第七話 スムージーの味
今回は、まず読んでいただければと思います。
頭と首に包帯が巻かれ、口には酸素の管、手には点滴、体には心電図やらの機械が繋がり、ピッピッという機械音が静まり返った部屋に響く。
病室に移動してから稜は土日びっしり茜の傍に居た。手を握り、眠っている茜に話し続けた。出張の日に見送ってからのこと、戸惑いながらジュエリー店で空と指輪を選んだこと、事故を知って居た堪れない思いで過ごしたこと、生徒が茜のことを心配していること・・・
「茜、指輪買う時、色々考えてね、すっごい可愛いの出来たから、早く目を覚ましてよ、絶対喜ぶから、俺の好きな茜のこと詰め込んでる最高傑作!ほんとだよ、だから早く、起きて・・・」
そんな様子を茜の家族も見守っていた。碧海はICUの待合で少しキツク言ったことを気にして、息子の元太に「お兄ちゃんと茜ちゃん見てて、ジュース買ってくるから」とか息子を間に入らせ
「ねぇお兄ちゃんあかねちゃんの好きな人?」
などと子供の特権をフル活用していた。
「うん、茜ちゃんがお兄ちゃんの大好きな人」なんて稜は答えて「ボクもあかねちゃんすき!」と大きな男と小さな男が茜の話で盛り上がっていた。これは碧海の計算なのか否か分からないが、稜が古川家に自然に少しずつ馴染んで行った。
土日面会が可能な限り病院に居た稜。月曜は仕事へ行かなければならず、茜の目覚めない顔を見つめ握った手を離せず日曜の夜は帰るのを惜しんだ。その様子を空が傍で見ていて「あかねぇは幸せ者だな。ほんと早く目を覚ませよ」と呟いた。事故から丁度一週間が過ぎた。
月曜、仕事を終えて稜は直ぐに茜の病院へ向かった。東京で事故に遭ったのでそのまま病院に入院し、稜や家族が見舞いに行くには少し時間がかかる距離だ。朝一番に稜は総務へ車通勤の届を出していた。年季の入った十三の車が役に立つ。
今日は会社であった話を茜にしよう、そんなことを考えながら運転し、病院へ着いた。総合受付の前を通り、入院の病棟へ向かう。夕方遅くは受付も終わり灯も少し落ちているフロアを医療関係の営業職員が医局を訪問し医師たちに営業をしていたようで、話をしながら稜の目の前を通って行く。稜は茜のことしか頭にないので、そんな様子は視界に入らないが、すれ違った男がふと稜の顔を見て振りむいた。
「あれ?確か・・・」
エレベーターを待って稜は茜の病室の階へ向かった。
♪チン
エレベーターが止まり扉が開くと、ナースステーションがある。まだ意識の戻らない茜はそのすぐ近くの部屋にいた。
稜がナースステーションで面会の受付をしようとしたら、バタバタと看護師と茜の担当医師が駆け出し茜の部屋へ向かう。
「え?」
稜は息が止まりそうになった。
部屋から碧海や母親の声がする
「茜!茜!」
その声に不安が重なったまま、稜は部屋へ駆け込んだ。目の前に茜を囲む碧海と茜の母、父、医師が落ち着いた様子で茜に声をかけている。
「古川さん、聞こえますか?」
医師の声に茜の手の指が反応した。それを見た稜は取り囲む家族の中に飛び込む。
「茜!茜!聞こえてる?俺だよ、居るよ!」
碧海が稜の手を引っ張り、茜の手を握らせる。
「茜!あんたの会いたい人、来たよ!」
稜は一番傍に寄り添い手を握り声をかける。どうやら稜が到着する数分前に茜が眉間に皺を寄せた反応を見せたらしい。
「茜!茜!」
稜の声に反応したように、稜の手を握り返した茜の温もりを稜はしっかり感じた。そして程なくまつ毛が揺れ瞼がそうっと動いた。はぁ・・・と碧海や父の剛が安堵の溜め息を吐き、母の広美がわぁっと泣いた。稜は握った茜の手を自分の頬に寄せ、その手を擦りながら「良かった、良かった」と涙を流し微笑んだ。茜は稜のその顔をぼんやり眺めて「稜・・・く、ん」と名前を呟き、「会え・・・た」と目を細めた。
後に聞くと、茜はずっと夢を見ていたらしい。母のお腹にいて早く会いたい人がいるから出たいって、会いに行きたいってずっと願って待っていたんだと、目を閉じ三角座りして稜を待っていて、目を開けたら稜が目の前に居たと話した。
それから、目を覚ました茜は、その後精密検査をし、脳の異常もなく体の打撲や首の傷の治療をしつつ、昏睡状態からの身体の回復のリハビリの入院で済みそうだった。しかし、一週間の昏睡状態の影響で体力が落ちていて、食事も少しずつしかとれず、稜は仕事が終われば毎晩欠かさず面会に来て手助けをした。土日も時間が許す限り茜のリハビリの手伝いや着替えや雑誌を持ってきて出来ることは何でもやった。目を覚ましたのを知った稜の妹の萌も二人の推し『バックステージ』の話をしに稜と一緒に見舞いにも来た。
そうして茜が目を覚まして一週間。食事が白湯からお粥、と徐々に普通に取れるようになった頃、茜は違和感を持っていた。
目が覚めて二週目、看護師が食事を持って来たある日。
「古川さん、今日からほぼ普通食ですよ~美味しそうでしょ」
そう微笑んで食事のトレイから漂う香りをす~と嗅ぎながら茜のベッドのテーブルへ置いた。茜は食事のトレイを見つめ少し固まる。白いホカホカ湯気が出る白いご飯、柚子が少しのった湯豆腐、大根と人参の味噌汁、白身魚の西京焼き、ブロッコリーの胡麻和え。
「柚子のいい香りするでしょ?」
ニコニコして看護師が茜を見ると、茜はううんと首を振る。
「ん?」
看護師が首を傾げ、鼻詰まってる?風邪?と顔を覗き込む。
「ううん、違うんです。お粥の時はこんなものかなって思ってたんです。でも少しずつお粥におかずが付いても変わらなくて・・・味が、匂いが・・・」
茜は少し瞳を潤ませながら続けた。
「匂いも、味も、多分、分からない、しないんです」
茜は看護師の顔を見つめ、涙をポロリと落とした。お粥だから味がしないんだと思っていたのに、何を食べても味がしないと徐々に気付いた。そう言えば匂いも分からない、そう思ったのは稜が顔を近づけてもいつものシャンプーの香りがしなかった。変えただけかと思っていたけど、違うものの匂いも、茜がいつも知っている稜の温もりの匂いもしなかった。
「これ一口食べてみて」
看護師に促され味噌汁を一口すする。
「・・・ううん」首を振って茜は涙をまたポロリと落とした。
それから脳の検査を再度細かくしたものの、異常は見つからず、医師は心意的なものと診断を下した。予期せぬ事故、目覚めたくても目覚められなかったストレス、その強いストレスからの症状だと。時間をかけて恐らく回復するはずだが、その時間は数週間後かもしれないが、数か月、数年かは分からないという。家族はその症状を気長に改善するようにと茜を励ましたが、茜は稜にはまだ直ぐに話せないでいた。味覚回復のリハビリも加え、日々茜は元の生活が出来るよう励んだ。兎に角、稜と以前と同じ生活をしたい。その一心だった。
稜は自分の部屋の机に、茜へのホワイトデーのお返しに用意した指輪をずっとしまったままだった。意識が回復してほっとして、うっかりホワイトデーを忘れて過ぎていたのだ。そうしているうちに茜の誕生日が来る。ぼんやり指輪の箱を眺めていると
♪ピンポ~ン
玄関のチャイムが鳴り、稜が出るとお隣の万佐江が居た。
「こんばんは。茜ちゃん意識戻ってどう?もうお見舞いに行ってもいいかしら?」
「ありがとうございます。リハビリも頑張ってるし食事も普通食になったので、会いに来てくれたら茜も喜ぶと思います」
「そう?じゃぁ今度のお休みに稜君連れてってくれる?」
「勿論!」
稜は十三と万佐江を連れ茜の見舞いに行った。
ナースステーションにはすっかり顔パスになった稜はちょっとした人気者でもあった。看護師達は稜が茜に会いに来る度、ちょっと化粧直しをしたりニコニコと笑顔が増える。
♪トントン
ノックをして稜がまず顔を出して「茜!」と声をかけた。
「稜くん、今日もありがとう」
と茜がニッコリ微笑む。その笑顔を見るだけで稜は胸の奥が暖かくなった。居てくれるだけで、稜は安心なのだ。居なくなるかもしれないというあの不安はもう二度と味わいたくない。
「茜、今日はお客さん連れて来たよ」
そう言って十三と万佐江を招き入れる。
「茜ちゃん!あぁ~元気そうで・・・」
そう言い部屋に入りながら万佐江は涙を流した。
「万佐江さん、ありがとう!会いたかった」
と茜はベッドから降りて万佐江に抱き着いた。続けて十三にも。十三は「おぉ」とちょっと照れながらも嬉しそうにヨシヨシと茜の背中を撫でた。
「そうそう、茜ちゃん今日お誕生日だって稜君から聞いたから、万佐江さん持って来たのよ」
そう言いながらゴソゴソと持って来た紙の手下げに保冷バックが入っていた。ウキウキした顔で万佐江はいつも茜に渡していたタンブラーをそこから取り出す。
「茜喜ぶよ!」と稜も嬉しそうに言う。
「万佐江さん久しぶりだって朝から作ってて、嬉しそうになぁ」と十三も呆れた顔をしながら笑う。
毎朝作ってくれた万佐江のスムージーがそのタンブラーに入っている。
「もう何でも食べれるって聞いたし、ケーキよりね、これの方が体にもいいでしょ、ほら飲んで茜ちゃん」
差し出されたタンブラーは既に懐かしく感じる。変わらぬ日々、ロッキーとのお散歩、洗面所で稜と鏡越しに笑いながらの歯磨き、前髪の寝癖に絶望的な顔をして稜が大笑いする朝、万佐江のスムージーを飲んで始まる一日、一瞬にして蘇る日々。
「ありがとう」
茜はそう言ってひとくち、万佐江のスムージを口にした。ゴクンと喉を通っていく感触。それは変わらないのに、味がしない。茜にとってはこれがバリウムでも分からないくらいなのだ。
「どう?」と皆が美味しいという答えを待っている顔で茜を見つめる。茜もそう答えたい。そう美味しいあの味を味わいたい。だけど味も匂いもしないのだ。美味しいという言葉よりも涙が溢れてくる。もういつものように味わえない。いつものような朝が来ないのか。体は回復していくのに、傷は癒えていくのに、味覚嗅覚はいつ治るかも分からない。
「どうした?」
茜の涙に気付いた稜は慌てて茜の肩を抱く。
「万佐江さん、ごめん、ごめんなさい・・・」
「茜ちゃんどうした?味変だった?失敗しちゃったかしら、気合入れ過ぎて、ね」
万佐江が慌てて茜の手からタンブラーを受け取る。
「ううん、違うの。私、味が分からないの。匂いも、分からないの。大好きな万佐江さんのスムージーがもう分からないの」
茜はそう言って稜の腕の中で泣いた。
毎日の食事も一層昔のチューブで出来た宇宙食やロッキーのドッグフードでも変わらないと思ってしまう。それくらい毎日が味気ない。
稜はそんな茜の気持ちをこの時知る。毎日健気にリハビリを頑張り笑っていた茜を何も知らずにいた自分を情けなく思った。
「茜ちゃん、何も知らなくてすまない」
十三がそっと声をかける。茜は検査で異常もなく心意的なものだからいつか治るはずだと医師に聞いたことを伝え
「大丈夫、ごめんなさい困らせて」
と涙を拭きながら話した。
「万佐江さん何でも力になるから、困ったら言って。稜君も頼ってね」
万佐江と十三は二人の祖父母のように暖かく微笑んだ。二人は暫く話をしてから、稜が送って帰ると言うのも聞かず
「今日は二人で東京をちょっとデートしてから帰るから、稜君もう少し茜ちゃんと一緒にいてあげて」
と十三の腕に万佐江は腕を絡ませ、うふふと微笑みながら帰って行った。潤んだ瞳で茜はクスっと笑って大きく手を振った。
「ごめん味のこと言わなくて」
「ううん、気付かなくてごめん。俺達もまたデートしようね。あの二人みたいにずっと支え合って行こう」そう言われ茜は深く頷いた。
漸く、この時が来ました。
茜の様子が心配でしたが、無事目覚め皆安堵したところです。
が、それだけでは無かった。
味覚嗅覚がわからないというのは、健康でいると想像がつかないことです。
ほんの些細なことかも知れないけれど、茜にとっての普通が無い状態。さて、これからどうなっていくのか、どうぞ見守って下さい。
ていうか、稜くんビックリし過ぎて茜の誕生日忘れてません?ホワイトデーも忘れて、大丈夫⁈笑




