①黙示録は開かれた-6
山森の中を駆けてゆく。そこらじゅう草木は生い茂るが、トレーニングのために何度も駆けた道だ。足取り軽く一気に進んでいく。
風が頬をくすぐる。息を吸えば冷えた空気が肺の中へと入った。それがある種心地良く、いつもであればずっと走り続けられそうだった。
そう、いつもであれば。
結界が反応した地点へ近づくと、森の様相が変わっていくのがわかった。あちこちの地面に獣の足跡が残り、そして周囲の木には引っかき傷が見えた。
森には色々な動物がいて、そういった跡があること自体は不自然じゃない。ただ、それに人の足跡や血痕が混ざっているなら、話は別。木の根を踏んだ足跡は不自然に黒ずみ、焦げ付いた臭いと共に小さな煙が出ていた。
(気のせいじゃない、何か起きている)
状況が切迫しているのを感じ、痕跡を追いつつ速度を上げた。ポーチに手を突っ込んでナイフを数本取り出すと、いつでも投げられるように警戒を強める。
狗の鳴き声が聞こえた。近づくにつれて、何匹もが激しくまくし立てているのが分かった。昔見た、群れで狩りをするときのそれと同じであった。
「きゃあッ!!?」
誰かの悲鳴。耳を澄ませ出所を注意深く聞き分けていく。左側にあった茂みを風の剣で切り払うと、草まみれになりながら、強引に踏み進んだ。出た先はちょうど草木が無く、獣道となっている場所だった。開けた視界を急いで見渡す。
瞬間、木々の隙間から月明かりが差して、その姿を見つけた。
(あれだ!!)
数百m先、身体が燃える狗のような獣が7、8匹ほどで誰かを追っている。追われているのは誰だか解らない。長い髪の毛から女性、体格から恐らく子供だと思った。
昼間の奴隷商と関係があるのか、はたまた別の何かなのか、考える間もなく後を追った。
魔力を込め足に纏わせた風を増やすと一気に距離を詰めていく。そして、ナイフに風を纏わせると体勢を整え勢い良く投げた。
内何本かは最後尾の3匹に当たった。不意討ちを受けた狗は、甲高い鳴き声を上げ地面へと倒れ込む。
身体の炎が次第に小さくなると、やがて消えて首輪だけが地面へと落ちた。
仲間が倒れ、残りの狗達がこちらに気がついた。互いに小さく吠え合うと、2匹が振り返りこちらへ向かってきた。周囲の木を足場として四方八方に飛び回り、こちらを撹乱しつつ距離を詰めていく。
恐らくは足止めだろう。解っていても無視は出来ない。走る速度を落とし、風の剣を形成する。剣の切先を前へと揃えて何時でも撃ち出せるように構えると、タイミングを見計らった。
(あと、数メートル……)
剣を撃ち出そうとした、その瞬間、誰もいないはずの背後から、狗の吠える声が聞こえた。
「なっ……!?」
突然現れた1匹。そいつが、俺の喉笛へと噛みつこうと、飛び掛かって来たのだ。
突然の奇襲に驚き、周囲へ展開していた剣を一斉に飛ばす。襲ってきた狗は剣に切り裂かれ、勢いのままかき消された。
しかし、背を向けた俺に、前からの2匹が襲い掛かる。
連携された動きと囮を使う狡猾さに驚きを隠せなかった。大急ぎで風を手に纏わせ、振り向き様に眼前の1匹を殴り倒す。もう1匹は間に合わない。
牙を剥いて飛び込んで来たのを、身体を庇うように右腕を突き出し、敢えて噛みつかせた。
狗の唸り声と共に牙が腕に食い込み、燃える身体でじりじりと焼かれていく。咄嗟に風で防御していなければ腕を食いちぎられていただろう。風と牙とがかち合う音が、ガチガチと細かく聞こえた。
痛みを気にする間もなく、地面に落ちていたナイフを風で掬い上げ脇腹へと勢い良く突き立てた。
狗の身体が宙へと持ち上げられ、牙が緩んだ。風を左手に纏わせ殴り掛かる。
『疾風の槌!!』
拳が狗へと当たり、近くの木へと叩き付けられた。狗は数度痙攣したかと思えば、小さく煙をあげて消え、首輪だけが地面に落ちた。
「倒した……か?」
軽く乱れた呼吸を整える。腕を見ると服の袖が黒く焦げて、狗の歯型に開いた穴から血がポタポタと垂れていた。初級の回復魔法で止血を行いつつ、首輪を拾い上げた。
狗が消えてもまだ魔力を感じる。裏側に小さな魔法陣が描かれており、微かな光を放っていた。そして、後ろを振り返って見てみると、地面に落ちている首輪は2つしか無かった。
(なるほど、そういうことか)
"魔法陣"と"魔力"を特定の物に仕込み、繰り返し発動する魔法。そういうものがあると本で読んだことがあった。目にするのは初めてだが。
要するにさっき背後から襲いかかってきた狗は、最初にナイフで倒した3匹の内の1匹で、首輪に仕込んであった魔法陣が再発動したという訳だ。再発動しなかった二つは倒した時に魔法陣も一緒に壊れたか、もしくは必要な魔力が残っていなかったのだろう。こちらにとっては幸いであった。
風で周囲にある首輪を拾い集めると向きを揃えて右手で掴む。ナイフの刃を首輪の魔法陣に当てると、両手で引いて切ってしまった。
すると、魔法陣から光が消えた。
これで狗が再度襲ってくることは無くなっただろう。首輪を放り投げ、今度は風でナイフを回収していく。額から垂れてくる汗を拭った。
(一体、何が起きている?なんで山奥でこんなことが……!?)
魔法陣が仕込まれた首輪。あの狗が誰かの魔法であることは明白であった。恐らくは中級魔法だろうが、それでここまで苦戦するとは思わなかった。乱闘や強盗は勿論、他にも色々と荒事の経験はしてきた。でも、今回の事態は初めてだ。
(くそっ……兎に角追い掛け……いや、まずは……)
逸る気持ちを抑えながら、回収したナイフを懐にしまう。そして、ポーチから軍用の加工紙を取り出し、魔力を流し混んで暗号を刻む。
ワイヤーで紙をナイフに結びつけ、街側にある結界に向けて投げつけた。
ナイフが暗闇に紛れ見えなくなったかと思えば、結界が加工紙に反応して赤く光りながら鳴り響いた。
(これで駐在さん達は気づいてくれるはず。後は、あの人を助けないと!)
再度、風を脚に纏わせると、全力で走り出した。