかねぇと仲良くしたいんだと思うよ。俺時間ないし先帰ってるね」と手を振って家に戻って行く。

万佐江は実の娘に大型犬なんか年寄りなのに飼ってと叱られ、何かと遠慮している分、茜に世話を焼けるのが楽しそうだった。

タンブラーに入れて持ってきたスムージーの中身の説明を楽しそうに茜に話す万佐江。茜は一口飲んで、わぁ小松菜苦くないですね!フルーツもたっぷり入ってるんだぁ、などと興味深そうに聞いてくるので万佐江の話は止まらない。

「今度また違う味の作って持って行くわね。稜君は小さい頃からお野菜苦手っぽくて、茜ちゃん喜んでくれるから嬉しいわ~」

「お肌に良さそうだしこちらこそ嬉しいです」と茜も微笑む。実際想像より美味しくて、これなら毎日飲みたくなると思ったくらいだった。そのうち万佐江の話はおじいちゃん子の稜の子供の頃の話までになり、すっかり話し込んでいる。

 稜が祖父とこの家で暮らし始めて、一緒によくジョギングをしていたこと。陸上部に入ってどんどん足が速くなって、自慢の孫だといっていたこと。大学から寮生活になってちょっと寂しくなったけど、箱根駅伝に出場した時沿道に応援にいったこと。その後病気で亡くなったのだが、社会人で活躍する姿をきっともっと見たかったはずだし、稜も見せたかったはずだと、万佐江は言った。

「陸上はおじいちゃんの影響なんですね。で、今は走ってないとかって聞いたんだけど…」

「あぁ、それね・・・」

と話の途中で

「あ!あかねぇ、鍵開けてあるから!」

と稜が出勤の支度を終えて声をかける。

「了解!行っといで~」茜が軽快に答えて

「行ってくるぅ」と手を振りながらにっこり振り返って駆けて行った。

「ふふふ、何だか(きょう)(だい)みたいね」と万佐江が笑う。

「まぁ、空と稜くんは小学生の時と変わらないから、今も二人寄ったら子供みたいだし、ふふふ」

と稜の背中を見送る。

「一昨年の怪我以来ちょっと元気なくて心配したんだけど…」

「一昨年?」

茜は万佐江から稜が怪我をして今は陸上を辞めていることを聞く。


 一昨年の練習中にアキレス腱を切って救急に運ばれたのは社会人駅伝の大会一週間前だった。それまでエースとして期待されてずっと走り続けていたので悔しさは人一倍だった。だが、同期の荒木翔(あらきかける)が稜の代わりに区間賞も取り大活躍し、結果チームは優勝した。エース不在なのに何も問題がなかった為、稜の存在感が一気に薄れてしまった。チームメイトにも「焦るなゆっくり休め」と口を揃えて言われるのが逆に「戦力外」を言い渡されている様で焦った。でも焦れば焦るほどリハビリが上手くいかず、生活に支障がなくても走ることが以前のようにいかなかった。陸上のシーズンは秋から春、その1シーズンを休むと次の新エース登場で稜が走らなくても自然に忘れられていく、そんな現実に自信を持って走っていた自分を見失って行った。そして結果的に膝の故障が治らず選手生命は終わった。

「ここ二年は結構抜け殻だったと思うわ。だから二人が住むようになって最近楽しそうで、おばちゃんも嬉しいの」

そうなんだ…茜は小学生の頃の稜を知っていたけど、その先のことは知らない。傷ついたりしてきたんだなと、少し胸がキュッとした。

生きていく、成長するって傷つくことは避けられない。自分だけじゃないと茜は思った。


 自分の部屋に戻った茜が、夜勤明けの仮眠を取って寝ていた午前、隣の部屋の空が「うわぁ~」と声を上げた。

「なになに?」

ベッドを飛び起き茜が覗きに行くと、スマホの画面を見てニヤニヤしている空が床に正座していた。

「どうしたの?びっくりするじゃない」

眠そうな茜が不機嫌そうにそういうと、空がスマホの画面を見せて

「俺、今度1週間くらい休むからあかねぇシフト頼んでいい?」

「は?」

「薫さんが助けてって言ってる!」

どういう展開なのか全然理解できない茜は「別にいいけど、彼女?まぁどうぞどうぞ」とまた自分の部屋に戻ってベッドに横になった。

空は秘密基地の部屋で、急いで返信をする。空には思い通りに行かないことがもう一つあった。



 次の日の朝、関西弁の白髪のおじさんが「おはよう」と茜のレジの前にやって来た。

「あら、おはようございます。たばこ?」

すっかり顔見知りになった茜はニコッと微笑みいつもの銘柄のたばこを棚から取る。

「おおきに、おおきに、ちょっと最近機嫌いいな」

「ずっと機嫌いいですよ」と茜は冗談も受け答えできる余裕があった。

そうしてレジを済ませて関西弁のおじさんが店を出て直ぐ黒いポーチを脇に挟み、たばこを一本出して吸い始める。その姿を店内から茜が眺めていると、店の前のごみ箱近くに二人のちょっとガラの悪そうな青年が関西弁のおじさんにぶつかり落とした黒いポーチを拾うふりをしてそのまま持って走り出した。

「あ!」

茜はその一部始終を見ていたので急いで外に出て「こら~!どろぼ~!」と叫び追いかけた。が、追いつくはずもない。誰か~!と叫ぶ茜の後方から、丁度通りかかった若い男が走り出す。ガラの悪い青年を追駆けて行くと同時に、逃げる青年の向こうからロッキーを連れた稜の姿が見える。稜は稜で前方からガラの悪い青年二人が向かってきて、ロッキーは興奮状態で道を右往左往走り回る。ガラの悪い青年はロッキーに恐れてスピードを落とし追いかけて来た若い男に追いつかれ、稜も訳が分からぬままガラの悪い青年を抑え込んだ。地面に倒れて黒いポーチを放り投げ観念したところ、関西弁の白髪のおじさんと茜が息を切らしながら追い付き「あれ?稜君」とロッキーのリードが足に絡み座り込んだ稜を見つけて言う。

「どうしたのこれ?」

状況が把握できない稜を尻目に追いかけてくれた若い男にお礼を言う茜と関西弁の白髪のおじさん。どうやら朝のランニングをしていた所、この事態に出くわしたらしい。

「あれ?もしかして新田さんですか?」

その若い男は稜の顔を見て言った。

「あぁ、はい」

「僕、大学で陸上してて、ずっと新田さんに憧れてたんです」

「あ、どうも」

「こんなところで会えるなんて」

その若い男は森野(もりの)大樹(だいき)と言った。大学卒業後中学の教師になり陸上部の顧問をしているらしい。

「あ!新田さん、今度箱根駅伝の予選を部員たちと見に行くんですけど、一緒に行きませんか?それで生徒に解説とかいただけたら嬉しいんですけど…」

「いやぁ、もう俺引退してるし走ってないから、何もアドバイスなんて出来ないよ」

目を輝かせていう森野に反して、稜は顔を曇らせて答えた。そうこうしている内に近くの交番の巡査が到着し、稜はロッキーと帰ろうとすると森野は諦めきれずもう一度「来てくれませんか?」と頭を下げてくる。

「じゃぁね、おじさん気を付けてね」と関西弁の白髪のおじさんを見送って、茜は稜と森野の傍に来た。

「ねぇ、それ私も見に行っていいの?」

「あ、はい勿論お二人で!」

「何言ってるの、あかねぇ、俺行くって言ってないよ」

「じゃぁ、私見たいから、稜君連れてってよ」

ニコッと笑って稜の瞳を覗く。戸惑いながら真っすぐ見つめられると嫌だとは言えなくなって「見るだけなら…」と返事をしてしまった。

「じゃぁ、連絡先を」と森野はスマホを取り出しテキパキと済ませ、「週末待ってます!」とそのまま駆けて行った。

楽しみ~という茜とは相反して、気が重い稜はロッキーの頭を撫でながらため息をついた。



 その日の稜は職場でもちょっと憂鬱だった。

十月になると陸上の大会が始まる。社会人も学生も、市民ランナーもマラソンやハーフマラソン、駅伝など各地で何かしら催される。社内の陸上部も大小の大会に選手は出場するので、広報の仕事も少し忙しくなる。選手だった頃は思いもしなかったが、稜は今はこっち側、社内報の取材をする方でもあり裏方であった。

「新田さんて現役の頃もっとシャキッとしてましたよね」

「最近髪もぼさっとしてて、イケメンなのになんか野暮ったくて」

「でもやる気ないのは困るしね、仕事はやって貰わないと」

「新田さん、今度の大会のポスター、掲示板の貼り換えておいて」と二年や三年も後輩の女子社員に指示される。大会の成績を期待される側ではもうない。


会社からの帰り、スーパーの前で稜は空とばったり会った。

「お!稜ちゃん!」

「お疲れ~買い物?」

「そう、今日夕飯俺担当!」

「珍しいじゃん、何作るの?」

買い物を終えた空の荷物を覗き見するも稜。鶏ミンチ、ニラ、キャベツ、胡麻油…

「何作るか分からん」と空の顔を見て笑う。

「何で~餃子!これは古川家直伝の餃子!」

餃子の皮を手にして稜に見せる。

「マジで?普通豚ミンチじゃん、鶏なの?」

「そうヘルシーで幾らでもバックバク爆食いだから」

「マジ?楽しみ~」

「あかねぇが作ってくれる!」

「あれ?お前当番て言ってたのに?」

「買うまでね、ハハハハ!」

「じゃぁ三人で作ろうっか」

「おし!でもあかねぇ包み方チェック厳しいぞぉ~」

キャハハと空と稜が揃うとすぐに小学時代のそれになる。ランドセルがスーパーの買い物になっただけで直ぐにじゃれ合う子供だ。

 帰宅して稜が部屋着に着替えている間に、茜は手際よく餃子の下準備をして空と包み始めていた。

「稜ちゃん早く手伝って!」と空に促され、三人で餃子を包み、万佐江のスムージーが旨いとかコンビニの泥棒の一件とか、あれこれ三人で楽しく話しながら五十個くらい包み終えた。

「作りすぎたかな?」

そう言っていたものの、七個だけ残ったくらい爆食いした三人だった。

「楽しいよね、皆で作って食べるの」

「うん、鶏ミンチって初めて食べたわ、マジ旨かった」

「だろ~古川家の味。またあかねぇ作ってやって」

「自分で作りなさいよ」

「あぁ、でも俺来週熱海だから」

「え?来週?」

どうやら空が言っていた薫さんがピンチらしく手伝いに熱海へ行くという。

 薫さんは空の大学の先輩で、熱海で今は農業体験の出来るロッジを近々オープン予定らしい。が、スタッフが怪我をして空に手伝って欲しいそうだ。

「急だね」

「せっかく三人で暮らし始めたのに」

「あかねぇ、稜ちゃんのこと頼むわ、こいつあんまり自分のこと言わないから。で、稜ちゃんはあかねぇのこと、よろしく。会社無くなってどん底だから」

「コラ、どん底っていうな」ぺしっと頭を軽く叩かれる。

「まぁ空気清浄の俺が居なくても、空気保って仲良くやってください!」

三人三様、それぞれの道を歩んだり走ったり、前を向いて行くのみだった。

「え?ちょっと待って!じゃぁ来週から二人生活?」

茜と稜は顔を見合わせた。

二人きりとなると何故だか妙にこそばい。『二人きり』という言葉がそうさせるのか。二人ってなに?え?二人だけって?

と二人の頭の中は同じ問で一緒だったに違いない。

「ねぇ、その薫さんてどんな人なの?」

茜は本当はそんなことどうでもよかったのだが、黙っていると稜と二人になることが気になって、なにか話していたくて取り合えず聞いた。

「ん~だから大学の先輩。凄くいい人だよ。バイトが一緒で、その頃からよく面倒見てくれて、めっちゃ優しいかな」

空は薫さんを頭に浮かべながら教える。

「スラっとしてて大学の頃から人気ものでさ、皆狙ってたと思うな~」

懐かしそうに大学生の頃の様子を思い浮かべ、ふふふと一人微笑んでいる。

「へぇっそうなんだ」

なんか深く聞きにくくなって、茜は質問をフェイドアウトしていった。

「そんなに好きなんだね…」そう呟いて稜と目を合わせる。稜もクスっと笑って答えた。

取り合えず、来週から二人生活、二人きりになる。


やっぱり髪切りに行こう・・・と稜の頭に何故か浮かんだ。

お読みいただきありがとうございました。

森野、白髪のおじさん、薫さん、今後どうかかわって行くのか引き続きお付き合い頂ければ嬉しいです。

それにしても「二人きり」と言う言葉は、そりゃぁ何かが起こりそうですよね(笑)

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