Diary
俺が机の中から見つけた日記の最後のページ。そこには大きく『菫を取りに行く』とだけ書いてあった。
俺は首を傾げ「なんだこの字」と呟く。自分で書いたはずなのにそこに書いてある漢字が読めない。おかしな話だ。ただこのまま読めないままにしておくのも気持ちが悪い。俺は充電していたスマホを引っ張ってしばらく調べる。やがてその文字が『菫』だと理解した。
日記の最後のページの日付は三年と八ヶ月前。確か日記は気持ちの整理になるからと書きはじめた筈だ。それにその日は確か…
そんな時、手に持っていたスマホが震えた。
ロック画面に登録された仏頂面で首を傾げた俺の顔と満面の笑みでピースするナギサが写った写真を遮るようにしてナギサ「今、家出たよ」とメッセージが来ていた。「りょーかい」と返事をする。
その後、机の引き出しから元々日記の下で眠っていた空っぽの透明なファイルを取り出す。
その中に今日使うであろうプリントを入れていく。
準備が整う頃にはこれから受験勉強だというのに鼻歌を歌っていた。
「アキトーナギサちゃん来たよー準備出来てんのー?はーやーくー」
そう母親がチャイムと共に階段を駆け降りる俺に声を上げていた。
相変わらず声量が大きくうるさい。「できてるって」と雑に返事をして家の扉を開いた。
正面に立っていたナギサと目が合う。切長の瞳に一文字に結んだ薄い桃色の唇。
ロック画面の写真より少し短くなった髪に白のレースがついた七分袖の服とベージュのワイドパンツ。「相変わらずおしゃれな私服だな」と俺は思ったことをそのまま口にした。
「頑張ってるから」
そうナギサは淡々とした調子で言った。
その後、二人で予定通りファミレスに向かう。
ジメジメと蒸し暑い五月の空気がファミレスに入った途端に一転、店内は身震いしそうなほどに冷房が効いていた。
店内はポツポツと客が入っているものの空いている席の方が圧倒的に多い。ピークの時間帯を過ぎているので店内の人々は空気を読み合い静寂に浸っていた。
俺の「なんかここ寒くね?大丈夫?」の声も自然と小さくなる。
「そう?あたしはへーき」
ナギサはそうあっさりとした返事をしながらバックからバインダーにまとめたプリントや参考書をテーブルの上に並べていく。
どうやら早速メニュー表に手を伸ばしていた俺とは意識から違うらしい、と三回瞬きをした。それから自分のバックに勉強道具を取り出すつもりで手を伸ばす。
そんな時だった。
「ッ!!」
硬い何かが後頭部にぶつかり体がビクッと跳ねる。大きく頭を振って動かし、後ろ髪を手で払い上げる。パッと散る液体の感触が手にはあった。
その瞬間、静寂を切り裂くようなカーンとプラスチックの器が跳ねた音が店内に響いた。
「なにっ!?」
思わず俺はそう言いながら振り返って通路の方を見た。
同い年くらいに見えるファミレスの制服を着た女性が重ねた食器を載せたトレイを持ったまま頬を引き攣り怯えたような表情をしていた。
俺と目が合うとトレイを近くの席に置いて「すっすいません」と激しく頭を下げた。周りの人は顔を顰めて鬱陶しそうな表情で俺たちの方を見ている。
「大丈夫なので拭くもの貰えますか」
そう言いながら手を横に小さく振りなるべく明るい笑みを作った。
内心ではそんなに泣きそうな表情をしないでほしい、と苦笑いを浮かべている。
「はい!すいません、すぐに」
そう言って目も合わせずトレイを持って後ろに飛ぶように向かった。
俺はそれを見送った後、通路に転がったままのプラスチックのカップを眺める。通路に広がる透明な液体から恐らくかかったのは飲み掛けの水だろう。不幸中の幸い…ただの不幸か。
「大丈夫?」
そんな声がしてナギサの方を見る。
白い折り畳まれたハンカチを差し出していた。
俺は「あぁ、ありがとう。机まで水いってない?」と言葉にしながらハンカチを受け取り後頭部の髪に当てる。
「うん確認したけど大丈夫」
そう言って頷いた。
ナギサはこういう時に騒いだりしない。
どころか床に転がったカップを拾い上げテーブルについてある紙で床にしゃがんで広がった水を拭いだす。
俺はそれを見て小さく笑って息をつく。それからゆっくりと髪についた水を拭った。幸い後頭部が濡れたくらいで服にはかかっていない。
その後、慌ててやってきた制服が他の店員と違う男性が「申し訳ございませんでした」と頭を下げて別の席に案内してくれた。多分店長なのだろう。
「アキトってほんとついて無いね」
席の移動と勉強のセッティングを済ませた後、ナギサが呆れたような口調でそう言った。
俺はシャーペン片手に参考書を眺めつつ「な」とだけ発音し頷く。昔からついてないことが多い。ナギサで中和されているが元々はかなりの雨男だった事をふと思い出した。
「あの店員めっちゃ怖がってたよ」
そう揶揄うような口調でナギサは言う。
俺はシャーペンを離して顔を上げ「そんな人相悪いかな」と頬を片手で下に伸ばしつつ俺が若干気にしている事を口にする。
ナギサは上を向いて「んー」と呟く様に言った後
「あの子アキトが停学になった話を知ってたとか」
そう言った。
俺は眉を顰めしばらくあの店員の顔を思い出して中学の頃の記憶から探す。
結果、あの店員の顔は思い出に該当無しと出て「まさか」と答え首を横に振った。
「でも意外と広まってるもんだよ。ああいうの」
「怒って殴ると思ったのかな」
俺はそう言った後、呆れからかため息が出た。「んな事する筈ないだろ」と呟くように口にする。
元々俺は優しいやつで知られていた筈なのにどうしてこうなってしまったのだろう。
「知ってる」
ナギサはそう呟くように言って小さく微笑んでいた様な気がした。
その後、俺たちは空が紺色に近づき飲食店の白い光が眩しくなってきた頃にファミレスを出た。受験勉強は順調でナギサは俺の勉強の進み具合に驚いていた。もしかすると本当に一緒のタイミングで大学に行けるかも、なんて言うので「疑ってたのかよ」とツッコんだりもした。当たり前だ。俺はストレートで受かってナギサと共にキャンパスライフを送るつもりでいる。
帰り道、俺はナギサと共にポツポツと灯りがつき始めた住宅街を歩きながら「そういえばあの事件で思い出したんだけど」と口にした。
「スミレを取りに行く?」
そう言ってナギサは小さく首を傾げた。
俺は「そう」と頷く。
「今日見つけた日記にデカデカと書いてあってさ」
「スミレって…これ?」
そう言ってナギサがブロック塀の方を見ながら立ち止まる。
俺がナギサの肩越しに覗くと道路のアスファルトと壁の間から紫色の小さな花をつけたスミレが生えていた。緑の長い葉っぱの塊の上で散らばって淡い紫色の花が何個も出ている。しゃがんで顔を近づけると犬のションベンの匂いがキツく香った。
俺は顔を顰めながら立ち上がり「多分、これだな」とスミレを見つつ気を取り直して言葉にする。
「でも、あの事件って九月じゃなかった」
そうナギサは言った。
俺は眉を顰め道路に視線を逸らし思い返す。
確かに、そうだ。あの事件は夏休みが終わった後だった。もうその頃には少なくともスミレの花は咲いていない。あるとして多分葉っぱだろう。過去の俺はスミレの葉っぱが欲しかったのだろうか…
「確かに、よく分かんないな」
「そ、まぁ分かったら連絡してよ」
俺は「そーする」と暗くなっていく空を見つつ何気ない調子で返事をした。一番星、二番星、もう既に見える星が結構ある。
「アキトは大学受かったら一人暮らししたりする?」
俺は「え?」と思わず声が出る。一人暮らしするかどうかの話はナギサとした事がない。一瞬俺はナギサが何を言っているかわからなかった。そのまま「いや、どうだろう。するかも。考えた事なかった」と分かりやすく動揺が口調に現れた。
「えー引っ越すなら早めに家決めとかないと大変だと思うよ」
「そ、そうか?ナギサはどうすんの?」
「あたし?あたしは実家、別に大学家から遠くないし」
ナギサはサラリとそう言った。
同じ大学に行く予定なのだからナギサの家から遠くないなら別に俺の家からも遠くはない、とは思ったけど言葉にしなかった。
「もしアキトが一人暮らしするなら泊まりに行きたいな」
そう何気なく言ったナギサの言葉には多分、いろんな意味が含まれている。少なくとも俺はそう感じた。結ばれたお互いの手、合わせた歩調、男は車道側を歩くという常識。長い事付き合っているとそういうものがふと煩わしくなる時がある。取り払ってしまいたい。もっと楽な関係はないのか、そんな思いが過ぎる。
それでも俺は笑いながら「来れば良いよ。そのまま大学一緒に行けば良いし」そう言葉にする。でも多分、この言葉はこの煩わしさを許すや飲み込む、なんて傲慢なものじゃなく。もっと単純なものな気がする。
ナギサは「ね」とこちらを見上げて頷いた。
「このまま一緒に行きたいね」
俺はそれに「行きたいね」と応えた。
そうだ。俺はナギサと共にいきたいのだ。
「今日見た感じアキトもなんとかストレートでいけそうだし」
俺は笑いながら「早くない?」と言う。そう言われるのは嬉しいけれど、まだ受験まで半年以上はある。気は抜けない。
ナギサは「そう?」と首を傾げ「でも、めっちゃ頑張ってるし範囲もだいぶ追いついてきてるからこのペースなら受かるよ」とまるで受かった未来でも見てきたかの様に言い切った。
「ナギサと一緒の大学行きたいから」
そのためなら俺はなんだって出来る。なんだってしてやる。超頑張れる。
そんな俺の思いは届かずかナギサからの返事は無い。見るとそこはナギサの家の前でナギサは玄関の方を見ていた。家には灯りがついている。車庫にナギサのお父さんの車は無いので家にはナギサのお母さんだけがいる様だ。
あぁなるほど、と俺は視線を落とし繋がったままの手を見た。
「来て」
と、短くナギサは言って手を引く。
俺は予想外な展開に顔を上げて目を丸くする。そのまま鍵を使い扉を開いたナギサに連れられ扉を潜る。潜って尚、ナギサは無言だった。それに合わせて俺も挨拶をしなかった。お互いの両親を知っている関係ではあるけれど、俺は無言でナギサの家の扉を潜ったのは今回が初めてだったしナギサが無言で扉を潜る所も初めて見た気がした。ナギサにとっては自分の家なので多分そんな事は無いけど。
俺は玄関口で立ったまま何故かいつの間にか習慣になっていた靴箱の上にある赤べこに手を伸ばす。この赤べこは軽く頭に触るだけで俺が靴を履いてナギサと軽く話して外に出るくらいの時間はずっと頭を振り続けてくれるのだ。
そんな時、正面からヌッと手が伸びてきた。
やがて胸の辺りからじんわりと人の暖かさを感じ甘い香りがする。俺は伸ばしかけていた手を下ろしてナギサの背中に回す。ナギサのつむじから広がる髪の毛と白い肌を見つつ少しの間そうやっていた。
「…」
しばらくして何か言いたげな目が俺を見上げてきた。その目は真上にあるであろう丸い照明を浴びツヤツヤとしていてやけに濡れているように思えた。一瞬だけ正面からナギサの黒い眼球を覗き込み、そのまま吸い込まれる様に顔を近づけた。
あとは熱に浮かされた様だった。頭まで甘い香りで満たされた気がする。あくびが脳を冷やす効果があるらしいし、きっと吸い込んだ時の甘い香りが脳を焼いたのだろう。
そんな状態になった後、目を見たままデコをつけた状態で口を離す。
ナギサの口からチュッと唾液を啜った音がする。お互い息を吸って吐いてまた顔を近づけた時だった。
「ナギサー?どーした?あらアキト」
そんな声がして俺はその声の方を見ながら手を下ろして顔を上げる。玄関に伸びる廊下の先、リビングの方からナギサのお母さんが扉を開けて俺たちの方を見ていた。多分、普段なら近づく音で気がつけただろうが今は無理だ。
俺は「こんちゃっす。お邪魔してます」と言いつつ頭を軽く下げる。ナギサのお母さんと俺の仲は割と良い方だがこの場合どうだろう。怒られたりするのだろうか、と思いつつゆっくりと体を離す。ナギサのお母さんはかなり気まずそうな顔をしながら「…邪魔した?」と聞いた。
「理性飛んでました」
そんな俺の冗談をナギサのお母さんは「そりゃ止めて良かった。玄関でされたらたまったもんじゃ無い」と言った後、快活に笑って俺たちの空気を吹き飛ばした。
その後、俺が合わせて笑っているとナギサにペシと叩かれた。
あれからナギサと軽く話をした後、家に帰った俺は夕飯も既に食ってるし勉強の続きでも、と机に向かった。ふと机の上に置きっぱなしになっていた日記を見てバックから取り出したノートを置いて手に取った。「菫を取りに行く」と書かれたページを一つ後ろに捲る。そこには中学生の頃の自分の思いがそのまま書いてあった。顔を顰め、また一つまた一つと過去に遡っていく。
日記の始まりのページは四月、中学二年になったばかりの頃だった。けれど、事の始まりはもっと前、一年生の頃、それが何時ごろかだったかまでは正確には覚えていない。
苦々しい表情で俺は一ページ目に書かれていた言葉を目で追った。
「今日部活の先輩にホラーマンと直接呼ばれた。ヘラヘラと笑っていた。そう呼ばれてるんだって?と誤魔化す様に先輩は続ける。俺は同級生たちの間で俺の事をそう呼んでいるのは知っていた。ただずっとニヤニヤと陰からそう呼んでいただけだったので気にしないでいたのに。俺の気遣いを踏み躙ってきて腹が立った。お前がデブなだけじゃねぇかと内心吐き捨てた。ブヨブヨして気持ちが悪いなと前から思っていたんだ。そもそも俺も痩せたくて痩せてるんじゃ無い。お前と違って食っても太れない体なんだ」
そう書いた文字は割と丁寧だった。
俺は鼻から息をついて自分の腹を見る。相変わらず痩せている。自分の手首を見ると骨張っていた。
あれから体は大きくなり身長も伸びたけれど体型については対して変わっていない。多少筋肉はついたけれど痩せ型だ。
ただ、それが気になった事は無い。羨ましがられる時はあったけれど自慢にも思った事は無い。ただそういうものだ。どうやら昔の俺はそんな事を気にしていたらしい。見たら分かるかもしれないがもうその先輩の顔すら覚えていない。
俺はふーん、と頷き何枚かページを捲る。俺の日記なはずがまるで他人事の様に思えた。
「今日マジでイラついた。スマッシュをブロックする練習をしていたらあいつ俺の顔に目がけてスマッシュを打ち込みやがった。俺はゴムボールが顔にめり込んで後ろに飛んだ。友達は心配してくれたけれど打ち込んだ本人は仲間や先輩に囲われて笑っていた。一番イラついたのは顧問があいつを注意するんじゃ無くて俺にラケットの持ち方から指導を始めた事だ。まるで俺が鈍臭いからミスした様な態度で、上が無能なら下も無能になるんだな、と心底痛感した」
そう読み終えてちょっと笑いが出た。
中学生らしく実にくだらない。顔の横にラケットがあるのだ。スマッシュの時、顔に飛ぶ事もあるだろう。多分この書かれた感じは狙ってやったのだろうけれど。
まぁ恐らく本人にとっては重大な事件だったのだろう。日記の中では酷い言われようの顧問だが思い出の中では結構良い人だけどな。
次のページの内容は短かった。
「あいつらコソコソと玉拾い中にボールをぶつけてくる様になった。マジでキモい。俺が睨むとなんだよ、と返す様になってきた。最近露骨だ」
また何枚かページを捲る。
「部活のランニング中、先輩が頭を叩いてきた。次々、後ろからくる人達に叩かれた。走るのが嫌になった。最近クラスでもあいつらが後ろから消しカスを投げてきたりとイラつくことが多い」
また何枚かページを捲る。
「自転車の前籠が蹴られすぎてペシャンコになった。金網で作られてる物なのに。俺が帰ろうとするたびに自転車を倒されたり蹴られたりするからだ。長い事ありがとうカゴ。さようなら」
俺はページを読む手を止めて天井を見上げて大きく息を吐き出した。
短くなった分、ネガティブな密度が増している。なんというか、弱いな。
なんだか続きを読むのが嫌になったきた、とため息を吐きつつページを捲った。
「夏休みに入り家庭教師が家に来る様になった。めっちゃ美人だった。普通の大学生らしく、大学では頭は良くない方らしい。勉強は嫌いだが家庭教師の先生は好きだ。だから勉強は頑張ろうと思う」
読み始めて初めて声を上げて笑った。しかももう全然会ってないけどこの人はちゃんと覚えている。確か写真もあったはずだ。俺にとってはほとんど他人事なので頷きながら「良かったね」と口にする。仲良くはなったもののあの人と夏休みが終わるまで特に何も無かったし。
その後、しばらく夏休みの間、家庭教師の事とチラッと部活の愚痴、それと友達といった夏の行事なんかの話が続いた。部活の愚痴もなんだか落ち着いていて自分のミスを振り返っていたりと順調な夏休みが続いていた。油断しきった状態で次のページを捲ると久々の長文が飛び込んできて一旦目を逸らした。少し時間を取って読み始める。
「部活の合宿が始まった。大会も近いので練習はキツい。一番キツかったのは山道のランニング中に足をかけられた事だ。膝から血が出ていたしめっちゃ痛かったけど我慢して最後まで走った。足を引き摺りながら走ったせいでビリだった。友達は泣きながら帰ってきた俺を心配してくれたし顧問はガッツを褒めてくれたけど、あいつらが泣いている俺の顔を見て爆笑したのが一番腹立った。マジでウザい。あと夜飯のカレーに虫が入っていた。虫の背中がカレーに付いていて足を俺に向けてバタバタさせていた。体は黒かったが多分見た目的にゴキでは無い。あいつらは席を立ってわざわざそれを見にやってきてまた笑っていた。もちろんその部分は掬ってゴミ箱に捨てた」
初めは陰口だった彼らの行動もだいぶエスカレートしている。もはやカレーの虫も彼らがしたんじゃ無いかと疑ってしまうほどだ。ただ俺はそれ以上にパラパラとページを捲りながら時々挟まっている過去の俺の体の不調が気になった。やがて夏休みは終わりを迎え九月に入り授業が始まったものの日記には一学期より確実に「学校へ行きたく無い」という文言が増えた。
ふと、ページを捲っていた手がある一ページで止まった。
「教室では今日も俺の筆箱が宙を舞った。でも、今日は俺の筆箱のチャックが閉まってなくて教室にシャーペンやらが飛んでその中の一つが当たり女の子が怪我をした。慌てて俺が謝りに行ったら「なんであんたが謝っての」と怒られた。なんで俺は謝っているのだろう。それでもやり返せない弱い自分が情けなくて嫌いだ」
さらにページを捲るとそのページにはその日の事が書かれていなかった。
書かれていたのは自分の体調だけ。
「吐きそう。今日一日、特に家に帰ってからヘソの下ら辺に異物感がずっとある。その異物はグルグルと熱く生っぽい蠢く不快な感じ。未消化の何かだろうか。喉に行くでもなく、ただずっと吐きそう」
ふと、俺はそこで自分の持っているページの少なさに気がついた。もう終わりが近い。
あと三ページ、だが一ページはあれに使っているので日記として書かれているのはあと二ページになっていた。
ページを捲る。
「家を出て扉を閉める時、手が震えていた。自転車に乗りながらどうすれば学校へ行かなくて良いだろうか、とずっと考えている自分がいる。あと半年もあいつらと同じクラスだと考えるだけでしんどい。それと案は何個かすぐに見つかったけれど嫌だ。怖い」
ページを捲る。
「具体的な案を探しているときだけあの吐き気が無くなっていることに気がついた。どころか勇気づけられる自分がいる。その中で良い案を見つけた。時期もちょうどいいし明日、山で探してこようと思う。紫の花らしいのですぐに見つかるはず。これであいつらも俺も終わりだ。明日は」
途切れた文章の続きは次のページにデカデカとある「菫を取りに行く」に繋がる。
俺は実質的な最後のページを読みながら山、と呟いて眉を顰めた。今日見た道端にあったスミレとこれまでの文脈から察するに多分、菫は菫じゃない。別のもっと危険な何かだ。
ただ確か、その翌日は…そうだ。今でもはっきりと思い出せる。
あの日は曇り空で俺が事件を起こしたのは昼休みのことだった。
その日の俺は機嫌が良かった。歪んだ希望があったからだろう。それがあいつらの癪に障ったらしく薄暗い廊下で足をかけられた所から始まった。ただ俺に取ってこいつらはもう既に取るに足らないものに見えていた。明日、こいつらにどう思われようが俺には関係が無かったから。
俺は立ち上がり、すぐに自然と右手フックが出ていた。ゴッと骨と骨のぶつかる音が鳴ってあいつは廊下を滑りながら大きく飛んだ。左手も振って唖然としていた別のやつを殴った。あいつは衝撃で廊下の柱に頭をぶつけ呻きながら頭を抑えて崩れ落ちた。俺はそれを見ながら清々しい気分になった。その後、教室に走って向かい窓からあいつらのリュックを全部校庭に投げた後、先生たちが来るまで自分の机の上で突っ伏した。心臓が耳についたのかってくらい心音が煩かったし足はガタガタと震えていた。報復されると思った。頭の上からハンマーでも振り下ろされるんじゃないかと思いながらずっと歯を食いしばっていた。実際はやってきた先生と共に生徒指導室に連れられ、小さくなったあいつらを見ながら俺は自分の罪だけを告白し停学処分が下された。
俺は顔を上げてパンと手を叩く。
「あぁ、思い出した。あれは菫と書いて菫と読むんだ」
そんな時だった。
スマホが鳴った。画面にはナギサと通話に出るか出ないかが表示されている。通話に出ると「今、大丈夫だった?」と少し心配そうな、でもいつも通りなナギサの声がした。俺は日記を机に置いて代わりにスマホを持ちあげ椅子に座る。自然と肩の力が抜けていた。
「あぁ大丈夫」
そう言った後、少しスマホを離してから息を吐き出す。
嫌な事を思い出したせいで少し疲れたらしい。
俺は椅子の背もたれに体を預ける。ギィッと音が鳴った。
「あっそう。今何してたの?」
そう言われて俺は机を見た。
ノートと閉じた日記がある。
「勉強しようと思ったら日記があってついつい読んじゃった所」
「まだ勉強しようとしてたの」
スマホ越しに呆れた様な声がした。
俺は軽く笑ってから「めっちゃ頑張ればなんとかなって思ってるから」そう言った。
「馬鹿だ」
ナギサはまた呆れた様な声で言った。今度はついでにため息まで聞こえてくる。
「じゃあ勉強教えるから、ビデオに変えて」
俺は思わず「え」と声が出る。多分、ナギサは何か別の用事で通話をかけてきたのではないだろうか。ただ「なに」と不機嫌そうな声がしたのでついつい「俺だけ?」とはぐらかしてしまった。
「あしたは無理だよ。お風呂もう入ったしパジャマだし」
俺は「それは勉強どころじゃなくなりそうだな」と笑いながら言う。
「ばーか」
そんな声がして俺は笑いながらノートを開き日記を机の引き出しにしまった。
まずはここまで読んで下さりありがとうございます。
乃東枯です。今回のDiaryが初短編、初推理でした。私は推理ものあまり読まないんですけど『medium』と『爆弾』は最近読んでいたのでそれを参考にしつつ書いてました。
ただ振り返ってみればヒロインや主人公が『青ブタ』っぽくなったな、と…全く意識してなかったんですけど。私自身そういうキャラクターが好きなんだろうな。
今回、タイトルを日記ではなく英語のDiaryにしたのは一応理由があって「日記を書く」という言葉はあっても「Diaryを書く」は想像できないな、と当たり前なんですけど。
今回の内容的に日記は主人公にとって思い出であって現在進行形のしなくちゃいけない事ではない。具体的な行動にタイトルのイメージとして結び付けたくないってのがありましてDiaryの方がいいなーっと…勝手な自分の感覚なんですけど。
まぁそうやって感覚信じながら考えて書いたのでそれで面白ければ皆様の評価、感想、ブックマーク等お待ちしております。
乃東枯