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公爵様は奇妙そうに首を傾げられました。
「なぜだ?」
「私は『石なし』として、王宮でずっといない人間として扱われてきました。あそこに戻るぐらいなら、王女ハナは死んだものとして、自由に生きていきたいのです」
「そうだったのか……」
「それに、公爵様と離縁したなら、私にはまた別の縁談が組まれるでしょう……それは他国の相手かもしれません」
私はもともと大国ヴォルデスの老王の後宮に入る予定でした。
その話がいまどうなっているか分かりませんが、公爵様と離縁したならば、また同じ状況になるやもしれません。そうでなくとも、どこか他国の後宮に入れられる可能性は非常に高い。
「私はどうしてもこの国に残りたいのです」
「それは、なぜ?」
公爵様に私の事情を話してみようか。
少し悩みましたが、止めました。
私がこの国に留まりたいという理由は、人に理解してもらうのが難しいもの。
頭がおかしいと思われては、手を組むということ自体が難しくなります。
公爵様はすぐに、私がそれ以上答える気がないと察したようでした。
「分かった……君と手を組もう」
公爵様は逡巡の後、そう頷かれました。
私はぱっと顔を輝かせ、公爵様に歩み寄りました。
「公爵様……ありがとうございます!」
「ルイス」
「え?」
「私の名前はルイスだ」
そして、初めてそう私に微笑みかけられたのでした。
それからというもの、私たちは協力してイリアに愛を伝える努力を始めました。
まずはお手紙から。
「愛の手紙はロマンチックに、心を込めて」
と、指導する私にも恋愛経験はありません。
もちろん、愛の手紙をもらったこともありません。
しかし、こういうときは読書をしていた経験が生きます。
公爵邸はもちろん、王宮の蔵書室にも出入りできたので、読書経験だけは豊富なのです。
「えーっと、こうかな『こんにちは、ぼくはルイスです。イリアさんが好きです。結婚してください』」
幼児の手紙でしょうか。
「もう少しロマンチックにできませんか?」
「ロマンチック……」
ルイス様にはロマンチックがわからないご様子。
仕方がありませんから、私たちは同じ机に向かい合い、二人でうんうんと唸りながら手紙を書き上げたのでした。
『拝啓 愛しいイリア王女
私はあなたを愛しています。
この想いを、どうかまぼろしにしないでください。
あなたを待ち焦がれる日々は続きますが、あなたへの愛だけが私の力となります』
うん、なかなか良いのではないでしょうか。
「ですが、やはり愛を伝えるには直接会うのが一番です。姉に会いに行かないのですか?」
訊ねると、ルイス様は迷子の子どものような顔をされました。
「怖いんだ」
「怖い?」
「直接会って、イリアに拒絶されたらと思うと……ぼくは怖くて、怖くてたまらなくなる」
それでも悩まれてはおりましたが、結局、ルイス様が姉に会いにいくことはありませんでした。
「それでは、姉に肖像画を送りましょう」
代わりに、私はそう提案いたしました。
姉が『アンクルヴァン公爵』との結婚を嫌がっている一番の理由は、公爵様の『呪われている』という噂から恐ろしい人物を想像しているからです。
肖像画を送り、ルイス様が若く美しい男性であると分かってもらえたら、きっと心が動くことでしょう。
それから、森での生活も不安でしょうから、心配はいらないこと、イリアが望むなら森の外に大きな邸宅を建てて優雅に暮らすことができるということも、しっかりと伝えるよう助言をいたしました。
「君といるのは心地がいい」
あるとき、ルイス様がふと呟かれました。
「……彼女といたときを思い出す」
「彼女?」
ルイス様にはイリア以外の女性の影――考えてみればイリアの影もないのですが――はないように思っていたので、少々驚いてそう聞き返しました。
ですが、公爵様がその疑問に答えることはありませんでした。
私たちの協力関係は非常に順調でした。
ルイス様も私の貢献に深く感謝してくださり、屋根裏には家具が次々と運び込まれました。
「イリアのために作ったマッサージチェアだけど、君が使ってくれ……その、ぼくからの感謝の気持ちだ」
嫁入りの日、ルイス様がイリアのために用意していたというマッサージチェアの使用許可も出ました。
夜、屋根裏で天窓から空を見上げながら受けるマッサージは、この世のものとは思えない心地よさでした。
そんな穏やかな日々に変化が訪れたのは、結婚して半年が過ぎたころ。
ルイス様が姉に宛てて定期的に送っていた愛のお手紙に、初めて返事が来たのです。
『ルイス様のお心を嬉しく思います。妹ハナと離縁したあかつきには、どうか私を花嫁にお迎えください』
それは姉がルイス様のお心を受け入れた内容でした。
けれど、手紙を受け取ったルイス様の顔は、ひどく曇っておられました。