第四話 じいちゃんの家
この回が実はすごく好きなんです。
どうぞご覧ください。
土曜の朝八時。いつもよりゆっくり目のロッキーの散歩へ稜は出かけた。休日は少しのんびり散歩をする。とはいえ、絶賛躾中のロッキーは走ったりあちこち気を取られ、稜は制御するのに体力を使う。優雅な散歩とはまだ行かない。昨夜家に来た空はいまだ夢の中だった。
秋晴れの高い空に小さな雲がいくつも並んで浮かんでいる。うろこ雲とでもいうのだろうか。信号で止まって稜は少し空を見上げた。
「稜くん!」
信号の向こうから声がする。
「ん?」
声の方を探すと茜がこちらに手を振って笑っている。
「あ、あかねぇ!」
信号が変わってロッキーは茜に向かって走り出し、稜も一気に横断歩道を渡る。
「おはよう!」
「おはよ、今日もお散歩?」
ニコッとした茜は目線をロッキーに合わせそうっと頭を撫でる。大人しく撫でさせたロッキーを見て茜は嬉しそうに「可愛い」と言い、撫でれたよと子供が自慢げな顔をするように稜を見上げた。
「ふふっあかねぇ懐いてるね」稜の目がまた三日月になる。
「今日はコンビニもう終わり?」
「うん、今日は朝4時から入ったから、お父さんと今入れ替わったところ」
「そう、お疲れ様」
「うん」
茜は手にいくつか菓子パンが入ったビニール袋を持っていた。
「これ朝ご飯?」
「あ、うん店の廃棄前の勿体なくて、あ、お金払ってだよ」
と舌を出して肩をすくめた。
「朝ご飯まだだったら、ウチ来る?」
「え?」
「昨日空が来て、そのまま寝てるんだ。今も多分まだ寝てる、ふふふ」
「え?空、家に帰らないでそっち行ってたの?もう~空気清浄出来なかったから今日早出する羽目になったのに~」
「何?空気清浄?」
いや、こっちの話と茜は笑って誤魔化して、空も居るならとそのまま一緒に稜と帰ることにした。
道々、実家に帰ることになった経緯を茜は稜に話し、
「あかねぇは東京でキャリア積んでるとばかり思ってたから、散々だったね」と労う稜の言葉にちょっと救われる。
「でも人生絶対帳尻合うんだって。だから後は良い事しかないはずだよ」
稜は重ねて言う。
「帳尻合う?」
「そう、ずっと不幸な人なんて居ないはず。頑張ったら絶対報われる。報われなくても頑張った学びがある。って、空が言ってた」
「空が?」
失敗や辛さもその先の幸せも同じくらいあるんじゃないか。経験が他のことに活かせるし、活かせなくてもその分悲しみも分かれば喜びも分かるはず。
「空はそう考えてるみただよ」
「何だ、あいつ、ふふふ」
茜は人生何周目なんだろね、馬鹿だねと笑っていた。今失くした分、また得るものがあるのかな…。
古い日本家屋が並ぶ界隈。小さな門の前で「先入ってて」と茜に鍵を渡し、ロッキーを隣の丘山夫妻に帰しに行った。
「おじゃましま~す」と茜はそうっと戸を開け、玄関のたたきにスニーカーを脱ぎ、廊下を進んだ。木が少しきしむ音がするその先のリビングの下にゴロンと落ちている空が見えた。
「やだ、空!なんて恰好」
茜は体を揺らして起こす。
「むん~」
伸びをして目を擦りながら起き上がる空の目の前に茜の顔が見えて「え?ここどこ?」と少々混乱している。
「ただいま~」
そうこうしている内に稜が入って来て
「朝ご飯貰って来た!」
と嬉しそうにテーブルにラップに包んだおにぎりとお皿に乗った卵焼きを置く。
「おはよ~稜ちゃん、あかねぇ何でいるの?」
「さっきロッキーの散歩で出会って。これ丘山さん、友達が来てるって言ったら持って行きなって。食べようぜ」
稜がお皿を用意していると、茜も手伝うと台所に向かう。
「お味噌汁くらいなら作れるけど…」
「マジ?お願い!」
稜は嬉しそうに手を合わせてねだる。そんな様子を寝ぼけ眼で空はぼんやり眺め、二人がなんだか楽しそうに見え嬉しかった。
「ねぇここで三人で暮らしたら楽しそうだね」
空が不意に言う。
「え?何馬鹿な事言ってるの」
茜は吹き出しながらそう言う。
「空、まだ寝ぼけてんだろ?」
稜が呆れながら冷蔵庫を開け、味噌汁の具材を探す。茜も一緒に覗き込み、何も無いねと笑い合っている。
「寝ぼけてないけど~」ちょっと不貞腐れながら空がむくっと起き上がり、「決めた!」と腰に手を当てながら仁王立ちをして
「俺!ここに住む!あかねぇも住みなさい!」
「うえ?」正気な様子の空を見て、茜は文字にならない言葉を発した。
確かに部屋は二階の二部屋は空いている。一階に稜の部屋とリビングと台所。全然余裕はある。茜は実家に居辛そうだったし、嫌じゃなかったら稜としては別にいい。空も住むなら尚更問題はないだろう。
「皆が良ければ俺は良いけど」
稜は冷蔵庫から味噌と玉ねぎを取り出し、二人の方を振り向いてそう言った。
「じゃ、決定!」
空は茜の返事を待たず言う。
「ちょっと・・・」
茜は少し躊躇っていたけど、実家を出たいのは本音。これは自由になれるチャンスかも。
「あかねぇは?どうする?」
稜が三日月の目をして茜に微笑む。
「うん、住もうっかな」
ちょっと嬉しいのを見せないように口をぎゅっと結びながら、そう答えた。
「よぉ~し、3人の共同生活開始だね!」
空が万歳のポーズでソファーから台所へ走ってきて、稜、茜、それぞれとハイタッチをした。
朝ご飯を三人で食べた後、
「じゃ、俺二階の基地にするわ」
と空は言って二階に駆けあがって行った。
「え?何、基地って」慌てて聞く茜に稜が一緒に上がろうと誘う。
二階の階段を上がって直ぐの四畳半の部屋。稜の祖父が小学生の二人に貸してくれた遊び部屋だ。シールまみれの窓が一つ。押し入れの戸を外し、中に漫画がずらりと並び、おもちゃ箱、ファミコンのソフト、グローブ、サッカーボール、物がぎっしり詰まっている。そして部屋の端にハンモックがぶら下がり、空は勢いよく寝ころんだつもりが一回転して畳の上に落ちた。
「いってぇ~」
茜と稜が馬鹿だねと笑っている。
「ずっと残してあったの、これ?」
感心と呆れの両方の思いが浮かんだ茜は部屋を見回して、押し入れの漫画の棚の隅っこに見つけた雑誌を手にした。
「ん?」
ウギャァ~!!
稜と空が慌てて取り上げる。茜には見られたくない中高時代に手に入れたグラビア雑誌だ。思春期まで過ごした基地だから、そんな想い出の品も一つや二つあっても不思議ではない。
「見、見えてないよね」
空が慌ててお尻に敷いているけど茜は「そんな必死になったら余計気になる」と目を細めて呆れている。
「あ」
稜がその雑誌を出した拍子に出て来た写真を見つけた。
「懐かしい…」
空と稜の中学生くらいの写真だった。
「じいちゃんが撮ってくれたやつ」
押し入れの隅っこに追いやられていた一眼レフカメラは祖父の趣味でよく撮って貰った。
「これだね」
カメラを手にして空が撮る真似をする。
「可愛い、ほんと悪ガキの顔。で、私はその隣の部屋使っていいの?」
写真を覗き込みながら茜が言った。
基地を出て、隣の戸を開ける。基地より少し広い6畳間。カーテンが閉じたままで薄暗く、茜はまず窓を開けた。こちらの部屋に物は殆どなく、古い稜の祖父の机と祖母の鏡台があっただけで、押し入れも空だった。
「荷物持ってくるなら今日と明日仕事休みだから手伝うよ」
「ありがと、そうする」
三人とも新しい生活が始まることに少しワクワクしていた。稜は彼女と別れた喪失感を環境が変わることですっかり紛れていた。茜は居心地の悪い実家から離れれば何でもよかったし、空は兎に角楽しいことがあればそれで良かった。
「いいよね~友達って」
空が嬉しそうに階段を下りながら言う。
「だね」
稜も茜も目で合図しながら声を合わせた。
古い木製の階段は大人になった三人の重みで少しミシミシ軋んでいたが、わちゃわちゃ駆け降りる三人は小学生のそれと変わらず、稜の目は一層三日月になり楽しそうに笑っていた。
「ねぇ食事当番とか掃除当番とか決めようよ」
「え~そんなの適当でいいんじゃな~い」
「あんたいつもそう適当なんだから~」
茜と空が言い合う姉弟げんかみたいな様子を稜は羨ましそうに聞いていた。萌とは年が離れて喧嘩もした覚えがない。
「空、風呂掃除もちゃんとしろよ~」
「稜ちゃん掃除男子とかだった?うわぁ~」
「何がうわぁ~だ」
三人の笑い声が絶えなかった。
お読みいただきありがとうございました。
稜、茜、空が集合しました。三人生活楽しそうですね。
これから漸く彼らの新しい生活が始まります。
どうぞお付き合いください。