陰と陽。
学校教育では、文を短く要約することが大事な訓練とされている。
「宿題は、第1段落から第5段落までの要約文を書くことです。」
「要点をまとめたものとして最もふさわしいものをえらびなさい。」
社会に出るとそのありがたみを嫌というほど感じる。
手前味噌だが、そういった部分は昔から強いほうだった。小学生では読書感想文コンクールで表彰されたり、高校1年生にしてセンター試験の現代文がほぼ満点だったり、文が読めるというただ1点に絞ればなかなかのものだっただろう。見込みがあると思われたのか、算数の時間に一人呼び出されて教室の一番前で感想文を書かされたこともある。許してください鈴木先生。
そんなこともあってか、効率重視の事務的なやりとりにはすこぶる強い。「今のままではいけないと思います。だからこそ日本は今のままではいけないと思っている」という表現には「半分いらんやろ!」という心のツッコミが止まらないわけだ。(なお、私は例の人物を嫌いなわけではないことだけ追記しておく。)
人生は長く、学業や仕事だけでは生きていけない。その傍らには必ず趣味や人づきあいが発生するのだが、ここでは先ほどの国語力が見る影もない。なんてことだ、この世界は無駄話でできているじゃないか。もっと学校で洒落の一つくらい教えてくれてもよかったのに。
なんちゃら構文だって、人の印象に残るという一点では類を見ない爆発力だ。私もそんな能力が欲しい。だって学生時代から私は地味で、クラスの隅や放送室でひっそりとすごしていて、かたや文がうまく読めなくてもサッカー部のエースの彼は人気者で友達がいっぱいなんですもの。適度に遊んだ人のほうが社会に出てからうまくいくなんてよく言ったものだよ。
なんて卑屈に書いてみたが、実際はそんなに気にしていない。文は読めたほうがいいし、人気者だって良し悪し。無駄なことはこれからの人生でたくさん身につけようじゃないか。無駄のない形がわかっているなら、余計な表現をたくさんつけても伝わる文が書けるんだから。
え?この文章の結論がない?何が言いたいかわからないって?
・・・やっぱり人気者になっておくべきだったかな。