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振り返ると、公爵様は厳しい顔をしてそこに立っていました。
けれど私が子狼を抱えていることに気付くと、おおよその事情を察したようです。
表情を和らげ、困ったように眉を寄せられました。
「申し訳ありません、ここには入るなと言われていたのに」
私はすぐに謝りましたが、公爵様はそれには答えず、ぼんやりと視線を台の上へと向けました。
それから、すっと顔を背けるようにして、イリアの肖像画を見つめたのでした。
「君も、おかしいと思うだろう? 一度も会ったことのない女性に恋をしているだなんて」
ぽつりと、公爵様がそう呟かれました。
「……やはり、姉とは会ったことがないのですね」
「ない」
あえて確認したことはありませんでしたが、薄々分かっていたことではありました。公爵様は公の場に顔を見せたことがありません。もしかするとどこかで偶然の出会いがあったかもしれないと思っていましたが、それも違ったようです。
「では、どうして姉を?」
「石を……」
「え?」
「イリアが、七色の石を持って生まれてきたから」
公爵様の声は、どこか力なく感じられました。
七色の石。
イリアが持って生まれた魔力の『証』。
特別な石を持って生まれたことを理由に、イリアを神聖視する者は多くおります。
公爵様もそのお一人ということでしょう。
なにしろ私たちの国は、魔力によって栄え、また守られているのですから。
この世界には、ある伝説があります。
およそ八百年前。
神は七体の竜をこの世界に遣わし、大地を豊かにいたしました。
役目を終えた竜は地の底で眠りについたと言われています。
魔力とは、その深い地底で眠る竜の体からあふれ出しているものだとか。
大気や地中には魔力が流れる道のようなものがあるのですが、これは竜脈と呼ばれ、力ある国々は必ずこの上に築かれています。
しかし、私たちの国アリアナは異例。
アリアナには竜脈が通っていないのです。
にも関わらず、どの国よりも大気は魔力に満ち、人の中にも強い魔力を持つ者が多く生まれます。アリアナが小国でありながら、八百年も繁栄を続け、豊かさを保てているのは、この豊富な魔力が理由なのです。
それに、魔力を持つ者が生まれた時に『石』を持っているのも、アリアナだけです。
アリアナにとって、魔力はなによりも尊く、特別なもの。
特別な石を持って生まれたイリアが神聖視されるのも――『石なし』の私が王家の恥さらしと言われるのも、当然のことなのです。
公爵様と一緒に地上へ戻る途中、私はふと思いついて口を開きました。
「公爵様、私は『石なし』なのです」
公爵様が『石』を神聖視しているなら、これまで以上に私を侮蔑するかもしれません。それを、私はなんとなく確認してみたくなったのです。
「ああ、そうなのか……確かに、君から魔力は感じないな」
しかし公爵様は、それはどうでもよいようです。
ただ、『石』の有無で人を差別してるわけではないことがわかり、私は公爵様の反応に好感を抱きました。
だからでしょうか、こんな言葉が口を衝いて出たのは。
「公爵様、よろしければ私たち、手を組みませんか?」
「……手を?」
不思議そうに振り返る公爵様に、私はにこりと微笑みました。
「公爵様は一年後、私と離縁されたあと、姉に結婚を申し込むのですよね」
「もちろんそのつもりだ」
「ですが、いまの状況では断られてしまうかと」
前の契約はすでに果たされ、無効です。
さらに公爵様は花占いをするだけで、姉に接触をしようとはいたしません。
このままでは一年後に姉に結婚を申し込んだところで、すげなく断られておしまいでしょう。
公爵様もそれはわかっているのでしょう、痛いところを突かれたように鼻白みました。
「王家にぼくとイリアの結婚を認めさせる方法なんて、いくらでも……!」
公爵様の自信がどこからくるのか、ただのはったりなのか分かりませんが……。
「大切なのは姉の心……違いますか?」
「それは」
「公爵様は姉を愛している、だから姉と結婚をしたいのでしょう?」
私が訴えると、公爵様は黒い瞳を左右に揺らしながら、真摯な声で「そうだ」と頷きました。
「ならば、きちんと姉に愛を伝えましょう。私も協力いたしますから」
「……君が?」
「ええ」
「君を屋根裏に追いやり、冷遇していた私に協力をすると?」
「ええ、そうです」
まあ、公爵様の冷遇は、ぶっちゃけ大したことなかったですし。
正直、恨みとか持てませんでした。
お部屋は快適ですし、食事もちゃんと出してくれます。
なにより、公爵様は声をかけたら返事をくれる。
王宮の人たちに比べると、公爵様には気合いってものが足りませんでしたね。
「君はそれにどんな見返りを?」
信じられないという顔の公爵様に、私はそれまでの笑顔を引っ込め、真面目な顔でこう告げました。
「一年後、私が公爵様と離縁したあと……どうか私を死んだことにして頂きたいのです」
残り3話です。